あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『アラジン』

(四季劇場『海』。今回、新橋駅から初めて迷わずたどり着けました。ぱちぱち)

 

わたしに台本を書かせてくれてたカンパニーの主宰ジョージさんが、『アラジン』のジャファー役で、役者としての現役復帰を果たしました。

 

数年前、かれの歌声を久しぶりに聴く機会があり、その声の持つ広がりに、なんでちゃんと挑戦しないの?とか言った身としては、

かれの決心とともに、予定していた公演がなくなり、用意してたテキストが宙に浮いても、

心から喜びたい。

 

 

ジョージさんのジャファーは、微妙なズレを感じるジャファーでした。

他の全員が、テーマパークのキャストさんというか、原作アニメのイメージの完コピを目指している中、自分の感覚を信用しているというか、

だから。相棒のイアーゴに対してちゃんと向き合っている人の好さとか、悪人だけどちょっと笑えるおっちょこちょい感とか、ジョージさんならではのジャファーになっていた。これ、舞台役者としてはとても普通のことなんだけれど、最近の四季の芝居の中では異質な方法なのね。

 

最後の見せ場では、劇場をちゃんと恐怖で支配していて。

おかげでカーテンコールではすっかり消耗してましたよ。終演後にお会いしたら見違えるほど痩せてました。(あ。現役復帰に向けてまず、かなりダイエットしたの。打ち合わせのたびに自慢されてましたワ)

 

ジャファーの場当たり稽古では、カンパニー全員がおつきあいくださったとか。以前それを聞いたとき、お、意識高い系のカンパニーなのね、と思ったけれど。 

今回拝見した舞台も、
ロングラン驀進中とは思えない密度と熱量の高さでした。アンサンブルさんたちがぐいぐいとこちらにたたみかけてくる迫力。

もともと普通のミュージカルの五倍くらいの段どりと色彩とテンポで押し出してくるのが楽しい作品なのですが、

あー。わくわくする舞台を魅せてもらったなあ。

 

欲を言えば、動作のメリハリ。それだけ。

 

 

ジーニー、前回とは違う方が演ってらっしゃるけど、区別つかないほど「同じジーニー」でした。そのくらい完コピなのです。それがいいのか、わからないわね。ディズニー作品にかぎっては正解なのかしら。

 

今回の阿久津さん、たしか『マンマ』で誠実な役作りをする人だなと思った記憶があるのですけれど。えー、ジーニーできちゃうんだ、とびっくり。

 

 

 

なんか続けての観劇で、四季ファンに戻った感触だわね。

この感覚で『王家の紋章』(東宝)を観たら、違う何かがみえるのかしら?

休日のためのオーケストラ

友人が参加してるアマチュアオーケストラのコンサートにいってきましたよ。

 

クラシックのコンサートが久しぶりすぎるし。

 

その前日、市民オペラをやっている別の友人に、

ハープ奏者のギャラは別格だとか、
クラシック畑はウラ拍がとれないくらいリズム感に欠ける人が多いとか、

と教えてもらった直後だし。(思い出して超にやついてしまったよw)

 

入口でもらうフライヤーの束が、区民交響楽団とか大学の管弦楽団とかの案内で、わたしには未知の世界がたくさん広がってて。

 

普段とまったく違うことをするの、大切だなあと思いました。世の中には、自分にはおもいがけない類の市民が大勢いるってことを、思い出させてくれる。

 

 

 

こちらのオーケストラは弦楽器と打楽器の音が分厚くて、迫力がありました。(前から九列目の中央の席)

ベルリオーズは昔からよくわからんのだけど、いい演奏だったのではないのかなと思います。黛敏郎は思いがけず面白かった。ガーシュインの演奏は苦手みたい?(わたしがガーシュインになじみがありすぎるとも言う)

 

わたしの身近ではよく、ジャズってたりファンクしてたりするサックスやベース(コンバス)やヴァイオリンが、神妙にクラシックしているのがなんとも不思議であり、 

 

超マイペースな友人が、オケの中で(個性をおさえて)みんなに合わせて演奏しているのも、なんだかとても不思議な気持ちで眺めていました。

 

前日、ミュージカルを演じることとオケで演奏することとを並べて考えていたので、いよいよ感慨深くてね。プレーヤーにとってのクリエイティブの度合いや密度みたいなことなんですが。

 

チェロのおじさまが、ていねいな一音をソロで差し込んだあと、こっそりにんまりとされていて。渾身の一音が満足な出来だった喜び。なんとつつましやかなことか。

求められている景色に向かって、全員で一糸乱さず立ち向かう感。終盤にかけて一体となる高揚感。 

 

たぶんそれがオーケストラなんだろうな、と。

 

  

あのね。

終演後の会場で、うちの地元の乾物屋さんご夫婦を遠くからおみかけしました。なんか、ほのぼのといい風景。今度お会いした時、話題にして遊ぼう☆っと。

買い物

二日続けてデパ地下で手土産を買いました。店員さんがあらっという表情をしてらしたのは気のせいか?

