2008/11/1 18・30〜 まったなしスタジオ
と、一応チケットの日付を入れたけど。 そんなものじゃなかった。
かえちゃんの初・演出で、
わたしには初・小劇場用宣伝美術だ。 ちらしとチケットを担当させてもらった。
んで、初・小劇場案内係もさせてもらった。
(さんきゅ♡かえちゃん)
ちょっとだけ(お邪魔なことに)稽古場見学もさせてもらったし、
バルゼの折込用ちらしを届けるついでにゲネ(舞台稽古)も見せてもらったし、
関係者ご招待!でちゃんと1回、観せてもらったし、
次の日のマチソワは、案内のお手伝いをしながらシッカリと全編を2回、観た。
[E:happy01]
役者さん全員(5人)やスタッフさんともおしゃべりさせていただいた。
当然、5回ほど観た中で、「上演する」ことのいろいろも見せてもらった。
そうするともう、この作品がいとおしくてたまらない。
このいとおしさ感が、麻薬なんだろうなあ。
+ + + + + + +
《ちらしについて》
時間がなくて本を買って読む暇がなかったので。
「日系人収容所」と「作・井上ひさし」、
アマゾン検索で得た「あらすじ」だけでちらしの最初のイメージ画を組んでしまった。
カルフォルニアの青い青い空、有刺鉄線、汚れた日の丸と星条旗。
他の井上ひさしワールドから予測できる素朴感、ユーモア、ヒューマン、そして反戦。
どうやら女性5人の話で生け花のシーンがあるらしいのだが、
マンザナ・植物で検索してみてもサボテンとタンブル・ウイードぐらいしかひっかかってこない。
これは却下。
日系女性だからいいかな、とシロツメの花輪が風にほぐされ散る風情、とか。
ちなみに、このくらいのコラージュなら、どこぞのサイトから落とした画像を原型がわからなくなるほど加工して調達できる。
v(^_^)v
それを見てイメージを発展させたかえちゃんのリクエスト。
2行にわけたタイトルのマンザナ(アメリカ)の横に星条旗を、わが町(日本)の横に日の丸を配したいって。
タイトル下に、双方の融合として女優の名前を置きたいって。
痛いほどよくわかるコンセプトだけれど、美しいレイアウトにはなり難い。
どうしろってんだぁーと(内心)毒づきながら。
思いつく。
見慣れた旗を2種、宙に浮かせるのが「不自然でない」状況をつくってやればいいんだ!
有刺鉄線を張りわたし、破けて汚れた旗をひっかければコトは済んだ。
女優さんたちの名前の下には、シロツメの丸く編まれた花輪を置く。
井上ドラマだったら、どう考えたって対立の末、皆一丸となっていくエンディングは外さないだろうから。(決め付け)
そのあともいろいろあったけど、省力。
言いたいのは、
無理!と思うアイディアに立ち向かわせてくれたかえちゃんの押しの結果が、よりよいものへと飛躍させてくれたってこと。
無理だと思っても、必然性をみつけてたどっていけば、ちゃんと答えは見つかるってこと。
《戯曲》
井上ひさしサンの台詞は、こんなに覚えにくい、しゃべり辛い文体なんだと、初めて実感した。
今までは、お話の流れとか構成とかテーマとかをただただ感心していたけれど。
今回だってそれはもう、マジックのように噛み砕かれた描写に、唖然・呆然と感動してしまう。
というわけで、女優さんたちは台詞を入れるのがそれはそれは大変だったのではと思います。
おひとりずつが、ちゃんとその人物としてそこにいて、ひとりひとりがいとおしかった。
《背中》
最後の1回は、お客様の後ろから観ました。
言葉もなく真剣に集中している背中たち。 それがうれしくて、うれしくて。
いいなあ、お芝居って、と幸せでした。
《マンザナ》
毎日新聞で公演の紹介があり、そうしていらしたお客様の中に
実際にマンザナ強制収容所にいらしたというおじいさまがいらしたのです。
辛いことがあったでしょうに、全てを流されたかのように、それは穏やかな表情でいらした。
知識ではなく、実物がそこにいる。
あの戦争はまだわたしたちの生活に繋がっているんだねと、みんなで確認しあいました。