作・演 ケラリーノ・サンドロヴィッチ @本多劇場
SNSに上がってくる情報に、あー観たい!となり、一週間前にチケットを買いました。
なので席が後ろから2番目で、ただし、どセンター。が、しまった。前の女子の座高が異様に高いw 同じ理由からか、隣の席の男性がずっと、こっちの席までからだをはみ出してきてて、なんかね、ずっと窮屈でしたw
そんなにいくつも観ているわけではないのだけれど、ケラさんが創る舞台って、まるっと全部がケラさんで。
あの役者さんがとか、舞台美術がとか、照明が映像が衣裳が、ではなくて、
あのシーンが、セリフが、芝居が、からだが、でもなくて、
ストーリーや世界観に、どぷんっと溺れて魅せられて、翻弄されるっていえばいいのか。
新作なのだと思うけれど、今後何十年もいろんな形で演じられそうな、ゆるぎのない、強い強いホン、強い舞台、でした。
オープニングのプロジェクション・マッピングが、メチャかっこよくて!
途中のアニメ的な処理は、説明的でどうなのかな?とも思うけれど。
ほかの演出家さんだったらどうするかな?と、楽しみになってしまう部分がたくさんありました。
基本ファンタジーなのに違和感がないのは、役者さんたちの体温のある会話が心地いいからなのかな。
でもどこか、妄信という宗教の持つ気持ち悪さや、人間の持つ清濁の怖さが、ぴりぴりと裏に流れてて。
かなり重いテーマが次々とめくるめくのですが、うわ、ここに? ここにまで? 細かい笑いをぶちこんでくるのね!(ありなのか!)と、その軽やかさが、すごかった。
最後のテオの衣裳? 笑えばいいのか、無視するところか、泣けばいいのか、わからない。
雰囲気的にね、懐かしいタニス・リーの小説を思い出しましたよ。サフランのナンたらみたいなタイトルのやつ。
たぶんコレ ↓↓ 『黄の殺意』ってタイトルだったんだな。
以下。ちょっとネタバレかも。
修道女さまに対するロマンティックな妄想が、いい感じの群集劇になっていて。それぞれの自意識のあり方が、下世話で親密。
命をかけて他人(世間)を信じるというテーマも、修道女さまたちなら違和感がないのね。
かの女たちの最後の選択が、最初から語られているその前にあった事件の謎を説明しているのもスマートで。
ごめんなさい。
台本をいじっている時期に舞台を観ると、そういう見方しかしてないかもと、今気づきました。