あとりえあげん

影絵師・劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事・三茶de大道芸ボランティア/三軒茶屋と八ヶ岳南麓の二拠点生活

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

夢一夜

おとといの明け方に、こんな夢を見た。

 

わたしは学生?で、教室での課題発表/大量の小作品の提出。のはずが、いつの間にか自分の作品群のインスタレーション(展示空間デザイン)込みの課題になっていた。

(ちなみにわたしの美大時代にそんな課題はなかった。今は知らんがw)

 

他の人たちはいろんな持ち込みをしているが、当然わたしは手持ちがなく、そこにあるものを使ってなんとか体裁を整える。

みんなできたね~とか友人に声をかけられ、わたしはあいまいな返事を返す。

 

わたしの作品群も友人らのも、どれもがどこか似ている。悪くはない。だが突出もしていない。
友人らは安堵しているが、わたしはひとり不安だ。

 

わたしでなくては描けない絵がない。でもそれは、どんな世界? 

 

 

 

 

さて目が覚めたが、夢の中にあった疑問に自分は答えを返せないことに気づく。

すぐに答えが出せないのならどうすればいいのかは、知っている。100枚も描けば、見えてくるはず。

 

うん。100枚が無理でも、最初の10枚ならトライできよう。明日から一日一枚。

 

 

 

 

その日の夜、会った長年の友人は絵を描く人ではなかったので、説明の仕方を変えた。

夢のせいで、今「かっこいいもの」がわからないと気づいたの。胸が躍るもの。震える感動。自慢したくなる憧れ。

 

六本木の道路だったら、そんな言い方になったのかもしれない。20代のわたしは六本木の大学研究室で教授秘書のバイトしていて、裏道の風情とかが好きだったから。

 

話すうちに、ものをつくる人には問題かもしれないけど、わたしは関係ないとか言い出すから、や、あなたの個性とはみたいに、話題がズレてしまったw 

けど、おかげでテーマとして掘り下げようという自信になった。

人に話すこと、大切。

 

 

 

 

一日目。

最初の絵は、原点に戻ろうと思った。少女まんが風。イメージはすぐ浮かぶ。

でも描きながら、この女の子は何を考え、夢見てるの?と自問して、絶句する。わからない。

 

 

 

違う。これじゃない~

 

 

 

2日目。

最近描いた絵のバリエーション。

ちなみに直近の絵はこれ ↓↓↓ 絵というより工作? 秋のイベントのボランティアに向けた提案案件。

 

 

 

で、今日はペン入れまでして(隣のページのペン入れもするか迷ってる)、この文章を書いているわけだが。

描きながら、なんとなく気づいたのだ。

 

 

 

 

 

今の時代、情報に溺れて自分も平均化されていなかったか。自分からがAIのように、情報を平均・変形しただけのモードになっていなかったか? 

情報をセレクト、仕分けしたつもりで、そういうものかと過信していないか。

 

平均化されたものは、日本人にとっては安心・満足の対象だろう。

今の時代、真実よりも安心が優先される。

 

 

ただ、わたしは、違う自分を探したいなあ。今更のお年頃ではありますが。

 

美大時代の友人(デザイン会社をご夫婦で経営)がグループ展のお知らせとともに、画家になる夢をあきらめてないから!と言ってたしな。

わたしもがんばろ☆

 

(あ、わたしが画家とかイラストレータとかを目指してるわけではありません。探したいのは夢見ることです)

 

 

 

 

 

で。

タイトルの話なんだけど。 

 

どうしても書き出しが『夢十夜』になるなあ。ひとつの夢から始まったエピソードだから一夜かなあ。

 

ついでに思い出すのは千夜一夜という単語。

おや。あれは、ひとつの夢が千夜に影響するという意味も含んでるのかな?と思いつき、ちょっと嬉しくなりましたとさ。

 

 

 

 

『蜘蛛の糸』

Eテレの番組で芥川の『蜘蛛の糸』の解説をしていた。読解が面白かった。

自分が初めて読んだときに感じたことを思い出した。小学校の後半だったと思う。

そして、そのふたつの感想は、今でも心深く無意識に大きな意味を持っていることに気づき、戦慄した。

 

