以下の長文は、半ば愚痴だな。知ってほしいというより、わたしが書いておきたいだけかもです。
多摩美校友会で理事をしている。今年で4年目。任期は8年。
先日。次年度に向けて、わたしは自分らしくない選択をした。昔の自分だったらたぶん、両方がんばったんだろうなぁ。え、これでよかったのか?と、ときどき思い返すが、胸に手を置いても、後悔している感触はない。
そんな自分にいくぶん戸惑っている感は、ある。
Facebookのおかげで大学のサークルの友人たちと再会し、その後もときどき一緒に遊んだりして。で、その中の何人かが、母校の校友会理事をやってたわけだ。
友人のひとりが手掛けてたのが、「出前アート大学」。地方の小学校に出向き、著名な卒業生が講師となり、特別な図工の体験を提供する授業。なにそれ楽しそう。わたしもやりたい!
奇特にも理事をやりたい!と口走った後輩を逃すテはあるか?と、やさしい先輩が奔走してくれ、執行部による面接という運びになった。(ふつうは面接なんかやらないらしいんだけど)その席で、「出前」事業は希望者多いし、ほかの部署になってもいいかと問われ。まぁそこは勢いで、はいと応えたわけだが。
まじ別部署に配属された。
あそこで返事しちゃったしなぁ。仕方ないか。
「出前」の会議にはオブザーバーとして参加させてもらいながら、きちんと「グループ活動助成金」の事業と向き合った。
でさ、まぁね、いろいろあった。当時の会長に振り回されて。かれがやりたいという新事業についてのレポートも書いたし、ただ、そこでひっかかったのが、ほんとにそういうニーズあるんですか?という疑問。会長がそう思い込んでるだけじゃなくて?
そのあとのすったもんだは、書くと長くなるので、また別の機会に。とにかく、その計画は頓挫した。させた。
次年度。こちらにお伺いもないまま「グル助」委員長を任された。え? あ、でもそういうことになるのか?みたいに受け止めて。(根が呑気です)
つまり味噌っかすみたいに扱われてる部署だし?ってことか。
引き継いだことを少しだけ発展させ、やれることをやった。気持ちばかりの(予算が低いんだもの)助成をしたグループ展に、できるだけ出向いて、個人からの話をうかがうとか。
そして、無理のない範囲でと、アンケートのお願いを始めた。卒業生たちの認知と、実際のニーズが少しは汲み取れないかなという発想で。うん。前会長の夢の実現は阻止したけど、想いはまずそんな形で、引き継いだってところ。
あ。同時に「出前」事業にも、掛け持ちで正式に参加した。この年は、地元小学校ひと学年に、大学の卒展を鑑賞してもらう授業を担当した。前例のない事業で、たいへんだったけど、楽しかったし、感慨も深かった。
今年度もいろいろ大変で。わたし自身そろそろ、ふた事業の掛け持ちがつらくなってきたのもある。他のメンバーみてても、理事なんてボランティアなんだから、無理したり、正業に支障が出たりしちゃダメでしょうとも感じた。
というのもあってか、先日、役割分担整理の意向アンケートがきたとき。
わたしは、
「今後、××××××××××××××の可能性等を視野に入れるのなら、【出前】の活動にかかわり続けるのは難しいかもしれないと覚悟しています。【出前】をやりたくて参加した理事会ですが、これも流れであると受け止め、卒業生たちの活動支援に回ります」と書いた。
昔の自分だったら、両方がんばっただろうにと書いたのは、このことです。
そっか。あのときのいやぁな感触を、断腸というのかもしれない。
3月の理事会は、感染予防のため当然、中止。かわりにメールを使った議事進行となりました。
ほんとに承認でいいんですか?と事務局長から念を押されました。わたしの「出前」活動愛は、浸透してたみたいですね。
そんなこんながありましたよ。
そして、表題についての実感は、この先なんです。
今年はアンケートの回答をまとまった数、得られたので、集計・グラフ化しました。卒業生たちの考え・感触が、少しは数値化・視覚化されたわけです。
わたしとしては、来年度の「グル助」活動の指針のつもりでしたが。
あれ?
いつのまにか、来年度校友会の主要事業に格上げされたみたいですよ。へぇ?
他の思惑からの流れも推量できなくはないですが、あの集計が説得材料として発揮した手ごたえがありました。数値化・視覚化・言語化、大切だわ。
というわけで、わたしの残りの理事活動が、路線変更してしまったおはなしでした。
でもなぁ。「出前」でひとつ、やり残したことがあるんだよなぁ。
今は「アート・デザイン」の授業としてるけど、そこに「パフォーマンス」を加えて、演劇舞踏からの授業をしたいのよねぇ。
状況によっては、うん。今後の状況によっては、だわね。