昨日、ネット上のどこかで。
その役のかけらは、かならず自分の中にある。きちんとむきあえるかどうかだ。
的な、役者向けのお言葉を読み。
昨日は、三茶de大道芸のための、ものづくりボランティア始動の日で。(これから一か月半、突っ走れますよーに。おー)
橋本Pが指向するアートについて、ちょっと言葉にしたせいもあると思うんだけれど。
朝、目覚めた枕のうえで、ぼんやりと。
わたしの中にあるはずの「情念」って、どの部分?
と、考えていた。
わたしにとっての、打ち消しようのない日々の不安は何? 不満は、ない、気がする。んだけど? あー歳をとった経験値として、上手に処理しすぎて、もー気配すら残っていなくて、
かえってツマラナイ人間(表現者?)に、なっていないか、自分?
これは日本社会のひとつの風潮でもあって、
自我を押し付けるなんて超かっちょ悪いし、とか。
負のエネルギーをいかに上手に避けて、今日も一日、わたしは無事にハッピー♪ こんなに上出来♪ ありがとうね、みんな♪ 的なスタンスが最上とされてる、みたいな。
だけどさ。
や、いいのか、それで? なにかがすっぽりと抜け落ちてないか?
とか思い始めてる矢先でもあり。
コスパって優先上位な選択ですか? とも、考え始めたし。
まあ。
他人に向けて、ではなく。
あくまでも自分との対話として。
わたしの中の情念とか、執着とか、妄執とか、嫉妬とか,固執とか、憎悪とか、嫌悪とか、立腹とかを、スッと掘り出しカタチとしておきたい気分になる。
(う。この「スッ」という言葉を使う時点で、すでに、なにかが抜け落ちてるのか、目をそらしているのか、もしかしたら?)
で。
えーとえーと。
絵、かな。絵を描く、かな。言葉を編むことでなく。とりあえず。
(昔ね。この「とりあえず」という言い廻しが、ものスゴクわたし(アハラさん)的だと言われたことがあります。そなの? 自分では、わかるようなわからないような?なんだけど)