あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

在宅介護はじめました-2

最近、夜は22時ころには寝ることが多い。てっぺんより前に寝るなんて、遠足の前日だってあり得ないわたしが、です。

それは睡眠というより、切れ切れな気絶。

寝返りをうつのを失敗すると、腰の痛みで目覚める。

 

夕べは、1.5-2時間おきに、5回くらい起こされる。

父が起き出して歩き回る気配は、歩行器につけた小さなカウベルが知らせてくれる。診療所の先生に歩行器を提案していただいてから、多少不安が緩和されたので、夢うつつの中でベルが聞こえても、慌てて飛び起きなくて済むようにはなった。

 

痛い痛い痛い、よいしょっと小声で言いながら、起きて、父の動きを見守る。途方に暮れているときはベッドに誘導する。

ときどき声を荒げてしまって少し落ち込むが、どうせ父は覚えていない。

 

 

わたしの腰が痛いのは、突然気を失ってくずおれる父のからだをとっさに支え、その姿勢からよき位置へとずるずる動かしてたのが原因。ストレッチとかサロンパスとか入浴とかで痛みをだましだまし収めていても、次が突然重なるから、痛みはどんどんと悪化する。

立たせたり移動させたりと予期できる介助は、入院が決まった時点で古武術をベースにした介護術の本を読んだので、どうにか負担なくできるようになってた。

問題は、とっさの動作だったわ。

 

今では父の調子が落ち着いてきて、こっちもコツがわかってきたし、ひどく痛めることはなくなった、と思うけど。んん、まだわかんないか。

 

父の調子はまだら。さっき出来てたことが今出来なくなってる。で、まだ出来るようになったり、の繰り返し。

 

知恵比べみたいなことをしてる気が、うん、しなくもないわね。

 

古武術介護塾―日々の介護がラクになる!!

古武術介護塾―日々の介護がラクになる!!

 

 

在宅介護はじめました-1

フローリングの床に敷いたふとんに寝転がったまま、手を伸ばした指先で、枕のすぐ上の窓のカーテンを開ける。寝返りも辛い腰痛が続いている。枕もとのリモコンで常夜灯を消し、別のリモコンでテレビをつける。

7時過ぎ。もそもそと起き上がり、着替え。

 

山荘風につくられた居間に介護用ベッドが陣取り、残りの空間にこたつを置き、そのまた残りの、テレビのすぐ前に自分用の布団を敷いた。訪問者がいる日はざっくりと折りたたむが、ふだんは敷きっぱなし。

だらしないけど他にアイディアはないしなあ。とりあえず、を受け入れるうちに日常となったのは、これだけではない。

そうやって新しい日常がデザインされていくのね。いくのよ。

 

生活に使わなくなった二階に上がり、ふたつの窓を開け、神棚の水を取り替え、二礼二拍手一礼し、ふたつの窓を閉める。

ベッド横の袋に溜まった父の尿の目盛りを読み、トイレに流す。

 

朝食を作る前の、これがルーティン。こんな日々が来るとはね。

 

 

腰は痛いし。胃の周りはずっと凝っている感じですよ。

心のどこかを押し殺した鈍い自分がいる。でもだって仕方ないじゃないねえ。

 

それでもいろんな方たちのおかげさまで、どうにか居られる。一時期よりはかなりマシになったし。なんの罰ゲームだよ~?とか思っていた日々もあった。

 

 

さて。これだけの文章すら、一気に書けない。

だらだらと雑用がある。

だけど書いてみると少しデトックスされる気持ちがあるので、少しずつ書いていければと思う。これまでのこと。この先のこと。

 

 

ひとりひとりに説明するのがうっとーしくて、SNSで「介護はじめました」と友人らやいとこたちに告白したのは、3/25。介護ベッドが入った日。

これは隠すことではないし。ひとりでは抱え込めないことだし。だから共有したい友人がいたらつながりたいかな的な気持ちがあったかな。

子育てみたいに気軽に話せるような社会になってほしい的な想いもあったかも。

 

見知らぬ方からの「いいね」もあり、でも見知らぬ方とこの重さを共有するには、まだ自分は初心者過ぎるなと思う。

過去の介護生活を公表していない友人の「いいね」が染みた。これだな、この感じだな、わたしが欲しかったのは。

 

 

ゆるゆると頑張ります。や、ゆるゆると頑張るしかないよねえ。

 

