わーわーきゃーうひゃー開次さんったら、もぅっきゃーきゃー・・・・・・
開次さんの、言葉にならない身体の景色、を観て。
言葉を使わず、感想を伝えようとしてみました。
が、
無理だわね。 6(>_<〃)
第一部 男性5人による「書」 振り付けが開次さん。
第二部 開次さんとピアニストさんによる「虚空」
という構成のコンテンポラリーダンス。
一面の白い舞台に、
青と灰青とグレイを刺し色にした黒い、撥ねた毛筆の先のような衣裳の5人のダンサー。
ひとりのからだが在り。
もうひとりが現れて、
からだが出会い、驚き、受け止めた(逸らした、対抗した)表情が、
相手を新しく認識し、
からだを使って指の表情を使って、
会話を始める。
大真面目であるがゆえのユーモラス。
自分が他の人と「一緒に」いる意味。自分が人差し指を持っている意味。を知るからだ。
もうひとり、加わった。会話が拡がる。出会いが、無邪気な遊びにつながる。
あとふたりも加わった。遊びは、スピードを増し、もつれほぐれて、つながり離れ。
文字をなぞるようなからだの流れは、わたしたちの意識を浮遊させ、
邪気の無い遊びが去ったあとには、
墨痕あざやかな曼荼羅の模様の上に残された、自分の意識に気づくのよ。
そして、からだたちは、ゆぅるりと。
仏のからだとなっていく。曼荼羅を構成し、天へとゆらりと立ちのぼる――
そうそう。
先日TV「日曜美術館」でみかけたエレメントが、風や水滴やウシガエルさんが、
チャンとモチーフになっていて、思わず微笑。
そして。
その前に、さ。
んっとね。実はわたし、少しくたびれて劇場に行ったせいもあり、
いよいよ開次さんのダンスが始まってしばらくしたときフト集中が途切れて。ピアノと舞台の共鳴システム(舞台装置)に意識が引っ張られたのね。
その瞬間。
開次さんから平手打ちみたいな意識がぱしっと飛んできて(たぶん)、
こっちは命を賭けて真剣に踊ってるんだから、そっちも真剣に必死でいてよ、みたいな。
^m^
びっくりしたぁ。
踊っている開次さんのからだには、開次さんという個がない、気がする。
何か別の存在に踊らされている感じ。
顔もまるで別人。
大いなる宇宙か何かの御使い? 土地神? 憤怒の相。
開次さんのからだを通して、
紅の炎になったり、金色の光になったり、女のからだになったり、生れ落ちた命になったりとイメージが重なり流れていくうちに、
わたしのからだもキツク緊張して、「痛く」なってきたのでした。
キツイ痛みの共有。痛い痛い。身動きできない。泣きたいような緊張。
張りつめる。
この痛みは、罪? 罪のつぐない?
そして。その痛みの向こうに、
創生はある。
やがてちょっとだけ、やわらぐ痛み。だが繰り返される痛み。
生きることは痛いこと。それを受け入れ創生して、の、繰り返し。
うん。そうだね。――泣きそうだ。
創生は、知恵の派生とつながり(たぶん)。
智恵は息、言葉以前の言葉へとつながる(たぶん)。
ああ。そうだわ。
ひとりの魂の成長。
・・・・・・
ん? あれ? あああああああっ!
『曼荼羅』の意味、ここかぁぁぁぁっ!!!
(参考資料↓↓↓)
http://agen.blogzine.jp/for_you/2011/09/post_e463.html
5人で踊る曼荼羅。ひとりで踊る曼荼羅。ぎゃあっ、ヤラレタ。そーいう意味かぃっ!
んで。
うはぁっ❤と気づいた瞬間、開次さんがにやりとした気がしちゃうから、
始末に終えん。
カーテンコールで。
ようやくやわらかな開次さんの顔、になった。ほっ。
共演者さんたち、スタッフさんたち、居合わせた観客たちを
大切に思う開次さんの気持ちが伝わってくる。
はあ。しばらく座席にお尻がくっついたまま。立つのがもったいない気持ちでした。
ありがとうございました。