一回読んだだけの芝居のパンフレットが本棚に積み重なっていくので、最近は買うのをやめる傾向にあるのだが、
休憩時間に帝劇スタッフのおにいさんが、とてもチャーミングな呼びかけをされていたので通りすがりに思わず吹き出し、購入。美術や照明などのスタッフさんのコメントがガッツリ読めたのが、そうかそうかとうれしかったのでした。
舞台の上や周辺やバックヤードだけでなく、ロビーも含めて劇場全体があたたかな創意工夫に満ちているのかなと思ったりして。
涼しい顔して普通の本公演、半年後の再演という顔をしているけれど、実は確信犯なトライアウトを積み重ねてる気がしてます。なるほど、こういう興行形態を細かく積み重ねてブラッシュアップしていく方法があったのね。
日本の文化は基本、なんでも(紙と生木の)使い捨てで。歌舞伎もタカラヅカも、たいがいの劇場は、一か月ごとに演目を新しく更新する。お神楽もね、寺社に影響されて神楽殿を立てるようになったけれど、基本は仮設の使い捨てなんですって。たぶんそれが、祓いにこだわる日本人にあったやり方なのねと考えるようになりました。
でもね。そのシステムの中で作品をじっくりじっくり育てていく方法論は、考えるべきですよね。その意味でこれは、新しい作劇法かもしれません。
さて、再演を観ました。
幕が上がってしばらくは、やっぱりかみ砕くのが難しいモチーフなんだわ、こなれていくのにスゴク時間がかかりそうだわ、などと思ったのですが、
鉄器のエピソードあたりから話が転がり始めて、
すっきりと、ぐいぐいと作品が立ち上がってきていました。
このミュージカルは、こうやって人と作品が育って出来上がっていく様子も込みで、年月をかけて?楽しむ趣向なのかもしれない?と思います。
イムホテップさんの出番もナンバーも減っちゃったけれど、全体のバランスはくっきりしたし、むしろ初演のときに気を使っていただき過ぎてたんだわと思ったり。
そうして逆に、今まで経験なかった、舞台上のからだの存り方みたいなものがかもされてきていて新しいステキな財産になったみたいよ、とか。
ちなみに、メンフィスとうしろに控えるイムホテップというふたりの立ち姿が、思いがけずキレイで、むふふふ。
で、けんちゃんだわ。
とにかくかわいくてかわいくて。わたしはにやにやしっぱなしでした。初日前に散見していたインタビューの写真の表情がちょっと気になっていたのだけれど、心配して損したわ。あいかわらずメンフィスさまの男子としての萌えポイントはわからないんだけれど(爆)、メンフィスを演じてる腕白坊主なけんちゃんにはキュンキュンできます。
特に昨日のアクシデントの対応や勢いには(そしてフォローしたみなさま、特に剣を逆手でポージングしたあなた! グッジョブです☆)、もう神。
聖子さんとのラブシーンも、ロマンティックで力強くて、よいわね。
わたしが感じる聖子さんの一番の良さは、極上の笑顔に秘めたしなやかな強さ!なので。キャロル、もうちょっと現代的なアメリカ娘じゃだめかな~ 最後のほうのあの切り替えのね、あれの予兆みたいな伏線、いれちゃだめなのかな~ とか思ってしまうのでした。やっぱり原作まんがキャラの完コピが優先なのかな~
平方くんは、スイッチがはいるとおもしろいんだけどムラがあるんだよなぁと以前思っていましたけれど、もしかしてもしかして集中力が途切れるのが少し早いの?が昨日の感想でした。(ごめんなさい)
イズミルさんとしてのリミッターも、まだはずれてないかな。はずれるとおもしろそうなんだけどな。
そしてこの作品の美しさは、繊細な色合い。美術と衣裳と照明の。
アンサンブルさんたちのあの衣裳、古代エジプトの壁画がモチーフで、線画を立体にするとこうなるのか!が実はマニアックなツボのひとつです。
あと照明のね。客席天井のぎざぎざまで計算してはみ出したスケール!
違う空間がオーバーラップするシーンが多いでしょう? わたしは劇作を習ってたとき、そういうときは床の高さを変えるか照明で区切るのが鉄則と言われてました。ですので、同じ平面同じ照明で表現されてるのが、どうしてももどかしく感じてしまいます。巨大セットを動かすとリズムが狂うからかな。
パンフレット。アイシスさまのフォトジェニックたくさん。
ところでISISの発音ですが、エジプトで泊まったホテル名を友人とふざけてイズイズと読んでたら現地の方はイジーズと発音してたのでした。役に立たないトリビア。