おとといの明け方に、こんな夢を見た。
わたしは学生?で、教室での課題発表/大量の小作品の提出。のはずが、いつの間にか自分の作品群のインスタレーション(展示空間デザイン)込みの課題になっていた。
(ちなみにわたしの美大時代にそんな課題はなかった。今は知らんがw)
他の人たちはいろんな持ち込みをしているが、当然わたしは手持ちがなく、そこにあるものを使ってなんとか体裁を整える。
みんなできたね~とか友人に声をかけられ、わたしはあいまいな返事を返す。
わたしの作品群も友人らのも、どれもがどこか似ている。悪くはない。だが突出もしていない。
友人らは安堵しているが、わたしはひとり不安だ。
わたしでなくては描けない絵がない。でもそれは、どんな世界?
さて目が覚めたが、夢の中にあった疑問に自分は答えを返せないことに気づく。
すぐに答えが出せないのならどうすればいいのかは、知っている。100枚も描けば、見えてくるはず。
うん。100枚が無理でも、最初の10枚ならトライできよう。明日から一日一枚。
その日の夜、会った長年の友人は絵を描く人ではなかったので、説明の仕方を変えた。
夢のせいで、今「かっこいいもの」がわからないと気づいたの。胸が躍るもの。震える感動。自慢したくなる憧れ。
六本木の道路だったら、そんな言い方になったのかもしれない。20代のわたしは六本木の大学研究室で教授秘書のバイトしていて、裏道の風情とかが好きだったから。
話すうちに、ものをつくる人には問題かもしれないけど、わたしは関係ないとか言い出すから、や、あなたの個性とはみたいに、話題がズレてしまったw
けど、おかげでテーマとして掘り下げようという自信になった。
人に話すこと、大切。
一日目。
最初の絵は、原点に戻ろうと思った。少女まんが風。イメージはすぐ浮かぶ。
でも描きながら、この女の子は何を考え、夢見てるの?と自問して、絶句する。わからない。

違う。これじゃない~
2日目。
最近描いた絵のバリエーション。
ちなみに直近の絵はこれ ↓↓↓ 絵というより工作? 秋のイベントのボランティアに向けた提案案件。

で、今日はペン入れまでして(隣のページのペン入れもするか迷ってる)、この文章を書いているわけだが。
描きながら、なんとなく気づいたのだ。

今の時代、情報に溺れて自分も平均化されていなかったか。自分からがAIのように、情報を平均・変形しただけのモードになっていなかったか?
情報をセレクト、仕分けしたつもりで、そういうものかと過信していないか。
平均化されたものは、日本人にとっては安心・満足の対象だろう。
今の時代、真実よりも安心が優先される。
ただ、わたしは、違う自分を探したいなあ。今更のお年頃ではありますが。
美大時代の友人(デザイン会社をご夫婦で経営)がグループ展のお知らせとともに、画家になる夢をあきらめてないから!と言ってたしな。
わたしもがんばろ☆
(あ、わたしが画家とかイラストレータとかを目指してるわけではありません。探したいのは夢見ることです)
で。
タイトルの話なんだけど。
どうしても書き出しが『夢十夜』になるなあ。ひとつの夢から始まったエピソードだから一夜かなあ。
ついでに思い出すのは千夜一夜という単語。
おや。あれは、ひとつの夢が千夜に影響するという意味も含んでるのかな?と思いつき、ちょっと嬉しくなりましたとさ。