読解力というのに対して聴解力とは言わないよなあと思いつつ、
入力したらPCがちゃんと漢字を当ててきたので、そういう言い方があるのか?と検索してみました。
英語のヒアリングの力として使われるのがほとんどで、あとは個人的な使い方がチラホラみたい。
ふーん。
聴解力という言葉を思いついたきっかけは、
その人が語ろうとしている真意、言葉の奥を汲む/図ることなく、
言葉尻にばかり噛み付いて、糾弾して、得意になる風潮。
マスコミも個人も。
語る側の言葉足らずの責任もなくはないけれど、
どんな思いがベースにあるのか、聞く側はなんで気がつかない?
読解力というように、聴解力を磨きましょうとか。
行間を読めというように、その人の想いを汲む力を磨きましょうとは、
ならないんだなぁ。むしろ磨きたくないのか?とか。
チョットそんなことを考えたの。
ネットニュースとかで、またまた現大阪市長があほヌカシたらしいと聞いても、
今さら興味もなかったけれど、
それにしてもなんでここまでばかばかしいこと言ったんだ?とあきれたけれど、
TVでご本人が実際にしゃべっている様子を数秒見て、
かれの気持ちは全然別なんじゃないと、わたしは感じましたけどね。
弁明するのも変だけれど、
かれはたぶん、
世界中で起きていることを、何故日本人だけ特化して責められなきゃいけないんだ?
という考えがベースにあって、
下手な弁明をくりかえしちゃって。
まぁ、あとから撤回はしたけど、とにかく最初の一言は頭が悪すぎたから仕方ないのか。
にしても、
マスコミは、シンプルに事実だけを語っているようで、
実は全体を無視して、興味だけをあおってて。
あおられたおばかはうれしそうに攻撃を開始して、
とにかく今回、
本人の様子をみなければ、わたしも鵜呑みにしてたわけだし、
怖いよなぁと。
世の中はかれをあげつらうことで、何を得たいのだろう?
本質ではなく、枝葉を騒ぎ立てることで、何を生み出したいのだろう?
じゃあ、代案として、何が考えられるのか、
そっちを話題にはできないの?
だいたいかれは、代案を提示しようとして馬鹿を始めちゃったわけで、
そのへんも汲む部分じゃないのか?
過去の自業自得があるにせよ、
勉強不足にもほどがある(ブレーンが貧弱?)ことが多いのも事実だが、
それでも気の毒な気がしたわ。
そこから派生して。
ジェンダー先鋒者のヒラリーおばさんの突っ込みというかすり替えに、
(慰安婦 → 性奴隷)
振り回されてる日本人たちに、
わたしは右ではないけれど、
もう少し、日本人としての誇りを持ってシャンとしてたら?と思わなくもない。
未だに、外国さまに対して猛烈に恥ずかしいと発言することで国際派ぶる人も、
わたしの感覚では、ちょっと恥ずかしいし。
文化の違いについての許容を、思い違いしてるように思えるんだ。
クリスチャンじゃない日本人と、キリスト教圏の文化価値は異質であることが前提だよ。
言葉を摩り替えて矛先を見当違いに誘導されてることに気づこうよ。
歴史の判断は常に、ふたつの価値観をイメージしなきゃいけないと思う。
当時の価値判断と現在のとでは、大きくちがうはず。
当時としてはほかに選択はなかったけれど、今の判断としては――
という見解を意識する。
ついでに。
最近の日中韓の仲たがいは、アメリカの経済政策だって気がしてるのですが、
どこかで解説してくれてないかな?
わたしは戦争や原発に対して、強い嫌悪があるけれど、
「みんなで自由に誇りを持って生きていく」ということを考えていると、
お金の問題を無視できないとたどり着くし、
そこに気づいた人は経済の基盤を考えて、軍備とか原発を容認したくなるんだろうなと、
一応、理解に努めてみる。
お互いの持ち物やファッションを褒めあったり、
毎日コンビニで、買わなくてもいいような買い物をしちゃったりしてる日常は、
何に支えられているんだろうかと考え、
自分の根底に対する嫌悪と、気持ちの摺り合わせやすり替えをして、
せめて、
わたしにはあり得ない価値観の持ち主が、
何を語ろうとしているのか、汲み取りたいと願う。
そうだね。
世の中のマスコットを、あげつらったり騒ぎ立てることで、
自分を(匿名で)アピールしたい人の心も。
今のところ、貧しさ浅ましさしか汲み取れないのだけれど。
さまざまな問題に対しては、
だましだまししながら少しずつ、意のほう、よりよいほうにに持っていく。
日本人の本領は、そのへんだよねぇ。やっぱ。