あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

周囲の男たち

永田洋子(ヒロコと読むのね。 今回までずっとヨーコだと思ってました)死刑囚の病死のニュースに。
わりとズシンと来た自分に驚いた。

あの事件そのものが、
みんなで目を背けたい何かの象徴なのだろうなとは思っていたけれど。

事件後、国や社会がかの女に「与えた」人生は、ムゴイものではなかったのか? と思う。
それも含めて、償いなのだろうか、とも。

この時代。 精神の不安定が、責任能力の理由になるのなら。
精神の幼さも、責任能力の理由になるのでは? 
(わたしの考えでは、どちらもノーですが。 もっともその周囲に「一緒に責任を負います」という人がいるのなら、変わってくるけれど)

 

象徴というのは、責任転嫁の的。 生贄。
戦後の天皇に対する責任追及も然り。

いつも恐ろしく思うのは、
象徴の周囲で黙って、従っていた、利用していた、操っていた人たち。
同様に、自分が生き残るために、見ない振りをし、口を閉ざし、考えを封じる人たち。
この責任はいかほどなのか?

特別のコトと思わないように。
この場合の「象徴」には、その辺にいる大勢の会社社長や団体代表も含まれます。