わたしの名刺には、LINEのQRコードを入れてあるの。
今回ホリプロさんのご依頼はそちらをたどってきてたし、なんならその後の日程等打ち合わせもライングループで、でした。時代だわね。
↓↓ こうしてみると、文字が多いわ。全4回では、足りなかったです。
稽古場の片隅にひっそりにこにこと座って、メモをとる。スマホのシャッター音を立てない撮影アプリで、参考写真を撮る。まぁ、そのへんは以前と変わらず。
このあたりは記事に描けないナと自主判断する内容、実は山のようにある。や、ホントウはみなさんが知りたいのはそのへんだろうけど、それ描いちゃったら役者さんのほうが圧倒的にやりづらくなるから、ごめんね。
vol.4の2段目は、優也くんサイドのスタッフさんとたまたましゃべる機会があり、探りを入れたら否定されなかったので、過ぎたことだし、もういいよね、と記事にしました。(今回はじめて優也くんを知りましたが、楽しみな役者さんです)
稽古場リポートの目的は、販促で。その中で何を描くかは、わたしに任されるわけですが。
わたし個人としては、作品の楽しみ方の角度をふやしてほしい。なので、今回に限らず、演出家さんの出番が多くなる傾向はあると思います。あとスタッフさんとか。
今回、オケ入り稽古の日に、興味本位でごめんなさいねとギター奏者の方にお話を伺ってて。おおー。めっちゃ記事にしたかったんだけれど。
感染予防にむけての一段がなかったら、入れられたのに。
優先順位のせいで、描けなかったことも多いわ。
4本のギターを弾き分けてらっしゃってることとか。(その場で、音の違いを弾き比べてくださったの!)
後ろから見てたら。ある曲では、ずぅぅぅとお休みしてて、一音だけポロン♪と弾いて、またずぅぅぅっとお休み、とか。ウェバーの楽曲の厚みは、そんな贅沢さにもあるのだなぁと思ったし。
さて。
今回。リポートする自分が、実はめっちゃデリケートな立ち位置だと気づいたのは、2回目あたりからでした。
このミュージカルは、主演の固定ペアがWキャストで、特にノーマさま役のおふたりは、(たぶん)それぞれの解釈を大切にするために、お互いの稽古を「観ない」ことが前提になっています。
なのに。
わたしの稽古場リポートに期待されてたのは、ふたりのノーマの違いの言語化。
せっかくおふたりが、相手はどういう人物像に組みあげてるのか観ないようにされてるのに、それを、わたしの記事がぶち壊すんかい。だれか、稽古場リポートは読まないように言ってくれてるのかな? や、言ってないよね、察するに、ええー?
表現に、悩みましたよ。そりゃね。もーかなりよ。この描き方だと、とーこさんは、めぐさんは、どう思われるだろう、うぎゃあっ、的に。
最終的に演出家さんチェックが入るから。を前提に、少しはみ出し気味にもっていって、でも思ってた以上に大きな修正はありませんでした。ありがとうございます鈴木さん。
実際の公演は残念なことに、コロナ自粛のせいで、半分も公演できませんでした。それでも、半分は公演できた!とも言える。(コップの水理論?)
いつかまた、このプロダクションで公演できますように。と思います。アンサンブルさんたちも個性派ぞろいで素晴らしかった(個別に拾って描きたかった)し。
チケット取ったのに観られなかった方々。ほんとに観ていただきたかったです。
チケット取ってなかった人、今度あったら観てね!
vol.3の副題とした「その愛に打算はあるのか」。わたしにとって、これは大きな大きな発見でした。
恋人に対しては、やっぱりどこかで打算の余地は残るけど。
芸術に対して、打算はないでしょう。ノーマやマックスの、いわば映画への献身に、尊敬を抱いた瞬間、わたしは震えたわ。
自分に対する正直。追求すれば世間からは、はじかれる。では世間の中でともに狂騒することが、生き方、か。そんな幸せをみんな夢見るわけだから、そうなのでしょうね。
でも、ほんとうの喜びに近づけるかは、別。
台本読んだだけでは気づけなかった。役者さんの肉体を通して、はじめて感じられたこと。
そういう揺れがね、やっぱり演劇の感動だと思うの。
たぶんこれから、時代や世間の価値観が大きく変わっていくと思うの。資本主義さえ揺るがすかもしれない。
でもその中で、演劇は変わらない。同じように素晴らしいはず。
大切に、愛していきたいわ。