あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

ゲッセマネ

10代の頃、古い映画をひととおり観ておくことが教養の一部であると思っていた。

その中で出会ったキリストの生涯を扱ったどの作品かで(つまりタイトル忘れました)、ゲッセマネのシーンと出会った。それまで読んでいた児童向けの聖書物語的な本には出てこないシーンに、わたしは撃ち抜かれた。

金髪でハンサム(つまりアメリカ映画であったことは間違いない)なキリストが、自分の弱さと向き合い苦しむ。最後には重い運命を受け入れる。

 

生きることがわけもなく辛く苦しいとき、そのシーンはわたしに寄り添ってくれることを知った。苦い毒の盃を飲む。それだけならできるだろうと。(クリスチャンだったことはありません。教養としての知識とキャラへの共感です)

 

 

劇団四季のミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター』と出会ったのは、美大受験の忙しさを縫っての高二の冬。鹿賀さん(退団されるまで出待ちファンでした)のゲッセマネは、ジーザスの苦しみを身近なものにと引き寄せてくれた。なにしろジーザスから素に戻った鹿賀さんは、楽屋口でわたしと言葉を交わしてくださったので。「今日はあのへんの席だった?」「は、はいっ~」

 

そして。

多感なお年頃ゆえに眠れない夜、泣きながら小声で歌詞をつぶやくことで、わたしはずいぶんと救われたのよ。

 

 

鹿賀さんの退団後、ジーザスを引き継いだのが祐一郎さんだった。サーファージーザスと姉さんマリア(久野さんでした)だね、とか陰で友人と言っていた。ちなみにチケットを取ってくださった役者さんの楽屋にご挨拶にいったついでに、デビュー一週間のサインをもらってるので、生意気盛りの大学生が一応納得できたジーザス/ゲッセマネだったのかなと思う。

その後、公演を重ねるうちに、祐一郎さんのゲッセマネは化けていった。

 

歌声に圧倒・支配される客席で、どんな波長があってしまったのかわからないけれど、苦悩の向こうに、宇宙を感じたり、侵食し伸び続ける植物がみえたり、した。生きづらさが生きづらいまま解放される感じだった。(わたしには、ね)

 

 

というわけで、ミュージカルのあなたのナンバーワン曲は?と問われて、「祐一郎さんのゲッセマネ」と答えた記憶がある。確か「笑って死んでいける気がする」と、オヒレをつけた。

 

 

帝劇トークショー『マイストーリー 素敵な仲間たち』で、アッキーさんに乞われて祐一郎さんが一節を口ずさんだとき。

一瞬、めまいがした。アレ、これを聴いちゃったら、わたしはいつ死んでもいいですってことになっちゃうの?

 

 

 

でもチョット違った。

 

東宝の舞台だったので、口ずさんだのは英語の歌詞だった。耳になじんでいる四季のもったりとした日本語の歌詞ではない。

懐かしくて、新しかった。

何倍もの情報(英語と日本語の差)が、透明な音質でさらさらと立ち上り、新しく大きく花が開くのを見る想いだった。

祐一郎さんご自身の内面も、こんなにこんなに変わったのね。(そりゃねえ)

 

ってか、ふつーに英語の歌詞を入れて、ちゃんと解釈つけて、消化してるの。うわ。

うわあ~~ (ハートマークいっぱい)

 

 

 

うしろ向きでこそこそと口ずさまれたゲッセマネ。(←たぶん版権の問題?)

歌が生まれ変わっていたことに感動する。

アートに最終形態なんて、ないんだなあと思う。空間と時間のアートとして、一曲の歌も、新しい切り口で変わり続ける。花開く。

 

 

というわけで、ミュージカルのあなたのナンバーワン曲は?と問われて、「祐一郎さんのゲッセマネ」と答えるまでは変わらないけれど、

 

内容は書き換えられてしまったのよ。というお話。

いつかちゃんと聴けますように、の願いを込めて。うん。今度はそれを聴くまでは、死ネナイ。

 

 

あの場で唐突に、歌って!と言ってくださったアッキーさん。感謝です。ありがとうございました☆

 

 

 

 

でまぁ、ついでに、ロンドン公演をいろいろと懐かしく思い出した。

 