だいたい自分が食べたいからそのお菓子を選んでいるのに、合計三箱も買ったのに、一個も自分の口に入ってないって、理不尽だぁ! だぁだぁだぁ(エコー)

こりゃ、自分のためにも早急に買うしかないわな。今、決心したぃ。

 

 

帰り道。地元のハナマサ(スーパー)でお買いもの。店員さんになんだかめちゃくちゃご親切にされてしまった、本日。

ありゃ? えーと??

いよいよシルバーエイジに突入なのか? なのかなのかなのかぁ(エコー)

 

 

 

日々はこうして悩ましく過ぎていく。

 

 

 

『ノートルダムの鐘』

観た芝居の感想をブログに書きづらくなったのは、今の時代、正直に辛口なことを書いたのが勝手に無責任な一人歩きをする可能性が怖いのもあります。

f:id:atelier-agen:20170401124210j:plain

今回も、この写真を貼るだけでタイトルはぼかそうかと思ってたけど。誠実に立ち向かう気持ちで、書く。

 

終演後に人待ちでポスターを眺めていたら、「ビクトル・ユゴーのノベルとディズニーフィルムをベースにした」という一行に気づきました。なるほど。ミュージカルの舞台版は、そこからさらに進化して第三の新しいアートとして立ち上がっています。

ネタばれにならないように書くと、日本語訳のタイトルからはずされている『せむし男』の部分の解釈の比重が大きく、そこが肝心で、感動的なのです。

パフォーマンスアートの威力を存分に発揮した演出になっている(そして音響効果で計画的に補強されている)のですが、そこに泣かされて、観終わったわたしが最初に叫んだ言葉が「あのシーンはズルイ!」 友人苦笑。

ところでわたしは演出家の持つメッセージに泣かされたのであって、役者のからだに感動したわけじゃないからね。演じる側はそこを勘違いしてほしくないです。

 

聞きかじった情報によると、作曲家さんの息子さんが演出されているそうです。全編、実に演劇的でシックな発想がステキ。日本の演劇でいったら野田さんえりさん好みの、そぎ落とされた見立てや切り替えの多用。

そしてストーリーとは別に、社会に、人としてのあり方に、演劇レベルの深いメッセージを発信しているという意味で、これもまた新しいジャンルの社会派ミュージカルになっています。(『貴婦人の訪問』など、わたしは社会派のダークファンタジーという新しいジャンルの台頭を感じていますよ)

説明台詞が多いのは、子どもたちに対する親切だと解釈しました。この方法論がありなのかありえないのかは、ただいま検討中。なにしろ昨日の舞台では役者たちの処理が下手すぎて、判断しかねる。――

 

 

ほんとにね。わたしは観劇中ずっと、お願いだからわたしを感動させて! この素晴らしい世界感にちゃんと引き込んで! 連れていって! と心の声で叫んでました。

自分の中で、ほんとうはここでこういう効果が発現するはず! だからそこはぁ! とか翻訳しながら、観てたの。

 

だから、とても残念でならない。

 

ダブル主演(って言い方でいいんだよね?)のカジモドとフロローが役割を果たしているから、舞台は成立しているけれど。

あとは、歌と舞台機構だけは超ハイレベルな学芸会か!と毒づきたい。

なによりもクワイアの上手半分! プレスコ頼みのやる気のないお飾りは全とっかえして。

 

 

劇団四季の台詞術は、不器用に朴訥に透明に積み上げていく先に言霊が降りてくるという醍醐味が目標のはずなのに、

みなさん、なんか妙な節回しというか、思い違いの暗闇にはまり込んでいますよ。思い違いに「これならとりあえず文句ないでしょ」レベルな満足をしているから、始末が悪い。

 

