そういえば先日、四季の『ウィキッド』を観てきました。
(これもご縁だな〜と思ったのは、おけぴネットからチケットを入手したのですが、
3人めのコンタクトで出会えた方がとてもとても感じよくて、しかもよいお席でした)
「これはこういう作品として」とてもよく出来ているし、面白かったです。
メインの女優さんおふたりの出来や相性によって、評価が変わるかもしれません。
わたしが観た日は、バランスもよく、活き活きとした舞台でした。
まあ。リクエストしたいことはいっぱいあるけれどね。
整理されてるようで未消化な表現もあって、ときどき戸惑う。
客層がね、興味深かったかな。
おとぎの世界として、重いテーマを他人事として観賞するというスタンスなのかなあ、
与えられたものに安心して、
一定距離をもって参加して。
自分で評価しなくてすむのがいいのかな、
と思ったり。
あとね。
客席の雰囲気にちょっとビビッたの。
ポロシャツにパミューダパンツで毛脛を出したおとうさんとか、
開演前の客席がおしゃべりでわんわん響いてるとか、
えーと。ここは日常空間の延長なのね。
劇団四季については、演劇人が訳知り顔というかいろいろと言うけれど。
「劇団四季」というサブカルを、演劇として語ろうとするちぐはぐが、わかってる発言とは
思えないし、とか考えながら観てました。
「タカラヅカ」もサブカルだと思うのね。
「歌舞伎」とか「お能」とかのように、
他の文化からは完全に独立して、それだけでひとつの分野として確立してて、
信者さまに経済を支えられていると捉えたほうが
すっきりする、というか。
っと。――ありゃ???
サブカルという言葉の定義が、
最近はスッカリ、本来の意味と違う使われ方をしていることに気づきました。
マイノリティであったはずの、アニメやコミックやラノベなどが、
行政や当局や産業と密接な関係となってしまって。
(正しい理解や評価かはともかく)日本中で承認される存在となり、
それでも、サブなカルチャーの立場なのかしら???と、ね。
というか、
劇団四季やタカラヅカは、それでもサブカルと呼ばれるだけのボリュームを持っているけれど、
ミュージカルとか
演劇とか
サブカルとすら呼んで貰えない文化レベルになっては・・・・・・
( ̄▽ ̄)b
( ̄▽ ̄)b
( ̄▽ ̄)b
( ̄▽ ̄)b
( ̄▽ ̄)b
(思考が自己防衛システムにより凍結したようです)