山梨で市民講座に参加したのは、体験として、あこがれのあこがれの、能面に触らせていただけるということで。
何年来のあこがれかしらね。ごっくん。
受け取ってから一礼をして、
若女(23歳)のオモテです。あえて目の穴が小さいのをつけさせていただきました。
↑↑ 顔をオモテに近付けるのではなく、オモテを顔に引き寄せるのが決まり。
この時点で何を感じていたかは、後述。
↑↑ 上半身を斜めに倒したあと、おへそあたりから立ち上げた姿勢。
オモテを見せる/魅せるためにすべてがあるわね。
↑↑ 泣く仕草、のつもりだったけど、げっ、手の角度が違うわ。位置もこれではオモテの表情を隠してしまうわね。他人からの見え方と、自分のつもりとの差の大きさにびっくりだわ。
もうおひとかたは般若の面で。見得がきまってます。
↓↓ 600万のお衣裳。自然光のもとのほうが発色がよく見えるそうです。
↓↓ 下着をつけて、
↓↓ 右前の裾は、右足にまきこむように。左前は脇のラインがからだのセンターにくるくらいまで、裾をはね上げて着付けます。当然、すり足でしか歩けません。
襟元の開け方で年齢を表す。
オモテのはなしに戻って。
お能でオモテをつけるということは、「役になる」のではなく、「役になるふりをする」のだそうです。憑依するのではなく、あくまでもその役を演じているにすぎない。嘘であることを自覚する。なので、舞台に立つぎりぎりまでオモテはつけないし、あげ幕の中に戻ったらすぐに外すのも、決まり。
能面がひとの顔よりも小さくつくられているのも、そのため。
演者がオモテ(能面)に支配されないよう、細心の決まりごとがたくさんあるみたい。
でもね。実感を言えば、
オモテの裏側は暗く塗りこめられています。目の穴、鼻の穴、口が夜空の星のようにうっすらと明るい。儀式めいた手順で顔に引き寄せながら、一瞬だけ、自分が宇宙の深淵に飛びこむような気分を味わう。異世界へ、他人へ、切り替わるスイッチ。
そしてオモテの中という暗闇から見る外界は、奇妙な明るさを持ち。
予想していたよりも、外はきちんとひとつに見えるのでした。(視界が狭いと聞かされ過ぎ?)他の受講生の方々にわくわくと見上げられて、あ、これは、わたしをではなく、オモテをつけたわたしを見ているのだなと思う。奇妙なくすぐったさ。
オモテを動かす方向、角度、スピードに制限があるので、実際に動いたら、足元が見えないとか、いろいろな不自由があるのでしょうね。もっとも、能舞台の空間をからだが把握すればいいだけって気もするけど。
冷静な自分を保てているかどうかもあるかな。お囃子や地謡の声に包まれたら、あっけなく異世界にジャンプしそうだな。
という思い違いに引きずり込まれないための、決めごとってコトよね~
あ~ 長年の夢がひとつ、かなったよ~
ありがとうございました。