あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『あわれ彼女は娼婦』

先日、塩さまに関するテレビの特番を見ていて思ったのは、褒めるって、強調するって、むずかしいなあということで。確かに塩さまはミュージカル指揮者として無二で魅力的でスペシャルな第一人者なのだけれど、塩さま以外にも素晴らしいミュージカル指揮者さんたちはいらっしゃるんだよなあ、とかね。

(もっとも。テレビという広告媒体で、未知の方に興味を持っていただくためにはいたしかたないか、ともいえる)

 

というわけで、芝居を観て、

あ、演出家さんはこのシーンをつくりたくてつくりたくてこの作品にトライしたのね!とか感じても、誰かに言ってしまうと、じゃあほかのシーンは比較的どうでもよかったってこと?となりかねないのかしらと、心配したりする。

これから、そういう感想を書くわけですが、ほかのシーンの積み重ねがあってのこのシーンでした!とまず書いておこう。全編、すばらしかったです!

 

思いがけずの舞台に近い席で、

うあ、うりゃいクンてばツライところをよくがんばったねえ~なことまで、こっそりと丸見えでwww (ほかの人は気づかなかっただろうけど)

なのにチットモわたしは世界観に溶け込めず、あれこれと細かいことばかりが気になってたのでした。

うりゃいクンの現代的なほのかな猫背は、かれらしいカラーではあるけれど、この役には不似合いでは?とか。
時代劇(シェークスピアの時代のイタリアです)の小道具なのに、手紙がA4のコピー用紙の四つ折りであるとか、求婚の宝石がこどものおもちゃだとか、お稽古でスタッフさんが用意したのをそのまま使ってる?みたいな感覚が、

えー。演出・栗山さんは、こういう無頓着をする方だったっけ???

・・・・・・

気になるのは、現代風なアレンジはあるけれど時代に沿ったお衣裳のなか、うりゃいクン演じるジョバンニだけが不自然ぎりぎりな現代寄り?なのか?とか。

まあ、そんなこんなの、頭の中は?でいっぱいのまま、終劇に向かい、

 

うわあああっ! 栗山さんはこのシーンを作りたかったのねっ!!!を迎えたのでした。台詞はほぼ変えてないんじゃないかと思います。シェークスピアでもありがちな古くさい価値観の、ありきたりなおとなたち(世間)と主人公の応酬の台詞を使いながら。

半ば狂気に落ちたジョバンニは平坦に冷静に、うろうろとぶつぶつとつぶやき、涙し、おとなたちは声を張って誠実そうに正論を説くのだけれど、
価値観が完全に反転するのです。

「ホントウに狂っているのはどっちだ?」と。

まあ、かれの姿勢や衣裳が現代寄りである意味は、ここで活きてきたわけですね。ホントウに狂っているのはどっちだよ!!!

 

これに先立って、似た解釈がもうひとつあって、中嶋しゅうさんの演じる枢機卿の台詞も、いかにもなクサイ内容なのだけれど、
役者さんの静かな声と現代風の信念に裏打ちされて、今!に通じるあいまいがゆえの妙な説得力を持つ台詞にすり替わっていたのでした。(すごい)

 

あわあわ。やっぱ栗山さんだったわー。

 

そしてうりゃいクンというのは、無垢と殺意、透明と憎悪という相反するものを無理なくからだに存在されられる、稀有な役者さんで。ぱちぱちぱち☆

ただし台詞の発し方がアレで正解だったかは、ビミョウだと思います。 

 

 

ところで、

蒼井優ちゃんとうりゃいクンのカップルは、天使のように美しくて美しくて、眼福というやつですね。どのシーン、どの角度からも、高潔で音楽的でウットリです。

ここまで美しくてうっとりなのに、ちっともロマンティックではないのは、あああ! なんでぇー?