リーヴァイさんの作品の中で、たぶんわたしが心乱される名曲が一番多いのが『MA』で。日常、ふと頭の中でリフレインされているフレーズに、何の曲だっけ?と考えると、ほぼ『MA』から、なのである。
もしかしたら転調が多い? オーケストレーションも繊細? そのへんのことは、詳しい人の説明を待たねば、だが。
日本で作られた初演は、いろんな思いを持て余してるような舞台だった。そのぶんカオスな熱量が半端なくて、やるほうも観るほうも、息をつめて時間を共有してた気がする。華やかなうわべと血みどろな叫び。異色なミュージカルだった。
再演するときはまず、キャラクターの整理からだろな~は明白だったけど、スターシステムの東宝さんではむずかしいのかな、とか思ってたりして。
それが、ドイツ・韓国の演出を経て新しく創りなおされたのが、今回の作品ということです。
初日が過ぎてしばらくしてもまだ、観に行くかどうしようかと迷う自分。ふと、東宝ナビザーブ(チケットセンター)のサイトを開いてみたら一発で、2階席A列という良席がとれる日にぶちあたり、チケットを取りました。
Wキャストは、笹本さん、昆ちゃん、古川くん、原田さんの組み合わせの回でした。
ほぼ新作!の舞台でした。
テキストは一新! 括弧閉じ構成(同じシーンを序・結に持って来る)で、説明的。テーマは最後にみんなで歌う。
半分くらいは新曲で、
群集劇というよりも、全体にわかりやすくさらさらと整理され、首飾り事件もわかりやすくなってたし、
数々の名曲は上手にリサイクルされ、
でも、
大詰めで暴かれる人間の理不尽な残虐と、その中で糸のように輝くプライドや祈りは、ちゃんと残されていた。
なので、生まれ変わり、今後も再演できる形になったことに、乾杯! 埋もれかけていた名曲たちに、新しい場所が与えられた!
アントワネットの史実がずいぶん活かされてました。国境で素っ裸にされたとか、田舎暮らしという盛大なおままごとを好んだとか。
で、アントワネットの状況じゃ、こういう困ったちゃんな女子に育っちゃうよねえ。という説得力が、素晴らしかった。逆に、フェルセンが純朴な愛を捧げなかったら、かれのこと愛し続けたかしら?とか、ちらと考えたりもして。
旧タイトルの『MA』はマリー・アントワネットとマルグリット・アルノ―のふたりの女子の生きざまの交差を意味してたのが、かっこよかったんだけどなぁ。
カリオストロ(整理されキャラの筆頭w)の哲学的な歌が、オルレアン公が歌う状況説明に使われてたりして。嵐のような時代のうねりというテーマは一緒だから違和感はないけど、なんていうのか、あ、そうなんだ。みたいな当たり前になってて。どうすればいいの、生きるということは?みたいなもやもやが薄くて、とかね。
わかりやすく整理されるって、そうだよなあと。
初演ではじっくり聴かされてた一曲一曲も、あ、もう終わっちゃうのね、はい。まあ、いいけどさ。みたいな。
アニエスの曲が、ランバル夫人(性格や意味付けが一新!)の持ち歌になって生き残ってたのは、うれしかったです。
昆さんのマルグリットが、パワフルであるほど哀しくて、自分の中の整理できない想いを持て余している感がステキでした。
TV番組でソニンさんが、日常できるだけしゃべらないで喉を守る!とおっしゃってたけど、確かにマルグリットは叫ぶような歌で舞台を引っ張っていくシーンが多くて、多くて、大変なお役だなぁ。
カーテンコールで吉原さんが、昆ちゃん、役から剥がれて現実に戻って来いよ~みたくハグハグしてたのが、ほほえましかった!!
笹本さんは、恋する女の部分より、母としての顔に圧倒されるアントワネットでした。
寄り添う子どもと居るソファとか、もう名画。
古川くんは、絵にかいたような王子さまぶり。アントワネットの世間知らずを持て余しながらも、惚れた相手には誠意を尽くさねば、みたいなナイトぶりで。一途というよりはどこかで迷いながら、ただできることは全部やったから!みたいなのが、よかったなぁ。
さて特筆が、原田さんのルイです。登場した時点で、ルイ16世ってこういう人だったんだろうなぁと思わせる、不器用な自分を受け入れている、おっとりと懐の深い存在感。
というわけで、観に行ってよかった!!
残るは日本語の演出家か誰かが、細切れ感をなめらかにして、もうちょい気持ちの裏側を掘り下げてくれたら、たぶん、好みなミュージカルになる~