米原万里 著 角川文庫
書き出すキッカケみたいなからだを作れず、おとといから本のドカ読み(?)を再開。
かなりのヒット率で意外な本と出会う。
こういうのも直感のうちなんでしょうかね。 店頭で本が、指に意識に、吸い付いてくるの。
文庫の帯には甘ったるいキャッチコピーが書いてありますが、全部無視してください。
このノンフィクションのよさは、別のところにあります。
わたしが、中東欧について知らな過ぎたといえば、それまでですが。
幼少をプラハで過ごした著者の、小学生時代の同級生3人との思い出と行方と再会が書かれていますが、この表題のアーニャについて、いろいろと身近に考えさせられました。
オンナの体質のひとつなのかなあ。 論理の破綻を無視し、精神構造(出発点はたぶん、誇りや見得)を独自の解釈で構築することで、自分というバランスを保つ。 他人には巧妙な「嘘つき」「偽善」にしか見えないんだが、本人は自覚できない。
ホラ。 身近にも、いるじゃん。 何人か。
「絶対に他の人には言わないでね!」という保険をかけて、なんでそんな嘘を言う?
わたしの関心を引きたい、のだろうけれど。 必要ないじゃん。
結果、逆にわたしに引かれてんじゃん。
問題は、
この著者はそんな嘘つきなアーニャを、戸惑いながら、愛し許していることなのね。
寛容?
わたしにはむずかしい。 それですごく、悩む。 結論として距離を置くことを選ぶ。
ルパン?は「女の嘘はアクセサリーさ」とかいうけど、無理だ。
嘘を受け入れるなんてことは相手に対して不誠実だ、という肌感覚がある。
それとも。
比べて男の嘘はズサンすぎて、スルーすることが多いことを思うと。
巧妙に出し抜かれたことに腹が立つのかなあ。
文中、「異教徒に対しては寛容でなければいけないんだ。それが大切なんだ」という少年の言葉が出てくる。
わたしには、重い言葉だった。
自分とは別の生き物なんだから、あきらめろって考え方を選ぶしかないのかなあ。
と言いつつ。
創作の原点は、その対立にあるので、
人間としては寛容を目指しつつ、創作者としては鋭さを大切にしなくてはな、というのが、
苦労なところです。