あとりえあげん

影絵師・劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事・三茶de大道芸ボランティア/三軒茶屋と八ヶ岳南麓の二拠点生活

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

子宮の病気について 02

(つづき)

 

秋の大イベントである三茶de大道芸のものづくり&当日アテンド・ボランティアが終わりました。

マジ悔いなく創りきった! (snsをご覧くださいw) 

たくさんのたくさんの人たちとの幸せな時間と心地よいお天気に包まれました。

楽しかったなあ。

関係したみなさん。ありがとう。

 

 

終わってからのこの3日間は、だらだらしながら、思いついた買い物をして過ごしました。

手術後、腹圧をかけてはいけない=重いものが持てないので、この先1か月間に買いそうな重いもの、米とか油とかカルピスとか飲む酢とかをストックし、

買い物に出たくない体調の日のためにいろいろをちょこちょこ。

 

まあ、以前からウッスラだるい日々が続いていたので、ずっと居間にソファベッドが開かれていて、すぐ横になれるようにはしてあったんだけど、

こたつ出しました。三茶も山荘も。ホラ、こたつ布団って重いから。

 

 

ついでに書くと、ものづくりのボランティアも呑気に取り組んでたら、10日前あたりでヤバい!これじゃ終わんない!と気づき。

そしたらなんかのスイッチが入って、昔並みの馬力がでましたwww 

めっちゃ楽しかったのは、それもあるわね。

で、終わったら元の木阿弥。

 

 

 

はい。

今回の入院手術と自宅養生もワンオペを目指します。

 

思えば小学生のときからなんとなく、ひとりで生きていく覚悟があって。これもまた、その自然な流れ。

胆管・胆のうのときの大冒険?な経験もあるし。

とはいえ、どうしようもなくなったら、思いついた誰かに連絡相談しますけどね。

 

 

なのでほぼ、人に話してません。水臭いとか言わないでね。ほんとにほとんどの友人知人に話してないから。

 

逆を言うと、話した結果、とても心配してくださり、やりくりして駆け付けてくださりそうな方が何人かいるので。

よっぽどわたしが好きな人しか読まない?このブログでこそっと報告しておく以外は、こそっとしていたいのもある。ごめん。

 

 

でも基本、話したがりなので、ブログは書く。(徹底できないわたしw)

入院して暇だったら、snsに病室の写真あげちゃうかもなあ。

 

 

 

 

 

さて、話は少し戻って。

 

 

診断書には「子宮体癌と思われる」と書かれてました。

なんだよ「思われる」ってw 

たぶん。検査でがん細胞が見つかんなかったのね。

 

前回を書いたあとに気づいたのは、

病院の最初の診断で子宮筋腫が複数あると言っていたし、地元クリニックのエコーにはかなり大きな影が積もっていたし、

 

こそげる?みたいな面倒な処置をしたところで、筋腫が再発する可能性はあるだろうし、その可能性をつぶす意味でも、

 

がんがみつかってもみつからなくても、完全に子宮摘出するわな。と覚悟しました。

 

 

そうそう診断書。

10枚近いレポートを渡され、読んどいてねと言われ。すぐに術式の説明をされました。

うわ。これが最先端の今どき?と思ったけど、そのあとのナースの問診で「ちゃんと説明をうけました?」と確認されたので、ん、もしかしたらあの先生の特性かもね。知らんけど。

 

 

卵巣も取ります。に、有無を言わせてもらえなかったのは、

その先のリンパ節のがんの転移の有無をその場で目視観察して、疑いがあったら開腹して処理しますねと続けられたから。

そうなったらそのあと、放射線とか別の治療の話になるけど、それは確定してからね。

 

卵巣って近年、閉経後は免疫機能の役割があるとわかってきたそうなので温存したいとか、言う暇もなかった。

 

えーと。転移が見えなかったら腹腔鏡だけで終わるんですか? うーん、卵巣を取り出すのに小切開するかもなあ。

婦人科だけど、外科医だわ~ 当然のように言うわね。

 

まあ、帝王切開とか、ほぼ外科か。 

 

 

 

診断書の手術の目的に「根治」とあったので、まあそういうこと。

そうか、あっさりと、きれいさっぱり全部取りますか。

 

 

 

ナースの説明では、手術の翌日から頑張って歩きましょうね!って。若いママの出産とは違うと思うんだけど。

(前回の内視鏡手術で大貧血起こした身としてはトラウマがあるw)

 

 

 

先生。わたし、退院予定日の次の日に芝居のチケットを持っているんですけど、行けますかね。誰かに譲った方がいい? 芝居するの? や、観るほう。だったら大丈夫じゃないの。わかんないけど。行って座って帰ってきて休めばいいよ。