 

 

三茶de大道芸2020

(自分のブログの書きこみ設定に入れなくて四苦八苦してしまった。ブラウザのcookie設定か?とじたばたしてたけど、遠回りしてたどり着いたブログ管理画面で、http設定をhttpsに書き換えたら入れるようになりましたとさ)

 

 

というわけで、コロナ禍2020。大道芸ボランティアも中止。

1年の中で一か月半にわたる、地元の、三茶de大道芸のボランティア活動が、自分にとってどれだけ大切・有意義・心の支え的な時間だったか思い知らされましたよ。

なによりも、おしゃべりって大切。同じ目標のために、ゆるゆると一緒に居るのが大切。(わたしにとって「ものづくりボランティア」は創作欲の発散ではなく、慣れない人を発散させるためフォローする喜びなの)

 

イベントとしては、大道芸人を何人かに絞って主劇場で開催。一日はリモート配信も。アート楽市はトラムで予約制。街中は写真の展示。

 

大勢のボラ友たちとは、劇場で涙の再会ですよ。「あのねあのね、ずっとね、どっかで会えたらあなたに話したかったこと(渡したかった/見せたかったもの)があるの!」

一応、酒のみにいくのも憚られて、凍えるまで外で立ち話とか。

 

■土曜日

この日の天気は雨。通常の開催だったら、号泣レベルの大雨。

でも劇場開催だから全然困らないもんね~ 

 

f:id:atelier-agen:20201020132516j:plain

この、見慣れた風景に、まさか涙ぐむ日が来ようとは! 開催してくれて、ほんっとにありがとう!

登録ボランティアは1回だけご招待していただけたので、第一弾の土曜日のAプログラムにしました。

 

f:id:atelier-agen:20201020133136j:plain

f:id:atelier-agen:20201020133147j:plain

劇場内には、劇場技術部さんたちの手で、過去のボランティアの作品が飾られました。

↓↓ 舞台上は、ゆきこちゃんときよのちゃんの初コラボのプラザ幕。

f:id:atelier-agen:20201020133531j:plain

この時点では、写真を撮っていいかがわからなく、こそこそしたアングルw

あとから聞いたら、ゆきこちゃんはこの幕のメンテナンスに、ひとりこっそりボラ活動をしてくれてたらしい。ありがとうね。

 

ちなみにボランティアたちは1列開けての最前列でした。芸人の「しぶき」エリア近くは、連絡や話のつきやすい人が配置されたのかしらんw

 

 

なんかね、大道芸人のひとりひとりが愛おしかったです。

アストロノーツくんが(距離をたもったまま)缶バッチをくれたので、となりの席のますこさんにあげる。喜んでた。

 

そういえば、つくばの大道芸フェスのクラファンでもらった大道芸人別の消しゴムはんこ。わたしが持ってるより押し(ファン)が持ってたほうがいいよね、と、ふたつともそういう人たちにもらってもらいました。

この「わらしべ(?)」のおかげかな。あとでギフトが回って来たのよ!

 

 

あまのクンとあいあいロードを見に行く。ますこさんとさとえりちゃんもついてきた。

4人で(雨の中の)お散歩。

f:id:atelier-agen:20201020135307j:plain

 

 

そのあと次の時間まで、ますこさんが付き合ってくださり、ふたりでお茶する。LINE始めたのよと言うので、つながる。ほかのボランティアとのグループがあるけど、混ざる? 40人越えだから、人によっては呼び出し通知がウザいらしいけど。んん、もう少し様子みてから考えるわ。

(仕込み、当日の連絡網にはめっちゃ便利なんです)

 

 

Bプログラムは、一般として予約したチケット(無料)の席で。

開場中のこの時間は、写真OKだと知る。

f:id:atelier-agen:20201020135936j:plain

f:id:atelier-agen:20201020135957j:plain

 

終演後、劇場前で立ち話していたら、「明日の夕方のチケット、自分はいけなくなったけど誰かいる?」と回ってきて、え~いいんですか~といただく。

気分は、さっきの「わらしべ」が「入場券」になったって感じよw

 

 

おうちに帰ってから、さてさて腕まくり。

QRコードやIDからのキャッシュレス投げ銭に挑戦! 

