すみません。さっきからワンフレーズが自分の中で繰り返されて先に進まないので、
ここに書かせといて。え。文句ある? (笑
わたしは高校生の頃、誰もが自由にもの言える世界になればいいのに。と考えていた。
でもそれは、絶対に、今みたいな世の中のことではなかったよ。
そうか。リツイートされて書かれたコメントは、わたし以外の人からはみえないのね、とさっき気づいて。ええ、ムカついてますがナニカ。そんで、カウントあっていないけど、これはどんなトリックですか?
赤の他人さまにそんなこと言われる筋合いないわ。って内容を、赤の他人に吐くって失礼と、
誰もが自由にもの言える世界。
の間には、どんな溝があるのかしら。今言えるのは、礼儀知らず?
不安なんだよね。生きることが。たぶん。と思う。
だからいろいろ許せない。許せないから、どんどんルールばかりが重ねられ、細かい視座に縛られ、結局他人ではなく自分を縛り上げてく。
そんでいよいよ、あっぷあっぷ。結果、赤の他人を攻撃したい。のかしら。
でもそれは、自分で決断していないからじゃないの? 自分のせいだと考えたくないから、他人のせいにしたいのでは?
とかに、わたしは行きついてしまうの。ごめんね。わかったようなこと言って。
はい。ウッカリ返信ツイートしないために、ここに書いてます。ごめん。読んでくれた人。
(ちなみに実際しかねなかったであろう返信内容とは一致してません)
そうそう。
わたし、ずっとコロナ「渦」だと思い違いしてました。「禍」だったのね。ひょんなことで気付かされました。ありがとうございます。コロナ禍。あー恥ずかし。
(会話ではコロナカ言ってたから大丈夫!)
で、その、「新しい生活様式」の先について。
人は3パターンに分かれるかもしれないと、考えてたりします。
情報に飲み込まれ、ただただ恐れおののき、お上の言う通りの正義警察となる人たちと。
自分で情報を読み解いて、自分で判断して、自分なりのやり方を見つけていく人たちと(行政に頼り過ぎない?)。
何もなかったことにしてやり過ごそうとする、今までと変わらず無関心に生きていく人たちと。
割合い? わかるはずもない。
できれば早く、みんながそのことに気づいて、住み分けるというか、相手の選択を「理解できなくても認めてくれる」と、いいんだがなあと思う。
でも自覚した時点で、いがみあっちゃうかなあ。
今でも、街で電車でマスクしてない人がいるよ、恐ろしや、ってSNSに書きこまなきゃ気が済まない友人らが、何人もいるしね。
夕べ、もうおとといか。
夜の小雨。人けのない茶沢通りで。
すれ違おうとする男子高校生が、ふっと緩んだ。たぶんわたしも、同じ表情をした。
わたしたち、どっちもマスクをしてなかったの。(わたしは傘を持つ腕にマスクをかけてました)
外出時でも必要ないマスクははずすという選択をしてるだけで、「同志」になっちゃったかも。
で、なにがしあわせだったって、
文字通りに袖触れ合っただけの、見知らぬかれのステキな笑顔が、フルで見られたってことよ! あー久しぶりって思っちゃったわ。