その1

権力者(ここではお釈迦さま)は気まぐれで、他人に最後まで執着してくれない。責任も持たない。なので信用しすぎてはいけない。

 

その2

カンダタはあのとき、なんと叫べばよかったか。

つまり。自分を犠牲にしない/他人にも親切でいる ためには、どういう思考を身につけておくべきか。(とっさに叫べるくらい、自分に慣らしておく必要がある)

結論は、「危ないぞ。丁寧にゆっくり登れ。みんなで登り切ろう」

 

 

わたしの中の人間不信とコミュニュケーションお化けは、すでに芽生えていたね。

 

 

もう一作『アグニの神』についても思い出した。

超自然な存在は、ある。畏れよ。と埋め込まれたのは、アレだよね~

 

 

えー。自分がこんなに芥川から影響受けてたとは、今まで気づかなかったんですけど~

 

 

庭の桜 その2

母が亡くなった年、庭の柿の木は一個も実をつけなかった。

春先、柿にひとつも花がついてないことにフト気づいたときはショックだった。年の近い従姉妹にだけ、入院が長い母は今年いっぱいかもしれないと漏らしたら、伯母が家に乗り込んできて柿の木はどれ?と騒ぎだし、父や弟にも知られることとなった。

そして。みんなで静かに、そうかもしれないという気持ちを共有した。

 

父の時は、暮らしていた山荘のハナミズキが花をつけなかった。前年も翌年も、重なりあうほど薄紅の花をつけたが、その年だけは咲かなかった。

ワンオペ介護生活は3年めだった。わたしは、ああ今年なんだなと静かに思った。誰にも言わなかった。

そんなこんなで、父の死を心静かに迎えられたのだ。

 

 

そんな経験のせいか、

 

山荘のサクラが強風で倒れた姿をみた瞬間、何かを代わりに背負ってくれたのでは?と感じた。

わたしか、わたしに近しい誰かの災難を、そらしてくれたのかもしれない。

もしくはわたしの生き方考え方を、ばきっと方向転換させる何かの代償かもしれない。

まだ、わからないけれど。

 

 

サクラの木を残すにしろ、あきらめるにしろ、枝打ちは必須だとネットで情報を得た。

 

ちなみに。倒れたその日の写真をネットに上げたら、

Threadsで知らない方々から何件かコメントがあり、引き起こして再生できるとのことだった。

おひとりが手順や理屈をそれは丁寧に説明してくださった。

 

でもそれは、あくまでも写真だけの判断で。

立派な枝を繁らせているけど、実は根は浅いとか、

触ってみるとスポンジみたいな枝が何本もあるとかを、ご存じなわけでなく。

 

わたしは迷っていた。今も迷っている。

 

 

というわけで。残す選択肢は薄いのだが、一応新しい麻袋を買って切り開き、黒い除草シートとともに、むき出しの根は覆った。

 

枝を落とすことでバランスを崩し、お隣の敷地に流れて倒れ込むの防ぐために、5メートルほど離れているモミジの幹とサクラの幹をロープで結んだ。

 

 

下から手が届く範囲、ベンチに乗れば届く位置、脚立に乗れば届く位置から、枝を切り落とす作業に入る。

 

 

 

数年前の医療事故で死にかけてから、体力はかなり戻ってきたけれど。昔のペースで庭仕事ができるわけではなく、目標は1日2時間の作業。

1日からだを使えば1日、2日使えば2日、次の日は使いものにならなくなる。

 

もう、そういうからだなのだ。仕方がない。

だましだまし? 無理のない範囲で、ゆっくりやるしかない。

サクラに寄りかかられている白いヤマボウシと薄紅のハナミズキに負担を強いることになるけれど、我慢してもらうしかない。ごめん。

 

これで2本の木も傷んで、花をつけなかったら、それがわたしの寿命なのかしらね。と、ふと思う。

そう思いながら天文台からハナミズキの枝を近くから見たら、つぼみがあった。今年はもしかしたら毎年のようには咲けないかもしれないけど、わたしの今年の寿命は守られていそうかな。

 

 

たまたま庭に立ち寄った父のご友人から、若いのをまわしましょうか?と言っていただいたけれど、

必要になったらお願いするかも、とか応えつつ。

 

そうか。出来る限り、自分でやりたい気持ちを、強く自覚した。

 

 

 

 

ところで、サクラって折れやすいから登るなとか言わなかったっけ?

