父、94歳。
3月に18日間の入院、その直後4日間で救急2回、からの在宅介護、の現在。
誕生月である今年1月まで車の運転をしてましたよ。なんなら高齢者ドライバーテストも合格してた。
去年の暮あたり。わたしがひどい捻挫をして、八ヶ岳の家に来ても散歩に連れ出せなくなったあたりから。足が異様にむくんできたので、病院から「からだから水を出す薬」をもらったとか言っていたが、日常生活は自立してました。
えーと一緒に病院に行く?と訊いても、ひとりで大丈夫っていうから。うん。このへんは強制的に付き添っていけばよかったよなというのが、今さらの反省ではあります。
はい、コロナ禍でしたが、わたしは月に数度、東京から八ヶ岳に通っていました。まずそのへんの考え方から。
世の中は、高齢者には「安全のために近寄らないのが正解」という傾向でしたが、わたしはそう考えていませんでした。
優先順位の問題。父の心身のぼやけ方(フレイル)の予防のほうが、わたしには上位でした。
基本、一人暮らし(できてない家事があっても怒らない)で、ときどきわたしが訪れるくらいのほうがバランスがよい。囲碁や映像編集など、地元のご友人との交流があれば頭はクリアですが、たまたま日々の交流がないとぼやける傾向が顕著で。でも、わたしとしゃべるとか一緒に映画やアニメをみることで、もとに戻る。
あと、簡単なストレッチ。散歩をいやがるようになっても、腰を伸ばして内臓の位置を調整するのと、下半身の血流を促進する2種類。これだけでもずいぶん違いました。
介護などは不要不急ではないと、百合子さんも言ってましたしね。大声で言うことではないのでひっそりと、種々の注意事項を気にしながら、わたしは東京山梨間の移動をしてました。
おかげで、え~94歳なんですか?と言っていただける、元気な高齢者でいられたのだと思います。
でも、
2月に入ったあたりで、急激に心身が不安定になってきましたので、わたしもしばらく八ヶ岳の家で暮らすことにしました。
ミュージカル『アリージャンス』の解説コミックですが、1・2回めと3回めで、微妙に色味の強さが違うのは、PCが違うからです。3回めのは八ヶ岳の家で作業。本人にしかわからない程度ですけどね。
そして、2日続けて父が大きく転び、
翌2日19日、病院に連れていくことになります。