まことさんにはストアで投げ銭ではなくTシャツを買う。

あれ。〇〇さんに投げ銭できない。と、ボランティアグループLINEに描きこむと、主催スタッフからすぐ確認します!と返事が来る。

ふうふう。全員に2日分の投げ銭! あ、加納さんは他のフェスのリモートでも楽しませていただいてるので、少し多めに。

 

■日曜日

そもそもこの日は、A・B両方ともリモートで観る予定でした。

はい。急に寒くなった日から、PCはこたつに移動しとります。

f:id:atelier-agen:20201020141425j:plain

橋本プロデューサーのご挨拶から。

f:id:atelier-agen:20201020141636j:plain

客席だったら撮れないけど、リモートだとお写真撮れるわね。

 

みなさん、三茶バージョン/劇場バージョンと趣向を凝らした、想いのこもった演目で。基本、昨日のと同じなんだけど、微妙な修正はいれてきてる。さすがだなあ。

 

あと、SePTの技術部さんたちだからね。音響、照明、転換の技術力がありあまってました。

(『バーナム』とか『グレイテストショーマン』とか、どなたか制作しないかな)

 

 

 

軽くおなかにいれてから、劇場に向かう。ほんっとに地元w

偶然いただいたチケットなのに、ひとつ置いた隣が仲良しのさんきちゃんという奇跡。

 

f:id:atelier-agen:20201020142325j:plain

 

最後のプログラムのチケットをいただいたのは、プログラムにはない夜会(フィナーレ)をぶち込んでくるのでは?という予感があったからで。まことさんがいて、音楽隊がいるんだよ?

 

ほらね、ありました。しかもこの部分は配信には乗らなかったらしい。えへ。ラッキー☆

 

 

キャロットタワー前で、ゆきこちゃんとさんきちゃんと3人で、長い長い立ち話。実はマスクの中で鼻水垂れてたくらい寒かったが、離れがたい。お酒のみにいっちゃう?と言い出したいのを我慢しながら。

主催者がこれだけ安全に配慮してくれたのだから、その流れは大切に。

 

意識しないうちに今年の夏は過ぎてしまったけど、秋も過ぎてしまったねえ。来年は、解けるといいねえ。なんの確約もないよねえ。でもオリンピックをしたい人たちが、いろいろどんどんと緩めていくと思うんだよねえ。だからこそ各自で気をつけなくちゃだよねえ。

 

トンネルは続いていくことを忘れてはイケナイ。

 

 

 

 

 

でもこうして、みんなと会えて、少しはおしゃべり出来て、

 

ほんっっっとによかった!

 

 

 

もう一度。大勢にありがとう。

 

 

 

 

50年前の疑問

小学生の頃『アタックナンバー1』というアニメを観ていて、漠然とした疑問があった。50年たった夕べ、急にわたしの中で、その謎に決着がついたという話。

 

 

名まえもしらないキャラである。最初はライバルのチームにいたのかな。主人公に憎々し気だったのが、やがて仲間になり、かわいげも見せるようになってたと思う。(その頃にはわたしがテレビを熱心に観なくなっていた)

 

片側に寄せたひとつ結びという髪型が気にいらなかったのだ。さびしい顔立ちにまるで似合っていないし。主人公やライバルの引き立て役だとしても、手抜きすぎる髪型だと小学生ながらに感じていた。

 

だって、実際にそんな髪型してる人は世間にいないし。

このお話の中ではわき役だとしても、かの女にとってはかの女が主人公なはずだし。そうしたら一番似合う自分を工夫するよね。

 

きっと原作のまんがでは、数コマぐらいにしか出てこなくて、その場しのぎのバリエーションとして描かれたんだわ。アニメだとお話を引き延ばすから予定外に出番が増えたんだわ。わたしはそんなふうに考えた。

 

(そういう子どもだったんです)

 

 

 

夕べの脳内で、どんな錯綜があったのかはわからない。

 

先日観た『漫勉』という番組で浦沢さんが、ちば大先生に「『のたり松太郎』にでてくる名まえのないわき役たちのすばらしさ」を褒めてらしたことや。

 

自分がセミショートをひとつに編み込むとき、(からだが固くなったのかw)首筋でなく左肩上で結ぶほうが楽になったことや。

 

 

そうか。あのコは後ろで結ぶのが技術的に苦手だったんだ。と思いついたの。肩上でしか結べなかったのよ。

ああ。なんかスッキリした。

アニメの(男子?の)描き手の問題でなく、あのコ自身の選択だったのなら、いいのよ。それで。

 

