『単騎、千里を走る。』
という映画を観ました。高倉健さん主演の中国映画です。
誰のため?何のため?に自分はアートするのか?という、
表現者には永遠の問いがあり、
特に震災後は、いろいろと悩ましがる方が多かったわけですが、
「みんなの気持ちを代表して」
かもしれないと、この映画の健さんを観ていて思いました。
「ほとんどの人たちが日常の中で、したくても出来ないことを、代表して演じる」
自分が、何をどう感じたから演技するのではなくてね。
健さんの演技も、相手(この映画ではほとんどが素人たち)に対する反応なんだけれど、
そこに研ぎ澄まされたフィルターがかかっているなと思ったのね。
(おーおー、エラそー)
条件反射ではない、このフィルターは、何?と考えた。
「日常の中でしたくても出来ないこと」とは、
アクションとか夢のような恋愛とかではなくて、
ごく日常の中で、いい人であろうとしたり、意地を通そうとしたり、ちょっと頑張ればできそうだけど、その一歩が踏み出せないまま終わってしまうような、
そんな部分。
役者はストーリーの中で、その一歩を踏み出してみせるわけだけれど、
そのときの腹の据え方。魅せ場はたぶん、そこ。
あのね。
スポーツ選手が、被災者の方々に勇気を届けるために走ります、とか
アイドルが、元気を届けるために歌いますとか、
ナニサマよ? マジ意味ワカンナイんだけど! と言う友人がいて、
そのときは、まぁ、自分自身に対する言い訳なんだから大目にみなくてはと、
言葉にしたかは忘れたけれど、そう考えて。
けれど。
これでちょっと、腑に落ちたんだよ。
みんなのために、じゃなくて。みんなの人生を背負って、だ。
他の人たちの辛い人生を背負って、
今、自分は、笑って、表現に向きあえるか、だ。
前出のスポーツ選手やアイドルが、本気で、他の人たちの辛い人生をひっくるめて背負うことをイメージできてたかは、知らないけれどね。
(と、最後にはやっぱ、毒吐くわたくし)