平昌オリンピックのフィギュアスケート男子シングルで、日本勢がワンツーを決めた直後。宅配便が届きました。
わたしはほんのり涙ぐんでいた言い訳もあって、ちょうどピンポン押しててたぶんまだ知らないであろう仕事中のおにいさんに、「フィギュアで日本がワンツー取りましたヨ」とか話題にしたのですが、
「ああ、はい」となんとなく流されてしまい、少し恥ずかしかったのでした。そりゃ世の中の誰もが、自分と同じ想いでいるわけでは、ないよねえ。
これはわたしの、あくまでもなんとなーくな思い込みなのですが、
どんなケガをして、どこまで治っているのか一切語らず、ただ感謝と決意を口にしているゆづくんが、ずっとかわいそうでたまりませんでした。
本当だったら棄権したほうがいいケガなのかもしれない。
でもゆづくんは、大きな経済効果の超目玉商品だから、すべてを背負って出場しなきゃならなくて。そうさせているのは、スケート協会なのか日本政府なのか旅行会社なのかマスメディアなのか、裏付けはないし、まるでわからないけれど、ただ、
そんな社会に、日本人に、勝手に怒りがこみ上げてきたのでした。
それでも、だましだまし、ギリギリを測りながら滑るんだろうな、かれは。日本中の夢を背負って。
なのでかれが滑り切ったとき。わたしは(勝手なイメージが大部分なんだけどw)泣かずにはいられなかったのです。
黙ってすべてを背負いきった潔さに。
さて。TVでは前後して、祈り続け涙する、ゆづくんの大勢のファンを映していました。それを見ながらわたしは、
――ほとんど宗教だな。と感じました。
ゆづくんは、今の日本人にとって神さまなのかも。特におばさんたちが望む、絶対的に強い(強くあってほしい)日本の象徴。唯一神。
「絶対的に強い日本」「世界ナンバーワン」を求める様が、宗教にも感じられるくらい強いってことは、ちょっと背筋が寒くなる気づき(もしくは思い違い)でした。
え、なに? なんで?
まあ、全部、勘違いかもしれませんけどね。
既存大手マスメディアが描かない向こう側も、ちゃんと見据えないとなあ、と注意深くなっているのは、ジャマイカと下町のボブスレーの件があるからです。
そのへんについて津田大介さんが簡潔にまとめてらして。今、リンク貼ろうと探したんだけれど、そのページがみつかりません。(いつもながらすみません)
下町ボブスレーはそんなにいい出来の製品でないのに(日本チームは拒否してる)、政府のものづくりPRに利用されて、だからジャマイカチームが正直に拒否したら、契約というより誰かのメンツがつぶされて大騒ぎになった、みたいな内容。確か。
ひとつひとつの事実を拾い上げてつなげていくと、そういうストーリーが見えてくる。けれど、そこを突いてくるマスメディアはいないことを、わたしたちは知っていなければならない。
小学校のアルマーニ騒動もしかり。公立とはいえ、すべての学校形態が同じでなければいけないというのは、その以前の問題から考えたら、言いきれないわけでしょう? とわたしは思う。
今後、マスメディアの情報は、二極化(※)の前提を意識して、注意深く吟味しながらサーフィンして読んでいかないとねえ。と思う。
※ ライセンスはく奪に縛られて、ある程度は政府都合の垂れ流しを義務付けられてしまう大手既存と、ほぼほぼ無責任だけれど、多少の真実は含んでいるネットの無法地帯の二極って感じかなぁ。
あ。長文になってきたので、一度文章を切ります。
次は今回のオリンピックについて、デス。