 

 

わかってもらえるかなあ。このビミョウな思い込みw

 

 

 

そして。出会うひとりひとり(子どもの頃に観たアニメのわき役のわき役)のそのあたりの深みまで意識せずに踏み込んでしまうから、わたしの心はおかしなことになりやすいのだわと、最近気づいた。

 

うん。あなたの気づかぬあなたの深みが、わたしには見えている、かも。

 

会田誠サン

「読み始めた本がおもしろいよ」と友人からLINEが来る。「多摩美の芸祭のはなしなの」。タイトルを検索かけて、あれ会田誠さんって多摩美だっけ? 「芸大。昔、ウチの芸祭に来て驚いたらしい」 へえ。

 

この友人はときどき、わたしにとっての「神の声」を降らす。なんかテレビでやってたから。と渡されたメモは、そのあとわたしの大きな指針になるとかね。

なので、この本も即買い。

 

↓↓ リンク先はKindleだけど、買ったのは紙の本です。

げいさい (文春e-book)

げいさい (文春e-book)

 

  

で。芸祭ってのは多摩美の学生主催の秋の文化祭のことなんだけど、

昨今は女子学生が増え、それに伴う親御さんのチェック&クレームに、アルコールなしで時間厳守の祭りと化し、この本に書かれているカオスはもう見る影もないそうです。

 

(そうね。あげんさんの大学時代は、こーいう世界観の中で揉まれたのね。なるほど。の参考にはなります)

 

この本すごいなと思うのは、読みやすい青春時代の告白の態だけど、ち密な計算で描かれているある種の芸術論(結論はない)で、だけど、みじんにもそんな感じを残してないこと。 

そうか、と思うのは、

 

わたしは美大って、100人1000人の中にいるひとりの天才を支え、持ち上げる(学費も含めて)ためのシステムかもなあとも感じていて。

(だからと言ってその他が不幸だというわけでなく、その他なりの人生の豊かさの追求は確実にあり)

会田誠は天才の側だよねえ。うん。そうか、やっぱりな。

 

そして読み終えてからはずっと、

(↓↓ちょっとネタバレ)

描きたいように描いた絵は、案外、評価(受験の合否)されないってことを、わたしは深く受け止め、考えてます。だよねえ。他人の価値観、わかりやすさとの兼ね合い。ああ。

 

 

以前、清春白樺美術館で、父に現代アートとは何かを説明するとき、一番わかってもらえたのが、会田誠さんのお弁当のオブジェでした。そこが理解できたら、他の作品のおもしろさやつまらなさが広がったようで。

  

 

 

一度だけ、お見かけしました。

 

フェスティバル・トーキョーという演劇イベントに、一度だけボランティア・スタッフとして参加しました。や、なんか同じボランティアなのに、若いコたちに基礎の基礎を教える側に廻りがちになり、搾取され感が半端ないので一年でやめたのですが。(若い演劇人たちとの有益な会話もあったけれどね)

 

それは、演劇とインスタレーション(空間デザイン体験)を足して割ったような作品についたときで。劇場を変化し続けるギャラリーとして構成し、客たちは作家の意図をたどって歩き回り、最後にメッセージにたどり着くという。

あーそのときもねえ。

ボランティアは普通、受付とかロビーの補助とかをして、中抜けで作品をみせてもらうというのがスタンスなのに。マチネはね、わたしもその扱いだったのだけれど。

ソワレでいきなり、お客を誘導する係を振られたの。その場で地図を覚え、流れと手順を覚え、まあ、作家の意図が分かりやすかったから(マチネで理解できてた)、どうにかこなせたようなもので。(1時間ミスなし! 褒めて!)

 

そのときのお客の中に、わ、会田誠だ! (←心の声)

 

お客の誘導には、無言での座ってください、立ってくださいという所作も含まれていて、きゃ、こっち見たわ、見たわ~! (←心の声)

 

 

あのときほど、

この作品をどう見ましたか? と、ご感想を聞いてみたかったことはない。けど、かなうはずもなかった。

 

 

さて。『げいさい』の冒頭の、パフォーマンスを観ている描写の中に。

わたしは、あのとき訊きたかった、作品の感想のようなものを読み解き、

 

今さらながらの満足を味わっているのよ。