コロナ禍でうやむやになった傾向があるが、
60歳を越えたあたりで、生き方を変えようと思った。
わたしを大切にしない人とは、一線を画す。
え。当たり前じゃない。と言われそうだが、わたしは原則、寄ってくる全ての人を丁寧に受け入れていた。
それには地域のボランティアが大きく関係してくるのだが、
作業場で大勢の人を楽しく回すために、こちらのふところは開くし、相手のには飛び込むし、
年末年始とかに友人たちが遊びに来る際、よく知らない人が混じっていても気にしなかったし、初対面も誘ってたし、
あー。何故わたしがこんなに世話焼きになったかは、また別の分析があるのだけれどね。
で。あるとき、無神経な言動に傷つくことが重なり、
あげんさんに無条件で何かをしてもらうこと、甘えること、利用できることを「あたりまえ」にされてもなあ、という気持ちになってしまった。
ちなみに。対象はひとりではありません。何人もいました。
もちろん、そうしてしまった、過去のわたしにも原因はあるよ。でも、わたしが、今後も我慢すべきことだろうか。
不都合なことに、ボランティアの作業場で、年長のわたしはリーダー的な位置なので、「拒絶」は慎重に密やかに、始まった。
不愉快な相手でも、居場所を奪うのはよくないでしょ?
言葉にしたことはないけれど、わたしの態度で、気づく人は気づくし、フォローしてくれるし。
でも、楽しいことではなかったかな。
で、コロナ禍。集まりそのものがなくなったから、わたしの表明の場もなくなった。
で。もの思う時間の中、大人げないかなあという迷いも出てきた。
や。でもでもでもね。これ以上、わたしが我慢するって、どうよ。
拒絶されてることに気づかず、なんで最近はこれこれをしてくれないの?と尋ねてきたのもいる。あなたのこういう態度に、わたしはこういう選択をとりました、と答えた。へえ、そっか。
はあ?
でも、ま。言葉にすれば、つながりは復活しなくもないのかな。
でも、うん。こっちからは、働きかけないけどな。
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