あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

わたしの中の 情念

昨日、ネット上のどこかで。

その役のかけらは、かならず自分の中にある。きちんとむきあえるかどうかだ。

的な、役者向けのお言葉を読み。

 

昨日は、三茶de大道芸のための、ものづくりボランティア始動の日で。(これから一か月半、突っ走れますよーに。おー)

橋本Pが指向するアートについて、ちょっと言葉にしたせいもあると思うんだけれど。

 

 

朝、目覚めた枕のうえで、ぼんやりと。

わたしの中にあるはずの「情念」って、どの部分?

と、考えていた。

 

 

わたしにとっての、打ち消しようのない日々の不安は何? 不満は、ない、気がする。んだけど? あー歳をとった経験値として、上手に処理しすぎて、もー気配すら残っていなくて、

かえってツマラナイ人間(表現者?)に、なっていないか、自分?

 

 

これは日本社会のひとつの風潮でもあって、

自我を押し付けるなんて超かっちょ悪いし、とか。

負のエネルギーをいかに上手に避けて、今日も一日、わたしは無事にハッピー♪ こんなに上出来♪ ありがとうね、みんな♪ 的なスタンスが最上とされてる、みたいな。

 

だけどさ。 

や、いいのか、それで? なにかがすっぽりと抜け落ちてないか?

とか思い始めてる矢先でもあり。

 

コスパって優先上位な選択ですか? とも、考え始めたし。

 

 

 

まあ。

 

他人に向けて、ではなく。

 

あくまでも自分との対話として。

 

わたしの中の情念とか、執着とか、妄執とか、嫉妬とか,固執とか、憎悪とか、嫌悪とか、立腹とかを、スッと掘り出しカタチとしておきたい気分になる。

(う。この「スッ」という言葉を使う時点で、すでに、なにかが抜け落ちてるのか、目をそらしているのか、もしかしたら?)

 

 

 

で。

 

えーとえーと。

 

絵、かな。絵を描く、かな。言葉を編むことでなく。とりあえず。

 

 

(昔ね。この「とりあえず」という言い廻しが、ものスゴクわたし(アハラさん)的だと言われたことがあります。そなの? 自分では、わかるようなわからないような?なんだけど)