初日はまだ友人たちとウィンダミアにいたんだっけか、わたし?とか。

チケットトラブルで、裏に回って営業のコを呼び出して対応してもらったけど、申し訳ないほどトラブル続きの中で大変だったらしいと後から知ったんだっけ。あれ、あとからちゃんと謝ったかしら?とか。

ロビーでボスとすれ違ったとき、ご挨拶したけどほぼ素通りされた?と思ったら、二度見されてから、改めて無視されて。次の日、公園を散歩してたらわしゃわしゃと胸騒ぎに支配されて、で、あとから、え。まさか、そのシワヨセ? なエピソードを聞いて。んなこともあったよなあ、とかw

 

この公演は、ロンドンの新聞の一コマまんがのネタにもされた。十字架にかかったジーザスが、花魁道中のヘロデを見下ろし、「下ろせ、あっちの役をやる!」とか叫んでるの。

なにこれ、イギリスの新聞、意識レベル低っ!と言ったら、年上の友人に、新聞まんがのネタにされること自体がどれだけすごいか、そっちでしょうと言われたなあ。 

 

 

■今、見られる『JC=S』リスト

 

 ↓↓ 演出はこれがおすすめかなあ。ただし日本語字幕に非難轟々らしいですw

  

 ↓↓ アリスクーパーのヘロデが(わたしたちの世代には)話題でした。

  

↓↓ テレビ用に収録。英語ではこんな歌詞だったんだと知ったのがこれ。 

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↓↓ 最初の映画は、曲と曲のつなぎが無神経だった記憶が。高校生のとき以来見ていないけどw  ストップモーションがかっこいいか、わざとらしいかで友人ともめた。ジーザス役のテッド・二―リーは、自分に務まるかずっと不安だったけれど、待ち時間に知らない子どもがおずおずと衣裳に触ってきて、自信が持てたってエピソードが好き。

ジーザス・クライスト・スーパースター (字幕版)

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ジーザス・クライスト=スーパースター』の、ナカグロ(・)でなくイコール(=)にこだわったのは、劇団四季の解釈なのかしら。

 

 

↓↓ で、中学生の頃みたの、たぶんこれだな。 違うかな。そんでそのあと、他の映画でジェフリー・ハンターみて、俗っぽさにがっかりしたような気がする。それから、ほかのキリストの生涯の映画では黒髪ジーザスで、そっか民族的に金髪なわけないよね~ と、ため息。観てる時は抵抗なかったんだけど。

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思い出したよ

ひと月に一回くらいはブログ書こうかな、ということでw



祐一郎さんが来月のショーでMCいらないと言ったと記事になってて思い出しましたよ。

今となってはご存知ない方が多いのではと思う。大昔、一回だけEテレ(あ。当時はまだEテレでなかったかも)でインタビュアー(!)やったの。


来日した女性演出家にだったと思う。

祐一郎さんは黒タートルを着てた気がする。女性通訳さんがつきそってた。


当時のNHK教育テレビらしいセットの中、端正にインタビューを進めてたけど、ひとつだけアドリブを入れたと思われる。


女性演出家がこんな大変な体験をしたとおっしゃったあと、にこにこしながら「あー。ケーキを投げつけたいとか思いませんでした?」

「は?」通訳さんが固まった。「うん」にこにことうながす。「でも」「いいから」

通訳さん、軽くにらんだかは覚えてないけど諦めて訳してくださった。演出家は「ええ、思ったわよ」とか普通に流してくださった。

 

もしかして以来、インタビューする方のお仕事なくなった???

でもね、お茶目さんで大好きでした。

ちゃんちゃん☆


来月のチケット取れるといいな。

フリートーク楽しみですよ。




手塚書房にて

そういえば、最近のブログで絵金さん愛については書いてなかったな。(そのうち書きます)まずはそのへんから。

 

江戸時代末期の高知にいた絵師に、わたしは40年くらい恋をしてて。いつかは原画/屏風絵を高知まで観に行く!と思いつつ、言いつつ、なかなか行動にうつせないまま、

なんと。屏風のほうが東京に来てくれて。先月末、ついにご対面した。

会場ではあまりに食いつき過ぎて、高知新聞の方にインタビューされ、翌日の記事にも載っちゃった、などの流れから、

昨日は神保町の手塚書房という古本屋さんに行ってきたって話です。

最終的にはそこで見せていただいた、ある本が衝撃的で、気が遠くなったことまで描きたい。

 

