ミュージカルの中での「芝居するからだ」について語る前に、まずわたしの価値観というか体質というかについて書こうと思います。
作品や演者に対するわたしの感想や評価が、一般のソレとズレがあるのはなぜ?と考えるうちに、原因として思い至ったことです。
わかりやすい表現を使うと、「わたしには嘘が通じません」。
直感みたいなものです。
うーん。ずっと、みんなもそうだと思っていたけど、どうやら特性らしい?
相手が嘘をついてるとき、これは嘘だよなあとわかるの。
で、日常ではね、嘘をつきたい理由を察して、観念して、話をあわせるとか、
ま、一生懸命にわたしに嘘をついてくれてる努力を評価しよう、とか。
(その嘘に悪意が隠されてるときは、一生、呪います)
直感的に「本質がわかる」って言い方でもいいけど、「わたしの感性は嘘を受け付けない」という言い方のほうが、このあとの説明がわかりやすいと思うので。
現在の日本のミュージカルで「芝居するからだ」は大きく三種類にわけられると思います。
① 上手なお芝居をする。上手に歌う。正確に言葉を発する。上手にそれっぽく見せる。熱演する。観客に自分を魅力的に見せたい。芝居は観客に対する上手な嘘。
② 作品全体の中で必要とされる存在とバランスを理解する。役を演じるというより自分の感覚の再現。を、観客や共演者と共有する。芝居は自分に対する上手な嘘。
③ ①に準ずるからだなのだけれど、自分も観客もそれをごっこ遊びだと自覚して、双方そこを楽しむ。寓話的な作品にはこれが有効。もしかしたら歌舞伎や宝塚もこの系統かしら。
ごめんなさい。文字にすると、まどろっこしいというか、もぞもぞするというか、的を得ないですね。もっとうまい言い方、ある? そのうち、具体例を書きますね。
もちろん、どんなお芝居をしようとその方の自由です。
ただ。
タイプ①の方の芝居や歌は「わたしの心」に絶望的に浸透しない。わたしの感覚ではもう、ミュージカルや演劇でないのです。
そして。上演中のミュージカル『笑う男』の初演と再演(わたしはこっちが好みです)の持つ説得力の違いは、そのあたりに起因します。
なのでわたしは、自分の楽しみのために、②のタイプの役者さんがミュージカル界にもっと増えてくれることを願い、これを書いています。(ちなみに演劇界隈にはすばらしく多いです)
(つづきます)
つけたし。
過去、このブログのコピペ等をほかのHPなどでご自分の文章の如く語るのをみかけたことがあります。けどね。
ここは、ものすごくコアな方たち(つまりご本人たち)がお読みになるので、そして間違いなくわたしの発した言葉と認識されるので、他所で、さも自分の考えです的にご利用にならないほうがよいと思いますよ。
この先の展開、具体例とか、たぶん手に負えなくなりますしね。