この劇団には今、リーディングアクター(もしくは理論)がいないんだな。と思う。

それは退団した役者を呼び戻せば復活する問題ではなく、半分は解決するかもしれないけれど、平成が終わろうとする今、台詞術の進歩は飛躍しているのに、誰もその勉強をしていないんだろうね。

役者たちがその迷路に陥っている責任がどこにあるかはともかく、劇団ぐるみで早く気づいて、勉強してほしいです。

 

日本の若い演出家を外から招いて、どれだけ任せられるか、なのかな。ほんとに、ちょっとした呼吸や気づきの問題なんだ。

 

 

 

さて、

わたしが観たかったのは、フロローを演じる友人マッシュの晴れ姿でした☆ 役作りの混迷も含めて、かっこよかった。かれの人間性が、フロローに幅のある深みを与えかけていました。この役は伸びしろがたくさんあるので、今後も期待だわ。

そして、なにがかっちょいい♪って、地毛の半白髪で勝負に出てるとこですよ。(あとからわたしをみて、そういえば同じくらいのお揃いだなw)わたしたちの世代って、ありのままにナンタラと歌うのが流行りながらも、ほぼ髪を染めてるからね。心意気って言いたいわ。

ちなみにフロローの最後は、初演の『レ・ミゼラブル』の「ジャベールの最後」に匹敵するシーンです。おおー。

  

カジモドは田中彰孝さんという方でした。イメージを裏切らない役づくり。かすれてさえ魅力になる声と、せつなさをやどしたからだがよかったです。

 

 

 

チケット取りづらいみたいだけど、来年はKAATで演るようだし、

演劇関係者のみなさん、一度観てね。

 

 

面会

(ブログ書くのも飽きたなぁと感じているのはもしかしたら――もしかしてこれは、年取った無気力無関心ってこと?と今朝は思いつき(ヤバイ!)。頑張ってでも書いたほうがいいのかな、とか。や、四月莫迦じゃなくてね)

 

昨今は「面会」という言い方をするらしい。

ここのところなりゆきで、友人の出ている芝居のチケットをとってもらい、終演後手土産をもってバックヤードに挨拶に行くことが続いている。なんか役者関係者ヅラするのが自分的に好みでないのだけれど、関係者扱い?で良席をとってもらってるからね、まあ。

ありがとうございます、という素直な気持ちで。

わたしのように、突っ込んだ褒め方や感想をぶつける観客は希少だろうから、そこもお礼のうちということで。昨日会った(観た)友人は、うわ、そこを見破るか!と大笑いになりました。

 

で、まあ。

それに前後して、芝居友だちとライングループでおしゃべりしてて、昔は劇団四季の終演後の日生劇場の楽屋、知り合いひとりいればわりと自由に出入りできてたよ~と言ったら驚かれた。そっか、今では考えられないわね。

(昨日はカーテンで仕切られた通路で文字通りの「面会」でした)

 

そのラインで会話中のときね、時系列の説明をするため記憶の断片をさぐるうち、祐一郎さんとのカケラが浮かび上がってきたんだよ。

最後の楽屋の記憶は、たぶん日下さんのハムレットの終演後で、狭い通路で菱谷さんに劇中で使ってたベレー帽のかぶり方バージョンの説明をしてもらってるとき、周囲をなぜか祐一郎さんがひとりでうろうろしていたな、と。

 

祐一郎さんって、デビューして数日の頃はじめてサインをもらったんだけれど(楽屋でだったと思う)、とても寡黙でらして(爆笑)ね。手を止め首を傾げるだけでわたしの名まえを訊ねたのでした。大学生だったわたしはその仕草にキュン死。

前任の鹿賀さんの大ファンだったのに、祐一郎さんのジーザスにも感銘をうけたわたしは、イラストにして(美大生です)公演後半にさしあげたのだけれど、そのときにはすでに明るくかっる~いおにいちゃんになってらして(場慣れが早い)、わたしの熱は一気にクールダウンしたのでした。あはは。

祐一郎さんの多重な内面の解体は、キャッツシアターで毎日顔を合わせるようになるまで待つわけですが。最初にキュン死した数日があったこと、忘れてたよ~ でも思い出したぁ。

 

 

わたしは劇団のお手伝いをするようになって、お稽古場やゲネをみせてもらうことが増えた代わりに楽屋にはいかなくなって、

 

昨日はそれ以来の劇団四季の終演後の「面会」だったのです。あーなつかし☆