あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

ミュージカルについて 4

前回、おたおたと、

現在の日本のミュージカルで「芝居するからだ」は大きく三種類にわけられると思います。

① 上手なお芝居をする。上手に歌う。正確に言葉を発する。上手にそれっぽく見せる。熱演する。観客に自分を魅力的に見せたい。芝居は観客に対する上手な嘘。

② 作品全体の中で必要とされる存在とバランスを理解する。役を演じるというより自分の感覚の再現。を、観客や共演者と共有する。芝居は自分に対する上手な嘘。

③ ①に準ずるからだなのだけれど、自分も観客もそれをごっこ遊びだと自覚して、双方そこを楽しむ。寓話的な作品にはこれが有効。もしかしたら歌舞伎や宝塚もこの系統。

などと書きましたが、そのあと大好きな役者さんがシンプルな表現をなさっているのをお見かけしました!

(疑問を言葉にすれば、思いがけない形で答えが与えられるものです)

 

 

うんうん。そういえばよかったのか!

 

ただ問題は、実感していないのにわかったつもりでいる人々もいたりすることで。

「役としてそこに存在する」もそうなんだけれど、若い役者さんとかがそう語っていても、うーんホントにわかってる?と感じることも多々あるわけですね。

 

言葉として知っているのと、

実感して体現できるのは違うし、

 

自転車の乗り方や逆上がりのように一度わかればわかるんだけど、扉が開いてわかるまでが、なかなか……

 

 

 

さて今日は③と①について書きます。

 

10年くらい前、toRマンション(オブジェクトシアターの大好きなユニット/未見でしたらぜひ一度!)の丸本さんと同席したときに伺ったお話です。

 

子どもたち相手のショウで、いわゆる「シムラ後ろ~!」をやってメッチャ盛り上がったときに気づいたそうです。

※「シムラ後ろ~」ドリフターズのネタで、後ろから近づくお化けなどに気づかない志村けんさんに、客席の子どもたちが知らせようと口々に叫ぶ台詞

子どもたちは、自分(丸本さん)が実は気づいているのに気づかないふりをしている(嘘をついてる)のをチャント承知している。実際にお化け役のデビ(当時のメンバーさん)が目の端にちらちらと見えているのを、自分はとぼけてズット見えてないふりをしていたわけだし。

子どもたちはおとながしらじらしく嘘をついてるそんなお約束(そんな身体)が楽しいんだと気づいたそうです。

(あれ? えっと、たしかそんな内容でした。記憶違いしてたらゴメンナサイ)

 

 

はい。演劇というのはそもそも嘘の塊です。お互いにそれを承知でお約束を楽しむ。

歌舞伎も宝塚も2.5次元ミュージカルも、考えればそういう文化で、日本人はそこがたまらなく好きなのかもしれません。

浅利さんは日常たまっていく澱をカタルシスで洗い流すのが演劇の役割・醍醐味だとおっしゃってました。

 

ただね、それを超えて宇宙の神秘、人間の奥底、己の中の琴線を揺さぶる真理との出会い、を体験できるのも演劇で。それを役者と観客が共有する空間を織り出すための方法論は、少し違うところにあるのだと思います。(もしかしたらわりと最近の演劇論・方法論なのかもしれません)

 

もちろん、お約束の芝居でも、突き詰め絞り上げた先にそういうシーンを作り出す役者さんはいらっしゃいますよ。勘九郎さんとか。

でもミュージカルではなかなか、そこまではって方が、多い。

そしてつまり、そこまで突き詰められない方が①に陥っているのでは?とわたしは感じます。まあ①で満足するお客が圧倒的に多いようだから、何が問題?と言われればそうなんだけれど。

 

繰り返しますが、ただわたしという観客には、物足りないのです。

うっわ、大好きなその作品を残念なレベルで終わらせないでほしいんだがなあ(繰り返しますけれど、世間的には大評判ですよ)と、ぽつんと取り残されるわたしを、

出来れば助けてほしいのよ。。。

 

 

(つづきます)

 

 

ミュージカルについて 3

ミュージカルの中での「芝居するからだ」について語る前に、まずわたしの価値観というか体質というかについて書こうと思います。

作品や演者に対するわたしの感想や評価が、一般のソレとズレがあるのはなぜ?と考えるうちに、原因として思い至ったことです。

 

わかりやすい表現を使うと、「わたしには嘘が通じません」。

 

直感みたいなものです。

うーん。ずっと、みんなもそうだと思っていたけど、どうやら特性らしい?

相手が嘘をついてるとき、これは嘘だよなあとわかるの。

 

 

で、日常ではね、嘘をつきたい理由を察して、観念して、話をあわせるとか、

ま、一生懸命にわたしに嘘をついてくれてる努力を評価しよう、とか。

(その嘘に悪意が隠されてるときは、一生、呪います)

 

直感的に「本質がわかる」って言い方でもいいけど、「わたしの感性は嘘を受け付けない」という言い方のほうが、このあとの説明がわかりやすいと思うので。

 

 

 

現在の日本のミュージカルで「芝居するからだ」は大きく三種類にわけられると思います。

① 上手なお芝居をする。上手に歌う。正確に言葉を発する。上手にそれっぽく見せる。熱演する。観客に自分を魅力的に見せたい。芝居は観客に対する上手な嘘。

② 作品全体の中で必要とされる存在とバランスを理解する。役を演じるというより自分の感覚の再現。を、観客や共演者と共有する。芝居は自分に対する上手な嘘。

③ ①に準ずるからだなのだけれど、自分も観客もそれをごっこ遊びだと自覚して、双方そこを楽しむ。寓話的な作品にはこれが有効。もしかしたら歌舞伎や宝塚もこの系統かしら。