 

絵金さんの屏風に書かれているのは歌舞伎の芝居絵で。(語ると長くなるので端折ります)

大きな絵と対面し、筆跡の勢いを追い、色彩に酔い、息をつめて世界観に身を浸してたとき、わたしの中に轟々朗々とした声が鳴り響きました。

ああ、もしかしたら。絵金さんは酒に酔いながら筆を走らせながら、傍らの誰かにそのシーンの説明をしながら、台詞を叫んでいたのかもしれないなあ。声色を変え、全役をひとりで演じ分けて。

いつか戯曲に起こしたい自分にとって、それは確信に近い感覚でした。

 

 

そうなってくると、歌舞伎の台本、読みたい。漠然と響く台詞の感覚に、ちゃんと言葉をはめたい。えーと。まずはどの作品がいいかな。

うん。今回、原画とは対面できなかったけど『鈴ヶ森』とか。(これを語るとまた長くなる。。。)

 

 

で、ネット検索かけたら、神保町の古本屋さんにあると判明。そのままネットでも買えたのですが、行ける場所にある本屋さんなのだし、ちゃんとモノを見てから判断し、店頭で買いたいかな。と思いついた。

 

 

 

 

神保町駅から地上に出ると、目の前が小学館。新社屋になってから初めて見たな。昔、プロになる前、まんが原稿の持ち込みをして、編集さんの暴言にめちゃくちゃ泣かされた印象が強い。そのトラウマはまだ残っていて、『バクマン。』というまんがなりアニメなりでそのシーンになると、すげーどきどきハラハラする。(あー閑話休題

 

ぐーぐる先生に教わりながら、地図をたどり、この細い道?とのぞき込んですぐのところに手塚書房はあった。

おや、若い人たちが数人いて店内満員? と思ったら、地元誌?地元ウェブ?の取材とかで。よくみれば大きな機材も抱えてて。

入口付近から首を伸ばして、奥にいらっしゃるご店主に、わたしが探している本について告げ、探す棚はあっちこっち?と要領を得ないまま訊いてるうちに、奥から出てきてくださり、そうなるともう、とにかく全員の身動きが取れないので、カメラマンさんは機材ごと階段に逃げ、わたしの連れは「外にいるね~」 

 

で、絶望的に積まれた本の山から、ご店主が『鈴ヶ森』の台本を手際よくみつけてくださいました。わー欲しかったのはコレです~

「他はいいの?」えーと欲を言えば『義経千本桜』。

タブレットを操作してから、このあたりにあるはずかな?とご店主が指さしたのが、本の山の下層すぎて、きゃあ今日はもう大丈夫です。またにします。と手を振って。

連絡くれれば、いつでも取り出しますよ、とか言っていただき。

とにかくホクホクと、薄い台本を買わせていただく。(昨今はその一場しか上演されないので、ちょー薄い)

 

そのころになると取材チームはいなくなり、だけど今度は外に出ていった友人が行方不明で、わたしはひとりで店内に戻り、ゆうゆう見て回る。

じきに友人も戻ってきて。

ふたりでいろいろしゃべりながら、次々と本を手に取っていったわけだが。少女まんがから新劇から舞踏からバレエからモード(衣裳)から和綴じの技術のコツまでと、ふたりで多岐にわたったコメントをこぼしてたせいもあるのだろう。

 

ご店主がさっきまでいたクルーについて話し始める。「今どきの若い人は忠臣蔵を知らないんだねえ。急に説明してくれと言われてどきどきしちゃったよ」それは、ずいぶんとむずかしいですねえ。で、どう説明なさったんです? 「だからさ」おー。「でもぴんと来ないみたいでね」あー、なにも殺さなくてもいいのにねえ、的な?「そうそう」などなど。

 

それから、無造作に縛って積んである、ちいさな芝居絵の木版画があって。これ見てもいいですか?「どうぞ」と、抜いてみたら、もしやこれは、大昔の歌舞伎のパンフレット? うわーうわーうわー。細かい。きれい。ちなみにお値段は?(手帳サイズの数ページものです)「3000円」ですよねえ。戻します。

