あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

ストリートミュージック

FBで流れてきた記事ですが、
わたしがシェアしたい人たちはFB以外に多いので、こちらで転載します。
 
↓↓ まずはもとの映像 
http://www.youtube.com/watch?v=hnOPu0_YWhw

【記事の概要】
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ある寒い1月の朝、一人の男がワシントンD.C.の駅でバイオリンを弾き始めました。彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。その時間帯は通勤ラッシュだったため、約1100人がその男の前を通りました。
(略)
彼が演奏した一時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は誰もいませんでした。稼いだお金はたったの32ドル。
(略)
バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。(略)それも3億円のバイオリンを使って。
彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートのチケットは、一枚一万円するものの全て売り切れました。

これは実際にあった話です。ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験としてワシントン・ポスト紙によって行われました。私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか?それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるのだろうか?
一つ結論として言えるのは、
もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?
 
 
(FBのコメントもおもしろいです。ミスリードだと指摘する声もちゃんとあるし。辿れる人は読んでみてね)
 
 
 
で。
この先はストリート・パフォーマンスとしての視座から。
 
映像を聴いていると、
音はさすがに素晴らしい! 現場でもこのレベルで聞こえてたのかしら、駅のホールで、雑踏の中?という疑問と。
 
パフォーマーさんがどれだけ、空間や聴衆(通行人)に音楽で語りかけていたのかしら? 別世界に巻き込もうとしていたのかしら?という疑問も感じます。
 
演奏家がすでに、結論(足をとめる人が「いない」現実)に沿った演奏をしていないか。 
 
ストリートの演奏というのは、行き過ぎる赤の他人との「会話」みたいなもので、
深い「自己との対話」とか「問いかけ」とかではとても成立し辛い。他人は立ち止まらない。
劇場という約束(契約)され閉ざされた空間でのパフォーマンスと、同じには語れないのです。
 
だいたい、何故バッハ? 
あの空間にバッハを響かせる意味をちゃんと持って、計算して、演奏している?
 
パフォーマンスとしての「居場所」を成立させないで、見物側のスタンスの実験と言われてもね。

 
ということをまず前提にして、語れるといいね。基本的な教養みたいな感じで。と思います。
 
 
 
 
ところで。
もひとつ視点を変えて。
 
会社を遅刻した理由が、
駅中の大道芸のすばらしさに足を止められて!だったとき、
あなたは部下のタイムカードに承認のハンコを押せますか? wwwww
 

2013/01/29 追記
↓↓↓
ストリートミュージック 2