 

ごめんなさい。文字にすると、まどろっこしいというか、もぞもぞするというか、的を得ないですね。もっとうまい言い方、ある? そのうち、具体例を書きますね。

 

もちろん、どんなお芝居をしようとその方の自由です。

 

ただ。

タイプ①の方の芝居や歌は「わたしの心」に絶望的に浸透しない。わたしの感覚ではもう、ミュージカルや演劇でないのです。

そして。上演中のミュージカル『笑う男』の初演と再演(わたしはこっちが好みです)の持つ説得力の違いは、そのあたりに起因します。

 

なのでわたしは、自分の楽しみのために、②のタイプの役者さんがミュージカル界にもっと増えてくれることを願い、これを書いています。(ちなみに演劇界隈にはすばらしく多いです)

 

(つづきます)

 

つけたし。

過去、このブログのコピペ等をほかのHPなどでご自分の文章の如く語るのをみかけたことがあります。けどね。

ここは、ものすごくコアな方たち(つまりご本人たち)がお読みになるので、そして間違いなくわたしの発した言葉と認識されるので、他所で、さも自分の考えです的にご利用にならないほうがよいと思いますよ。

この先の展開、具体例とか、たぶん手に負えなくなりますしね。

 

ミュージカルについて 2

昔は、本当にいろんな方たちと演劇について語れる時間があり、でも今はないので、自分の気づきをいろいろ確認できず、浮かぶ考えは自分の中でひとり、ぐるぐると出口を捜すばかりです。

 

ブログという文化も今さらな気がするけれど、逆に考えをボソボソ書き出すことで、やがてどこかに届くかも?と思いました。

 

ミュージカルの中で「芝居するからだ」について。

あまり語られてない気がするんだけど、どうなんでしょう。それっていかがなんですか?的な考え方には、ときどき出会う。あちこちの劇団の理念とか、まあ昔はそうだったかもしれないけれど、この現代においては研究不足じゃない? 観客に何を届けるためのあなたのからだかしら? が多いように思います。

 

(ま、もちろん正解はないんだけど)

 

 

先日観たミュージカル『笑う男』の再演では、演者それぞれの演劇プランが見事で、特に圭吾さんのバランス感覚がスゴくて、禅さんとがっつり向き合えてるちいちゃんも素晴らしかったし、ケンケンはちょっと注文あるけど、

あの方やこの方や、

これらのからだが公演の回数を重ねるうちに、今後どういう結晶に結びつくのか、うああ観たいあー観たいえーんなんで観られないんだよぉ! だったのですが、

わたしが今、書いとかないと、演劇評論家のだあれもそこを指摘しないんだろうな、とかね。だって日本のミュージカル界隈って、チケットが捌ける人材を推しと呼んでお祭りしてればOKみたいで、演劇人を名乗りながらも「芝居するとは何か」についてホント勉強してない方が多いです。

 

(あ。そのお祭りをショービズというんですよ、という考え方もあるのか?)

 

 

うん。芳雄さんは現場で感じたことを言語化してくれるほうかな。

祐一郎さんは言葉にならないあたりのことを、現場でときどきこっそり実験してます。『笑う男』のあれは事故?計算?とかw

あとね。ふぉ~ゆ~の辰巳くんに役の作り方を一回訊いてみたい。ってか、誰か分析して教えてほしい。

 

 

はい。以前は好き勝手にこのブログでいろいろ観劇の感想とかを書き散らしていましたが、ご縁があってミュージカルの稽古場リポート的な仕事を得て、わははは、すっかり忖度するようになりましたとさ。

あとまあ、自分がちょっと創る側になると、棚に上げてえらそーなこと言いづらい。そりゃ。

 

まあでも、スッカリそれらから離れて八ヶ岳でぼんやりと父親の在宅介護する身になって、あ介護ってのは自分のナーバスな部分をぼんやりさせて暮らしてないと大変なことになるので、だけど、もう一度原点?に戻って、ささやかな問いや考えを発するのも役目かな?とか。

 

(続きます)

 

 

 

あけました☆

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いかがお過ごしですか? いつもお世話になりありがとうございます。 旧年は生活が一変、八ヶ岳の別荘で父の在宅介護を始め、映画・ドラマ、 テレビゲーム三昧な日々を送っています。生きていればいろいろ起こ り、でもどうにかなるものと知りました。多くの出会いとおかげさま で月に一度東京に帰り、観劇や多摩美校友会理事の視察などしていま す。応募戯曲が第33回テアトロ新人戯曲賞の最終選考に残り、同誌に 掲載されました。まんが描きとしてはミュージカル『オリバー!』に 係らせていただきました。 感謝とともに。今年もどうぞ楽しくよろしくお願いいたします。

 

あげん

ミュージカルについて 1

夜更け

 

 

眠れない 

 

どうしていいか、わからない

 

吐き出さなければいけないのか?と思う

 

気づけば 想いが 澱み ふりつもっていた 自分の中

 

消化出来ない 昇華したい  

 

 

ごめん

 

真夜中だから わけわかんないこと 書いてみたくなっただけかな 

 

 

おやすま

1回 寝てみるね