あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

ミュージカルについて 5

芝居する身体が大きく三種類あるように思うと書きましたが、では演者も三種類のタイプに分類できるのかとなると、それはまた別です。

  

 

最近のわかりやすい例として。

『リトルプリンス』で芳雄さんは飛行士とキツネを演じられましたが、飛行士は②の身体の傾向、キツネは③の身体だったように感じられました。

人間と人外の演じ分けもあったのかしら。

(特にキツネに迷いがなくて、めっちゃ楽しかったです。床につく手は猫手だし、最後はタガー風のご挨拶してくださったし♪ あ。迷いながら探りながらの飛行士を演りながらだったから、余計に楽しめたのか?)

 

 

また。同じ役者さんでも、作品によって①だったり②だったりする方もいるので、こうなると演出家や共演者さんにもよるのかしら。

 

そうだわ、ある方はね、ある作品で、お稽古場では繊細な役作りをされてたのに、ゲネで関係者という観客を前にしたとたん、歌が変わってしまったの。無意識に、身体が期待に応えてしまったという感じだったわ。

もうひとつ、その方について言うと、芝居することにいろいろ迷ってらっしゃるよなぁとわたしには感じられるのですか、世の中的には、歌がとにかく上手だ流石だとしか評が出なくて、

観客も評論家も、もう少し人間としての役者としてのかの女を感じてあげられないのかなと思ったりします。

 

 

そうね。

わたしは、作品を味わうと同時に、もうひとつ別の次元で「人間」を観ている傾向があるのかもしれません。

 

――続けます。

 

 

こんな方もいました。

その作品では憎しみを込めた絶叫系の歌が多い役だったので、公演を重ねるごとにさすがに喉の負担が大きくなり、ある回で、大丈夫かな、次の音出せるかな、という瞬間、宝塚調の歌い方に切り替えられたのです。

喉の使う箇所が変わったのか、すっときれいな大音量の高音が出て、すごい、これには感動。

ただ残念なことに、その後、作品が変わっても、その方は宝塚調の歌い方しかなさらなくなってしまいました。

その場その場で身体が感じる、役としての想いを探りながらではなく、

お約束の様式美な歌い方。

となると、毎回、同じことの繰り返しとなるせいか、公演期間後半になると「役に飽きてる」様子も見えてきて…… 

(マジ つくづく いろいろと残念でした)

 

誤解のないように言いますが、宝塚卒の女優さんもいろいろなタイプがいらっしゃるので、上記はその方限定の出来事です。

 

 

うりゃケンくんや辰巳くんがミュージカルの中で、ときどきアイドル声で歌うのも、実はときどきうーんとなります。(ふぉ~ゆ~(箱推しです☆)がアイドルソング歌うのは、ギリ許せる。うーん、ギリだな。別の歌、聴いちゃってるしな)

ファンの方はどうなのかしら。聴きたいのかな。

 

 

 

などと実例をあげてみたのは、

もちろん、どう歌ってもその方の自由だけれど、ちゃんと認識して歌い分けましょうよ。観る側も、推しの一生懸命だけを応援/愛でるのではなく、演者としての奥深みを理解し、味わいましょうよ。

そうすると、いろんな理由が見えてきて、観劇がもう少し別な角度で楽しくなるのでは? 作品の説得力が変わるのでは?

と思うんだけどなあ。

 

 

つづく。

(で、具体的にそれはどなたですか?という質問は受け付けません!)