15センチくらいの枝でも、切り落とすには手ごたえがある。そろそろ自重で折れろよ~と思うくらいのこぎりを入れても、折れない。

木の皮部分にぐるりと刃を入れるのは必須。

 

そのくせ、実はやわらかい。

手持ちの小型のチェーンソーだと、刃を巻き取ってしまい、咥えこんだまますぐに動かなくなる。仕方がないので、5ミリくらい離れた場所をのこぎりで崩していき、隙間をつくって抜き取る。

 

 

 

この週末は影絵の稽古というかクリエイションがあるので、東京に戻らないといけなくて。

心残りはたっぷりだが、仕方がない。あれやこれやでしばらく戻れない。

 

 

心は庭に。

 

 

 

庭の桜 その1

山荘の向かいの原生林が切り拓かれて、大きな駐車場になり。まばらな木々を透かして、八ヶ岳がみえるようになった。

 

原生林がなくなったので、地下水脈が変わり。駐車場や庭の高低が変化した。

そしてもうひとつ。防風林がなくなって、山荘は八ヶ岳おろしをモロにうけることとなり、

風の強い夜は、それは恐ろしい音に包まれるようになった。

 

 

数日前。

風の音が怖くてどうせ眠れないと思ったわたしは、4時半まで影絵の作業をした。

その数時間後、お隣さんからの電話で起こされた。

寝てた? まだ気が付いてないよね。サクラの木が倒れてる! 昨夜の風のせいだわ! それとも水脈が変わったから根腐れしてたのかもしれない? 

 

は? なんの冗談? 悪い夢?

 

携帯を耳に当てたまま階段を降り、玄関横の小さな窓から庭を見ると、果たして20メートルほどのサクラの木がヤマボウシに向かって倒れこんでいた。

根元をみて、あっけにとられる。根が半分ほどむき出しになってひっくり返っているのが見えているが、え、サクラの根ってもっと周囲に、少なくとも枝が広がってるくらいは張るもんじゃなかったっけ? なんであんなに小さい? 

 

パジャマの上から服を着て(一通り見たらまた寝るつもりで)、コンバースをつっかけ庭に出る。

 

サクラはお隣に迷惑をかけることになく、上手に倒れていた。

そして根っこは、びっくりなことに、20年前植えられたときの麻袋に包まれたままなのだった。20年たっても麻袋は微生物に分解されないって、土の性質のせい? 寒さのせい? 

や、1本だけ少し太めの根が一本、折れ口を見せていた。麻袋を破って伸びた根。

この根が強風に耐えられなくなり、木は倒れたらしい。

 

 

淡々と観察しているうちに、ショックが過ぎて何も感じてなかったのが、少し緩んできて。ごつごつした幹に額をあてて、少し泣いた。

 

こんなに根が張れてなかったのに、毎年あんなに花をつけてくれてて、ありがとう。

他所さまに迷惑かけることになく倒れてくれて、ありがとう。

見えない手が伸びてきて、髪にふれられた気がした。

 

 

2階に戻りながら。

自分で解体するのかな。出来なくはなさそうだ。うん、解体しよう。でもそれが最適解? 業者に頼んで引き起こしてもらう? 

もともと、電線に触れそうな枝を切らねばとズット思っていたのだった。

そして20年前に植えられたときもそこそこの高さだったから、少なくとも30歳と考えると、桜の限界年齢に近いのでは? 

それに、根があれしか発達してないんじゃなあ。起こしたところで、次の強風でまた倒れかねない。 

などと考えながら、

3時間しか寝てない自分の判断や動作を信じてはダメだろうと、

 

まず、寝なおした。

 

 

や、寝る前に、少しネット検索した。起こすにしても、枝はそれなりに落とさなければいけないらしい。

脚立でのこぎり作業は必須だな。

 

風の音、なんかミシミシ音がしてる? 1階に降りて窓から外を見て回る。異状はない? 