 

ふぉゆ(越)の芝居、抱腹絶倒のコメディらしいけど、腹圧大丈夫かな。

でもま、コッシーに会えるよう、頑張ろ☆

 

そのあとは、キムさんとかせせらぎさんとか、行けたら行こうって舞台もあるし。

 

 

 

 

 

 

 

子宮をなくすんだな。もしかしたらがんかもしれないんだな、わたし。

 

そんな想いでスーパーの人波を見ていて、

それでも世界は変わらず動いている。ってよくあるフレーズを実感しました。

ふーん。こんな感じなのか。

 

「今日を生きる」って言い方があるけれど、それは「未来があることを前提とした今日」だわね。なんやかや言っても、みんな未来のために生きているわ。

今のわたしのこのカランとした印象が、純粋な今日に近いのかな。

明日を思い煩うな。(クリスチャンじゃありませんけど) 仏教だったら、何かしら。

 

でもね。3歩歩いて、忘れました。ヒツジ探偵団のごとくw 

 

 

 

 

 

 

というわけで、病室で書けたら続きを書きます。

 

 

 

子宮の病気について 01

 

水曜日は駒沢にある総合病院で半日過ごしました。

 

前身の病院では、高校生のわたしは初めて入院手術し、その10年後には家族で母を看取りました。

数年前。交通事故にあった友人に付き添って、救急車で一緒に運び込まれもしました。

そんなご縁が深く、信頼安心感のある病院です。

 

 

 

 

どこから書こうか。

ずっと軽い貧血状態っぼくて、頭がうまく回っていない感じです。

 

 

水曜日の検査では、からだを無理やりこじ開けられ生体を採ったと思われ、その夜中は血を流し続けました。

閉経して十数年たつとはいえ女子なので、ベッドにタオルを敷き、血を流し続けることに抵抗感が少ないのは、いいのか悪いのか。

 

 

 

 

そういえば、なんとなく体調が悪いことが、日常になっていました。

 

 

たどっていくと、ワンオペ介護中に胆石の手術をし(医療事故をおこされて死にかけ)、

でも自分よりも親の生活の質が優先。頑張り続けました。

 

介護から解放され、どっと疲れが出て、駅の階段も登れない体力気力の日々から。

少しずつできることが増え、体調が戻ってきて、

駅の階段が登れたり、ゲームで夜更かしができたり。

 

ん。全部解決したはずだけど、まだ? ふたたび? 疲れやすいのは、年齢のせい? 

 

 

 

 

以前からコレステロール値が高かったのですが、具合悪くもないのに薬を飲むのは嫌ですと、かかりつけのお医者に、わがままを言ってました。

ただ、別荘での介護生活のあと、三茶に戻って久しぶりの健康診断で、心筋梗塞?が発覚。

(胆石の手術は内視鏡にも関わらず、吐血下血が止まらず、結果輸血が2本必要で。そのとき心臓の底の方が壊死したようです)

 

もうね、コレステロール値をさげる薬を飲まない選択はないよ!ということで、飲み始めました。

 

 

この副作用で。お医者は副作用じゃないと言い張りますが、

軽度の睡眠障害と、

水のようなオリモノが始まり、重ねていくうちに血が混じり始めたのですね。

 

副作用じゃないけど、トリガーではあるよ。薬飲むのをやめると止まるんだから。

 

 

外科内科のかかりつけから、駅前の(ご友人の)レディスクリニックに行くように命じられ、

嬉し恥ずかしパッカーン体験から、

子宮内に異物と水がみつかり、紹介状とともに、大きな病院に回されて、の水曜日でした。

 

 

10数年前、閉経間際の生理が異様に重かったので、子宮筋腫の予感はありました。

多くの女性が、自覚あるなしにかかわらず抱えている病気です。

 

 

 

 

思いのほか、子宮の中が腫れてます。

そう聞こえた時、日常的な具合の悪さの原因に思い至りました。

 

 

 

 

 

病理検査の結果を待つ前に、

手術前にやれる検査を一通り。

あやふやな判断のままの心筋梗塞も、プロに結論付けてもらう診断と。

 

次々と、日常の隙間に予定が組まれていきます。

 

 

子宮、取るのかな。まだわかりません。

とったら日々のだるさとかがなくなり、楽になりましたよ。という文章も読みました。

 

 

子宮内のお掃除で済むのなら、そのほうがいいのかな。

 

コレステロールの薬を続けること思うと、どっちがいいのかな。

 

 

がん細胞がみつかっちゃったら、迷ってるばあいじゃないけど。

 

 

はい。

 

考えてもわからないことは迷わない。ただ、時を待つ。

が、今のわたしです。

 