やだうまく戻せない。「うん。こっちで戻すよ」すみません、お手数かけます。ぺこぺこ。 

 

 

と、3人の空気が温まったあたりで、

「さっきの取材で見せた本だけどね」と1冊の本を見せてくださった。松井須磨子について書かれた本。表紙をめくった見返し部分に筆で文字が書かれていた。

あーごめん。ちゃんとした文章は覚えてない。とにかく内容はこんな感じ。

 

《この本は嫁入りの際「〇〇(女子の名)」が唯一持っていく品である》

 

え。ちょっと待って。

嫁入り道具が本一冊ってどういうこと?

しかも松井須磨子? (←当時のぶっ飛んだ生き方代表な女優)

奥付を見ると大正8年発行第一版とあるから、せいぜい昭和一桁くらいまでの出来事で。

この本の持ち主は、どういう人生を送ったの? ページをめくる手が震えてきた。この感じからすると、この本一冊だけを持ってお嫁にいったって読めるよね。

 

そして今思い出してたら、女文字だった気がする。母親? 学校の先生? 先輩?からのはなむけ。

 

 

ちょうど100年前。誰かが、決心して、暮らしていた、結婚に立ち向かっていった(?)というリアルな感触。その周囲には秘めた熱量があった。女であるというだけの同志たちがいたという震え。はるかな感覚。

 

 

わたしはフェミニストではないので、この出会いをこれ以上の何か(作品とか)に煮詰める気はない。

ただ、

一冊の本の。

その重みは今とは段違いだった。

そのことを、自分の中に深く刻んでおきたいのだった。

 

 

 

 

台本? 読んだよ。名調子の応酬! で今度は、実際の舞台で観たくなった。好奇心のしっぽはキリないわね。

国立劇場のライブラリーで文楽は観たことあるけど、歌舞伎もあったっけ? 

台本の上演について調べたら平成14年1月の浅草公会堂は七さんが出てらしたようで(つまり初役の可能性が高い)、だから台詞の中に「勘九郎」とあるのか。と、別のわくわくも出てきた。

 

ま、今夜はここまでね。

 

『天神さまのほそみち』

燐光群 @ザ・スズナリ

別役実 作  坂手洋二 演出

 

コロナで劇場閉鎖後、初めての観劇! 

ヘアスプレーやらふぉ~ゆ~やら、ここまでいくつの屍(失礼)を乗り越えてたどり着いただろう。

 

検温のために劇場前で間隔あけて並んでるときも、すでに、ああああって感覚だったし、なんなら前の晩からそわそわどきどきしてたわけだが、

アルコール消毒して、合図を待ってからひとりで階段上って、ビニール越しに、受け皿越しに受付をして、

まばらな椅子に座り、静かに開演を待つ間、洗練された美術を眺め、小劇場の最前列だというのに舞台までは2メートルの距離があるわけで。そうして見渡せる舞台が美しくて美しくて。

あーこれから演劇が観られるのだと、うるうる泣きそうだった。自分が泣きそうだという状況に、また泣けた。

 

(で。最前列だったので上演中の、すかすか客席の反応や熱量がどんなだったかは、わかりませんでした)

 

 

3.11直後も最初に観たのは燐光群だったと思い出す。これは偶然ではなくて、燐光群というのがそういう立ち位置、率先する活動をする劇団ということなんだな、とか思う。

 

 

別役さんのシュールコメディ(不条理劇)で、こんなに笑ったのは初めてかも、というくらい笑った。燐光群を観るのも久しぶりだったせいか、それとも役者さんのほうにもやっぱり思い入れがあったのか、

軽やかなお芝居の中に、以前以上の厚みを感じた気がする。なんだろう。ぱすっぱすっと、居場所に当てはまっている感じ。上質で大騒ぎで一貫したハーモニー。

 

あとね、役者さんたちの佇まい。これがなんともいえない、昭和前半の祭りの風情を香り立たせてた。

 

そして観ている側の自分が、いつもよりオーバーアクションで笑っているのに気づく。マスクしてるせい、だと思う。

不条理劇ではね、より観客の反応が役者の背を押すって感覚をわたしは持っているから。笑っている、喜んでいる、頷いているという反応を、示したいと感じている。(最前列の真ん中だし)

