あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

公園で。

社会的な発言ではありません。 どちらかといえば、役者とか劇作とかの素材としての話。

『フィッシャーマン・キング』という風変わりな映画があって、
ロビン・ウィリアムス演じるホームレスと片恋に悩む主人公の男性が、夜中のセントラルパークですっぽんぽんになって大声を出すシーンがあった。

人間にはそのくらいの(精神の)自由があってもいいんだ、みたいな印象を持った記憶が残ってる。
映画のワンシーンとしては、特筆するほどのコトでもない。

NYの話でしょ。 映画の話でしょ。 現実の東京とは違うからと、おっしゃるのも自由。
うん。
だから以下は、わたしの中に勝手に生まれたストーリィですから。

必死の恋に破れた男子が、慰める友人との酒のあと、ひとり、都会の夜の公園で素っ裸になって喚きまわる絵。

友人の失恋に、世の中の無常を感じた男子が、友人の名を叫びながら、ひとり、都会の夜の公園で素っ裸になって喚きまわる絵。

同性の超友人に恋をしていた男子が、ココロの行き場をなくし、ひとり、都会の夜の公園で素っ裸になって喚きまわる絵。

バリエーションはいくらでも出来るし、特筆するようなシーン設定でもないけれど。

すごいなと思ったのは、それをクサナギツヨシくんという役者が演じたら、どうやっても透明感のある美しい絵に仕上げられるなというコト。
この境目はなんだろう。
他の男性では、なかなか。 
名優ロビン・ウイリアムスですら、いかがなものか?程度の絵でしかなかった記憶なんだ。

単に楽しく酒に呑まれただけです、ごめんなさい。 というカタチで、なんとも色気がない無難な落ちになってしまった現実。

酔っ払いが服を脱ぐのは日本男児の伝統芸だろうけどな。
それが色男ともなると、
おまわりサンや鳩ぽっぽなどオヤジどもの攻撃の対象になりやすいことも、
そのオヤジたちは世の女たちにわいのわいの反撃されるとあっさりと意地を覆しちゃう程度だってことも。

ホームドラマだ。 


それで。
ツヨシくんが地デジのCMを続けることに1票。 
そのくらいの許容がなくて、この社会は大丈夫なのか?