上演台本という肩書で、『フラッパーズ』のリメイクのお手伝いをしました。
演出家さんの前作への思い入れが強いので、稿を重ねながら、やっぱりあれをこれを復活させて!というリクエストが繰り返され、最後にキャストの人数を変えたいという、とんでもないリクエストが入ってw
ふたり分のキャラの想いをひとりにまとめたので、ちょっと滑らかさには欠けるものの、なかなかの仕上がりまで持って行けたと自負。
顔合わせでの本読み(途中まで)では、初めて読むテキストに、キャストの女子たちが自分自身の発する言葉に、心が繊細に揺れてるのがストーリーにリンクして、めちゃステキで。感動的で。
どうか、このまま。このニュアンスが、稽古を経ても、舞台につながりますように。。。
んんんんんん。
初日、ショックだったのは、楽しみにしていた後半部分を大幅に、前作のに差し替えられてたことで。(あ。わたしは稽古場で、キャストに合わせて脚本を変えるの容認派なので、そのことはまあ、妥協の範囲内)そのために、台詞がちぐはぐになっちゃってたことが、キャストたちに気の毒で。
ほんとごめん。(でも、というわけで、わたしのせいじゃないから!)
ただ、わたしの中で表現とは何か?という価値観がちょうど切り替わってた時期なので、ショックながらも、その分析の裏打ちへと切り替わるキッカケともなりました。
大切なのは内容よりも、観客への「浸透力」ってことで。
構成とか技術とかは、そこに至るための手段に過ぎないってことで。
楽日の公演を観ながら、客席の宿す熱を最後列の席で感じながら、
これはこれでひとつの答えだったんだと、まぁ、納得したのでした。(台詞のちぐはぐは微調整したかった!)
あーでも残念。初読み合わせのあのニュアンス。あそこがわたしの目指してた世界観だったのになぁ。あれを舞台に乗せたかったなぁ。
ちなみに2チーム、どっちも魅力の部分が違ってて。
それも演劇の醍醐味でした。
《桜》は大爆笑な歌のお稽古シーンが、《風》はみくにがみんなと仲良くなっていく過程が、いい感じに機能してましたよ。
そして『フラッパーズ B面』のアイディアの降ってきたんだけど、それは今後どうなることやら、だわね。
※写真は、初日差し入れにつけたカードです