先日、長年の友人と話していて、
自分の体質というか資質について、かの女には説明したことがなかったことが判明し、驚く。
ずいぶん、アチコチで話しているようで、スゴク肝心な人には言ってなかった?
ええ? あと、他の、誰に言ってないんだ? ま、まさか???
わたしは巫女体質っていうのか、
と説明することは、今後なくなると思うので、ここで語っておくことにします。
その人が、一番言ってほしいことに気づき、臆面もなく言葉にして、前向きな気分にさせる。
精神対話士の役割りは、わたしの日常の延長線上にあたるものです。
思いがけない場所で、思いがけない知り合いとバッタリ遭遇し、
「ちょっとお茶しない?」と誘われることは、まあ、普通にあることですよね。
ただ、わたしの場合は、この辺からあーあー、またかぁ、と思ったりするのですが、
そのあと、
喫茶店とかティールームで、
そんなにつきあいがあるとも言えないその相手から、
ご自分の半生をぶちまけられて、号泣されるコトになるのです。
泣きじゃくる女子の横で、黙ってコーヒーを飲んでることに、ええ、慣れてますよ。
たまたま乗り合わせたタクシーの運転手さんに、マンション近くの路上で20分くらい拉致されたこともあります。 人生相談されて。
連絡先を教えてくれと縋るのを、振り切って降りた。
そんなとき、
必要としている人から呼ばれた、という感触があります。
だから、静かに受け入れるしかないんだろうなぁ、と。
精神対話士についての本に出てくる、基本技術。
「聴く」「褒める」「気持ちに寄り添う」「説得ではなく納得させる」「自分で気づかせる」「声」「笑顔」とかとか、笑笑っ、なんとなく、いつもやってますけど?
ってことだったようです。
だから話が、そういう方向に流れやすかったのかなあ。
とにかく今回、あんなこんなを文章でスッキリと説明されて、
過去にしくじったなぁ、あそこはどうすればよかったのかなぁというアタリが解決されました。
あ、講義が頭に入ってこない!って騒いだのは、医療とか看護とか心理学とか、外堀な知識のことです。
これからは、広い価値観(死生感や宗教など)の中からベストをピックアップできる自分を育てていかなきゃイケナイと予感しているので。
精神対話士という言葉も知らない頃から、
社会の中でそういう自分を活かさなきゃいけないのかなぁと思いつつも、
でも、わたしがやりたいことは別だしとか考えていたけれど、
この震災を機に、
いよいよ、そちらにも歩を進めたってところなのでしょうか。
因みに。
その人が、一番言ってほしいことを臆面もなく言葉にできるということは、
キズつけるコアも外さないってことです。 怖い怖い。 はい、二度としませんとも。