 

しばらく寝付けなかったが、やがて眠った。

 

 

(つづく)

 

 

 

父は、ヤマザクラだと言っていた。庭仕事しているとハラハラと落ちてくる花びらはきゃしゃで白く、わたしもそうだと思っていた。

が、お隣が2階から見えるサクラの風情を写真に撮ってみせてくれてから、雲行きが怪しくなってきた。ピンク、なのだ。

しかもうちの庭から見上げる風情と違って、そこそこゴージャス。

 

外面の良さは阿原の家の特技だとは思っていたが、まさかサクラまでがなあ。

 

 

 

 

きのこを育てる #03

GWに突入しました。

去年ほどではありませんが、山荘前のパン屋の駐車場にひどいストレスを強いられています。

 

友人らに山荘に遊びにおいでと言えなくなったのは、わたしに余裕がないからです。

自分の家の庭に出るのを控えるのは、パン屋の客たちの無遠慮な視線にさらされるからです。

 

最たるものが、自分の家に帰ろうとすると、毎回、小道(当たり前ですが、公道ですよ)の入り口で車を止められることです。満車ですから入れませんと。

仕方がないので車の窓を開けて、「おうちに帰りたいんですけど」とか「おうちに帰らせて~」とか叫ぶことになります。

わたしはストレスだけですが、うちのお隣は隠れ家的な店舗ですから完全に営業妨害です。たどり着いたお客さまに平謝りしているそうですが、それ、お隣が謝ることでしょうか。

 

 

去年は最初に、うちの車ぐらい覚えてほしいと申し入れました。解決したかと思ってご近所に話したらそんなことはないとのことで、つまり申し入れたわたしには対応したけど、他のおうちに応用する発想はなかったようです。

で、結論から言うと、誘導係を委託される業者が去年半年だけで、私の知る限りで3回チェンジしてて。当然、申し送りなどなく、あっというまに元の木阿弥。

 

あのね。誘導係のバイト青年と、実は運命的なお友だちになったのですが(話すと長くなる)、かれからバイトの扱いの内情は聞いてるので、そりゃ業者さんの回転、早くもなるわな。パン屋の親会社は想像力も思いやりもなく、ただ怒り散らしているみたいです。

 

 

 

さて。

今日はもう予想がついていたので、ごみを出しに行くとき(車で数分の場所です。うん、車がないとゴミ出しできないんですよw)、携帯で録画しました。

やー、良く撮れてた。

いつものように止められて、応えて、なんで?と訊いて、対処をお願いして、最後にこれを全部録画している旨を伝えました。

そのあと小道を進むのですが、子どもがふらふら歩く家族連れがいて、わたしは追い越せずに徐行しては止まって、の繰り返し。

 

いずれ北杜市の交通課に持ち込むにしろ、素敵な撮れ高w

 

 

録画したことを伝えたのは、弁護士くんがどう対応するか(その前に報告がちゃんと上がるかも怪しい会社ですけど)、見たかったからです。

ってか、とりあえずお隣の営業妨害をどうにかしてほしいし。

 

 

 

埒のあかない弁護士対応からの、どうやら返信はしないまま、こっそり問題を解決して苦情を黙らせる方法をとったかに思えたのですが、

結局、まるで問題解決にはなっていないので、

ほんと何してんだよ~ です。頭悪すぎるというか、現状の勉強をしないからだよ。

 

 

GWでの様子を見てから行政に相談するかを考えましょうとおっしゃったのはお隣で、喧嘩をしたいわけじゃないから、って。

マジいい方なのよ~ 一番の被害者なのに~ 

 

 

地域の自治会のほうは、年度が変わって役員さんも変わり、他にも深刻な問題があるみたいで、こっちも様子をみましょうで。

 

 

そんな中、逆に、地域住民それぞれが、警察に細かく苦情を入れてるようで。これはこれで発言力がある状況になったのかもしれません。

 

 

これね。なんでわかったかというと、お隣の新規のお客様に警察の方がプライベートでいらしてて、大丈夫ですか? なんでも相談してくださいね。と名刺を置いて行ってくださったとか。

 

 

 

さあさあ、どうなる? どうする? きのこの名まえのパン屋さん! 

 

 

(つづく)