 

役者さんのおひとりおひとりが愛しかった。くだらないことで、人間のチカラ関係がくるくる変わる。え、こんなはずになっちゃう? いやいや、だからぁ! あー。

別役さんのホン、すげえな。

 

 

 

8月から映画館はフル稼働になるんだって? それでクラスターがでなければ、少しずつ客席の密はあげていけるのかしら。客席がこんなで採算大丈夫?と、わたしはそっちのほうがハラハラしてしまう。

不安な方は劇場に来なければいい。自分は管理できてると自信をもてる人たちが、来ればいい。

 

誰もが横一列に平等で、同じ権利を有すると考える時代は、終わるのかしら。

自分の考えに添って、自分の行動をセレクトする。おや、書いてみたら当たり前すぎて笑ったわ。でも、

実はそうではない社会になっていたってことなのかしらね。

 

ぐるぐるぐる

すみません。さっきからワンフレーズが自分の中で繰り返されて先に進まないので、

ここに書かせといて。え。文句ある? (笑

 

わたしは高校生の頃、誰もが自由にもの言える世界になればいいのに。と考えていた。

でもそれは、絶対に、今みたいな世の中のことではなかったよ。

 

 

 

 

 

そうか。リツイートされて書かれたコメントは、わたし以外の人からはみえないのね、とさっき気づいて。ええ、ムカついてますがナニカ。そんで、カウントあっていないけど、これはどんなトリックですか?

 

赤の他人さまにそんなこと言われる筋合いないわ。って内容を、赤の他人に吐くって失礼と、

誰もが自由にもの言える世界。

の間には、どんな溝があるのかしら。今言えるのは、礼儀知らず?

 

 

 

 

 

不安なんだよね。生きることが。たぶん。と思う。

だからいろいろ許せない。許せないから、どんどんルールばかりが重ねられ、細かい視座に縛られ、結局他人ではなく自分を縛り上げてく。

そんでいよいよ、あっぷあっぷ。結果、赤の他人を攻撃したい。のかしら。

 

でもそれは、自分で決断していないからじゃないの? 自分のせいだと考えたくないから、他人のせいにしたいのでは?

とかに、わたしは行きついてしまうの。ごめんね。わかったようなこと言って。

 

はい。ウッカリ返信ツイートしないために、ここに書いてます。ごめん。読んでくれた人。

(ちなみに実際しかねなかったであろう返信内容とは一致してません)

 

 

 

 

そうそう。

 

わたし、ずっとコロナ「渦」だと思い違いしてました。「禍」だったのね。ひょんなことで気付かされました。ありがとうございます。コロナ禍。あー恥ずかし。

(会話ではコロナカ言ってたから大丈夫!) 

 

 

で、その、「新しい生活様式」の先について。

人は3パターンに分かれるかもしれないと、考えてたりします。

 

情報に飲み込まれ、ただただ恐れおののき、お上の言う通りの正義警察となる人たちと。

自分で情報を読み解いて、自分で判断して、自分なりのやり方を見つけていく人たちと(行政に頼り過ぎない?)。

何もなかったことにしてやり過ごそうとする、今までと変わらず無関心に生きていく人たちと。

 

割合い? わかるはずもない。

 

できれば早く、みんながそのことに気づいて、住み分けるというか、相手の選択を「理解できなくても認めてくれる」と、いいんだがなあと思う。

でも自覚した時点で、いがみあっちゃうかなあ。

 

今でも、街で電車でマスクしてない人がいるよ、恐ろしや、ってSNSに書きこまなきゃ気が済まない友人らが、何人もいるしね。

 

 

 

 

夕べ、もうおとといか。

夜の小雨。人けのない茶沢通りで。

すれ違おうとする男子高校生が、ふっと緩んだ。たぶんわたしも、同じ表情をした。

 

わたしたち、どっちもマスクをしてなかったの。(わたしは傘を持つ腕にマスクをかけてました)

外出時でも必要ないマスクははずすという選択をしてるだけで、「同志」になっちゃったかも。

 

で、なにがしあわせだったって、

文字通りに袖触れ合っただけの、見知らぬかれのステキな笑顔が、フルで見られたってことよ! あー久しぶりって思っちゃったわ。