 

 

 

たぶん、自覚している以上にほんとうは動揺してると思うのですが、

 

じゃあ誰にどうしてほしい?と胸に手を当てて考えてるのですが、

 

わかんないの。

 

 

 

 

夢一夜

おとといの明け方に、こんな夢を見た。

 

わたしは学生?で、教室での課題発表/大量の小作品の提出。のはずが、いつの間にか自分の作品群のインスタレーション(展示空間デザイン)込みの課題になっていた。

(ちなみにわたしの美大時代にそんな課題はなかった。今は知らんがw)

 

他の人たちはいろんな持ち込みをしているが、当然わたしは手持ちがなく、そこにあるものを使ってなんとか体裁を整える。

みんなできたね~とか友人に声をかけられ、わたしはあいまいな返事を返す。

 

わたしの作品群も友人らのも、どれもがどこか似ている。悪くはない。だが突出もしていない。
友人らは安堵しているが、わたしはひとり不安だ。

 

わたしでなくては描けない絵がない。でもそれは、どんな世界? 

 

 

 

 

さて目が覚めたが、夢の中にあった疑問に自分は答えを返せないことに気づく。

すぐに答えが出せないのならどうすればいいのかは、知っている。100枚も描けば、見えてくるはず。

 

うん。100枚が無理でも、最初の10枚ならトライできよう。明日から一日一枚。

 

 

 

 

その日の夜、会った長年の友人は絵を描く人ではなかったので、説明の仕方を変えた。

夢のせいで、今「かっこいいもの」がわからないと気づいたの。胸が躍るもの。震える感動。自慢したくなる憧れ。

 

六本木の道路だったら、そんな言い方になったのかもしれない。20代のわたしは六本木の大学研究室で教授秘書のバイトしていて、裏道の風情とかが好きだったから。

 

話すうちに、ものをつくる人には問題かもしれないけど、わたしは関係ないとか言い出すから、や、あなたの個性とはみたいに、話題がズレてしまったw 

けど、おかげでテーマとして掘り下げようという自信になった。

人に話すこと、大切。

 

 

 

 

一日目。

最初の絵は、原点に戻ろうと思った。少女まんが風。イメージはすぐ浮かぶ。

でも描きながら、この女の子は何を考え、夢見てるの?と自問して、絶句する。わからない。

 

 

 

違う。これじゃない~

 

 

 

2日目。

最近描いた絵のバリエーション。

ちなみに直近の絵はこれ ↓↓↓ 絵というより工作? 秋のイベントのボランティアに向けた提案案件。

 

 

 

で、今日はペン入れまでして(隣のページのペン入れもするか迷ってる)、この文章を書いているわけだが。

描きながら、なんとなく気づいたのだ。

 

 

 

 

 

今の時代、情報に溺れて自分も平均化されていなかったか。自分からがAIのように、情報を平均・変形しただけのモードになっていなかったか? 

情報をセレクト、仕分けしたつもりで、そういうものかと過信していないか。

 

平均化されたものは、日本人にとっては安心・満足の対象だろう。

今の時代、真実よりも安心が優先される。

 

 

ただ、わたしは、違う自分を探したいなあ。今更のお年頃ではありますが。

 

美大時代の友人(デザイン会社をご夫婦で経営)がグループ展のお知らせとともに、画家になる夢をあきらめてないから!と言ってたしな。

わたしもがんばろ☆

 

(あ、わたしが画家とかイラストレータとかを目指してるわけではありません。探したいのは夢見ることです)

 

 

 

 

 

で。

タイトルの話なんだけど。 

 

どうしても書き出しが『夢十夜』になるなあ。ひとつの夢から始まったエピソードだから一夜かなあ。

 

ついでに思い出すのは千夜一夜という単語。

おや。あれは、ひとつの夢が千夜に影響するという意味も含んでるのかな?と思いつき、ちょっと嬉しくなりましたとさ。

 

 

 

 

『蜘蛛の糸』

Eテレの番組で芥川の『蜘蛛の糸』の解説をしていた。読解が面白かった。

自分が初めて読んだときに感じたことを思い出した。小学校の後半だったと思う。

そして、そのふたつの感想は、今でも心深く無意識に大きな意味を持っていることに気づき、戦慄した。

 

その1

権力者(ここではお釈迦さま)は気まぐれで、他人に最後まで執着してくれない。責任も持たない。なので信用しすぎてはいけない。

 

その2

カンダタはあのとき、なんと叫べばよかったか。

つまり。自分を犠牲にしない/他人にも親切でいる ためには、どういう思考を身につけておくべきか。(とっさに叫べるくらい、自分に慣らしておく必要がある)

