『TDV』でウライケンジくんって役者はおもしろいなと思ったあたりで、
ミュージカル化したこの作品に過去、主演していたと知り、
無垢な笑顔と奔放な狂気を武器とする(?)のっぽの天使に、チャーリーは似合いすぎでしょう、と。以来、拝見するのが楽しみでした。ようやく。
8年ぶりの再演だそうです。
予想通りの、予想以上のチャーリーでした。いろんなうりゃクンに、きゅんきゅん♪
言わずと知れた古典名作SFが原作です。
最後の1行を読み終えたとたんに、人の持つ魂の豊かさに胸がイッパイになり、ぶわっと泣き出して、しばししゃくりあげてしまう、という原作ですから、
最後の台詞には泣くんだろうな~と予感していきましたが、
それ以上に(それ以前に)大泣きしました。
泣けることを作品の良しあしの基準にするのはキライなのですが、
気持ちのよいカタルシスでした。
いよいよ観にいくんだよ、と話したところ、その友人は、
8年前、チケットが取れずに静岡まで観にいったそうで、大好きな演出家なのだと言い。
なのでわたしには、演出がふたつめのチェックポイント。
1幕では、原作通りに話はすすみ、キャラクターの記号化が少し気になって、
あ。青春の混乱を短時間で表現してしまう演出はみごとだけど、
なんで友人はこの演出家が好きなんだろう?と思って。
2幕に進んで、納得。キャラクターたちの想いが多重的にたたみこまれてきて、こちらの内面も深く揺さぶられました。
これで、アリスさんとのコイバナにもう少し胸キュン要素が膨らんだら、リピーター続出ミュージカルになるんだろうなあ。(ん、もうなってるのかな?)
や。超年下男子との感情は、もっとずぎゅぎゅんで、女子は自己犠牲の快感と哀しみという幻想にくらくらくると思うのよ。
しかし。やっぱりスゴイ話だ。
そしてすっぱりとチャーリーを演じてしまううりゃクンもスゴイ。衣裳チェンジだけで精神年齢にともなった存在にがらりとからだを切り替え、ただ座っているときの表情だけで、内面が切り替わっていくのがぞくぞくと伝わってくる。
ミュージカルとしての表現もスマートでした。
イッパイかざりの装置でも、ミュージカルはつくれるのよね。
話のテーマとは別に。
発達障害の方の扱いは、現在は小説が書かれた時代とは違ってきたし、
そして、
説明しづらいデリケートな問題、問題というより感情? きれいごとでは済まない苛立ちとか、こちらの良心の呵責とか、それでもその人の人権を守る努力とか、
わたしは、身近な問題として、ハラをくくった結論はだせないし。
この部分は、時代の中で少しずつズレていくのかな。それとも変わらずにズット、このままで通るのかな?という考えがよぎりました。
「特異な者」は、「施設の中に囲う、閉じ込める」という考え方は旧くなりつつある気がする。
もちろん一般的には「閉じ込めとけ」がまだまだ主流な考え方なのかもしれないけれど。
が、社会が受け入れることは、あまりに面倒だ――
それでも、かれらが社会の一員としていられるように、なるといいなと思う――
からかう対象にされたり、安易な労働力として搾取されたりしないで、ですよ。
だけど。
実際に目の前にいて、こちらの作業が滞らされたりすると、わたしはイラっとしてしまう。
えっと。
大道芸関係のみなさんは、わたしが誰のことを指しているかわかると思うけど。
わたしはかれのことを、みんなが(本心はともかく)受け入れていることにびっくりしたんだよ。大道芸という本質のふところの深さかな、と。
自分と違う存在との共存。
これはまだまだ、先の長いテーマです。