(ブログ書くのも飽きたなぁと感じているのはもしかしたら――もしかしてこれは、年取った無気力無関心ってこと?と今朝は思いつき(ヤバイ!)。頑張ってでも書いたほうがいいのかな、とか。や、四月莫迦じゃなくてね)
昨今は「面会」という言い方をするらしい。
ここのところなりゆきで、友人の出ている芝居のチケットをとってもらい、終演後手土産をもってバックヤードに挨拶に行くことが続いている。なんか役者関係者ヅラするのが自分的に好みでないのだけれど、関係者扱い?で良席をとってもらってるからね、まあ。
ありがとうございます、という素直な気持ちで。
わたしのように、突っ込んだ褒め方や感想をぶつける観客は希少だろうから、そこもお礼のうちということで。昨日会った(観た)友人は、うわ、そこを見破るか!と大笑いになりました。
で、まあ。
それに前後して、芝居友だちとライングループでおしゃべりしてて、昔は劇団四季の終演後の日生劇場の楽屋、知り合いひとりいればわりと自由に出入りできてたよ~と言ったら驚かれた。そっか、今では考えられないわね。
(昨日はカーテンで仕切られた通路で文字通りの「面会」でした)
そのラインで会話中のときね、時系列の説明をするため記憶の断片をさぐるうち、祐一郎さんとのカケラが浮かび上がってきたんだよ。
最後の楽屋の記憶は、たぶん日下さんのハムレットの終演後で、狭い通路で菱谷さんに劇中で使ってたベレー帽のかぶり方バージョンの説明をしてもらってるとき、周囲をなぜか祐一郎さんがひとりでうろうろしていたな、と。
祐一郎さんって、デビューして数日の頃はじめてサインをもらったんだけれど(楽屋でだったと思う)、とても寡黙でらして(爆笑)ね。手を止め首を傾げるだけでわたしの名まえを訊ねたのでした。大学生だったわたしはその仕草にキュン死。
前任の鹿賀さんの大ファンだったのに、祐一郎さんのジーザスにも感銘をうけたわたしは、イラストにして(美大生です)公演後半にさしあげたのだけれど、そのときにはすでに明るくかっる~いおにいちゃんになってらして(場慣れが早い)、わたしの熱は一気にクールダウンしたのでした。あはは。
祐一郎さんの多重な内面の解体は、キャッツシアターで毎日顔を合わせるようになるまで待つわけですが。最初にキュン死した数日があったこと、忘れてたよ~ でも思い出したぁ。
わたしは劇団のお手伝いをするようになって、お稽古場やゲネをみせてもらうことが増えた代わりに楽屋にはいかなくなって、
昨日はそれ以来の劇団四季の終演後の「面会」だったのです。あーなつかし☆