結論は、「危ないぞ。丁寧にゆっくり登れ。みんなで登り切ろう」

 

 

わたしの中の人間不信とコミュニュケーションお化けは、すでに芽生えていたね。

 

 

もう一作『アグニの神』についても思い出した。

超自然な存在は、ある。畏れよ。と埋め込まれたのは、アレだよね~

 

 

えー。自分がこんなに芥川から影響受けてたとは、今まで気づかなかったんですけど~

 

 

庭の桜 その2

母が亡くなった年、庭の柿の木は一個も実をつけなかった。

春先、柿にひとつも花がついてないことにフト気づいたときはショックだった。年の近い従姉妹にだけ、入院が長い母は今年いっぱいかもしれないと漏らしたら、伯母が家に乗り込んできて柿の木はどれ?と騒ぎだし、父や弟にも知られることとなった。

そして。みんなで静かに、そうかもしれないという気持ちを共有した。

 

父の時は、暮らしていた山荘のハナミズキが花をつけなかった。前年も翌年も、重なりあうほど薄紅の花をつけたが、その年だけは咲かなかった。

ワンオペ介護生活は3年めだった。わたしは、ああ今年なんだなと静かに思った。誰にも言わなかった。

そんなこんなで、父の死を心静かに迎えられたのだ。

 

 

そんな経験のせいか、

 

山荘のサクラが強風で倒れた姿をみた瞬間、何かを代わりに背負ってくれたのでは?と感じた。

わたしか、わたしに近しい誰かの災難を、そらしてくれたのかもしれない。

もしくはわたしの生き方考え方を、ばきっと方向転換させる何かの代償かもしれない。

まだ、わからないけれど。

 

 

サクラの木を残すにしろ、あきらめるにしろ、枝打ちは必須だとネットで情報を得た。

 

ちなみに。倒れたその日の写真をネットに上げたら、

Threadsで知らない方々から何件かコメントがあり、引き起こして再生できるとのことだった。

おひとりが手順や理屈をそれは丁寧に説明してくださった。

 

でもそれは、あくまでも写真だけの判断で。

立派な枝を繁らせているけど、実は根は浅いとか、

触ってみるとスポンジみたいな枝が何本もあるとかを、ご存じなわけでなく。

 

わたしは迷っていた。今も迷っている。

 

 

というわけで。残す選択肢は薄いのだが、一応新しい麻袋を買って切り開き、黒い除草シートとともに、むき出しの根は覆った。

 

枝を落とすことでバランスを崩し、お隣の敷地に流れて倒れ込むの防ぐために、5メートルほど離れているモミジの幹とサクラの幹をロープで結んだ。

 

 

下から手が届く範囲、ベンチに乗れば届く位置、脚立に乗れば届く位置から、枝を切り落とす作業に入る。

 

 

 

数年前の医療事故で死にかけてから、体力はかなり戻ってきたけれど。昔のペースで庭仕事ができるわけではなく、目標は1日2時間の作業。

1日からだを使えば1日、2日使えば2日、次の日は使いものにならなくなる。

 

もう、そういうからだなのだ。仕方がない。

だましだまし? 無理のない範囲で、ゆっくりやるしかない。

サクラに寄りかかられている白いヤマボウシと薄紅のハナミズキに負担を強いることになるけれど、我慢してもらうしかない。ごめん。

 

これで2本の木も傷んで、花をつけなかったら、それがわたしの寿命なのかしらね。と、ふと思う。

そう思いながら天文台からハナミズキの枝を近くから見たら、つぼみがあった。今年はもしかしたら毎年のようには咲けないかもしれないけど、わたしの今年の寿命は守られていそうかな。

 

 

たまたま庭に立ち寄った父のご友人から、若いのをまわしましょうか?と言っていただいたけれど、

必要になったらお願いするかも、とか応えつつ。

 

そうか。出来る限り、自分でやりたい気持ちを、強く自覚した。

 

 

 

 

ところで、サクラって折れやすいから登るなとか言わなかったっけ?

15センチくらいの枝でも、切り落とすには手ごたえがある。そろそろ自重で折れろよ~と思うくらいのこぎりを入れても、折れない。

木の皮部分にぐるりと刃を入れるのは必須。

 

そのくせ、実はやわらかい。

手持ちの小型のチェーンソーだと、刃を巻き取ってしまい、咥えこんだまますぐに動かなくなる。仕方がないので、5ミリくらい離れた場所をのこぎりで崩していき、隙間をつくって抜き取る。

 

 

 

この週末は影絵の稽古というかクリエイションがあるので、東京に戻らないといけなくて。

心残りはたっぷりだが、仕方がない。あれやこれやでしばらく戻れない。

 

 

心は庭に。