あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

観客をわかりたい

夜は赤坂にミュージカルを観に行く予定なのだけれど、雨風がすごいですね。外出するのに勇気が要りそうです。でもがんばって、ミュージカルなミュージカルを見てきたい!

 

ミュージカルの劇場客席に座る大勢たちと、この自分とでは、決定的に求めるものが違っているらしいと追い詰められている、今月。うあ~
このへんを腑に落とすのが、今のテーマです。

 

先日、『アラジン』を観に行って、とてもいいミュージカルだったのだけれど、なんていうか、はじまりのあたりでの客席が気持ち悪くて。
大口を開けて親の与えるエサを、ただ信じて飲み込むだけ、みたいな感じが、と言えばいいかな。

客電が落ちて、カラオケ音源が流れた時点でまず(期待に満ちた?)拍手って、何? コストダウンを狙う四季はすべてカラオケ仕様で、音の平べったさにやっぱ残念?と思ってたまさにその瞬間だったので、余計違和感があったんだと思う。

作品そのものはとても素晴らしくて、一番懸念のジーニーがとにかくステキで(瀧山久志さん)、悪役の二人もよかったし、もとめられる人材がちゃんと作品に引き寄せられるもんだなあと、感心。
「自慢の息子」という曲が効力を発揮して、四季が昔から培ってきた感動の積み上げ方が届いてきてね。すがすがしかった。

そっか。わたしは初見だったけれど、繰り返し観ていたら、この世界観が始まるだけで拍手したくなる気持ちも、わからなくないなあと思い、

だって、ディズニーというテーマパークの世界観って、たぶん、「そこにいる間だけ、自分/現実を忘れて、巻き込まれ、また来たくなる。せめてグッズをそろえたくなる(つまり資本主義の申し子)」ってことだよね。

 

ミュージカルが大好きだと言いながら、そこになにかが足りないと感じる、わたしのほうがマイノリティ。きっとどうかしてる。

でも、何かがちがうの~

 

 

『EDのなぞ』の評価も、実は実は本心では、迷っている。
ちょ~楽しい~! ま、これはこれでいいんじゃないのぉ!という結論と、
でもねでもね、ミュージカルとしてはミステリーとしては演劇としてはちょこっと物足りなさがあるんだけど(小声)という疑問。←言っちまった~

ただ回を重ねるごとに安定の大笑いがうずまく客席をみて、自分の好みでどうこう言う問題じゃないよね、と考える。需要と供給はマッチングしてんじゃん。

 

  

・・・・・・

 

 

観客が求めているのは「純粋な感動の共有ごっこ」なのかな。と思う。

迷うことなく恥じることなく、笑って酔うためのツール。笑って感動する自分に安心するための。ミュージカルや演劇の本質とは、そういうもの。

そういういもの?

うん。わたしがそこに素直に寄り添えないのは、
大道芸の客の笑いを体感していて、劇場の笑いの質にしっくりこないものを感じたからだ。ん、あれ?という程度のささやかなズレ。されどズレ。

 

ごっこじゃない。なんか、もっとこう、「届く」感じ? むーん。

 

 

 

からの。今晩の『グランドホテル』です。さて?

お。書いてるうちに空は晴れてきたな。