友人がSNSで、『桜の園』を日本初演のオリジナル台本(チェーホフが脱稿した原稿のままの新訳。世に出回っている初演時の改稿版でなく)でやると息巻いている。
えーと。とわたしは思う。
その昔、劇団四季も海外から演出家を招いて、そんなことを言っていたような。いなかったかなぁ。わたし自身はその当時から現在まで、チェーホフのおもしろさがとんとわからないので、興味が薄い。
(浅利さんがチェーホフは喜劇(悲喜劇?)作家だとおっしゃってた。それは覚えている。あ。今考えると、なんとなく納得するな)
念のため「桜の園 四季」で検索をかける。ヒットはこれ↓↓と劇団サイトの目録ページのみだった。
うん。このパンフを買って読めば、真相がわかるかもしれないけれど、そこまで親切じゃないしw 友人が意気込んでいるところに水を差す必要もないし。
こうして。
ネットに載っていない情報は、埋もれていくのだなぁと、少し感傷的になる。
その昔。
歴史的な発見!とかと新聞記事に書かれた昭和天皇侍従の日記だか手帳だかの存在を、わたしはとっくに知っていたことがあった。え。なにを今さら? 新聞もしょせん、人が作るものってこと?
この手帳の記述をもとに、津川さんが『プライド』という映画の中のワンシーンを書いてもらったと聞いてたのだ。(東条さんが、陛下から存在を否定されてたと知り、愕然とする)
ただ当時は、わたしがエクセルを使えるというだけで本部に引き抜かれるような時代。ネットは、ささやかな展開でしかなかったし。内輪ネタは内輪しか知らなかったわけだわね。
(今、気が付いたけれど。その日記を読んだことを、公にしてはいけない約束だった可能性もあるわね)
つまり、20年より昔の、ネットの存在しなかった時代の情報は、こうしてほとんどが闇に葬られていくのだわということです。
そして、20年くらい前からこっちは、自在なイメージだけでは物ごとを語れない時代になったってことだわね。