あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『レ・ミゼ』プレビュー初日

どうしても自分にエンジンがかからないまま。
ふと、
あさってがプレビューの初日かぁと気づき、すがりつくような気分になり。 そっか、おけぴ(チケット救済サイト)!と思い出し、覘いてみたら。 
ををっ。 
知らない方からチケットを譲っていただけたのでした。 おけぴ初利用でした。  

この公演は2回しか観ない!んじゃなかったの? とか、突っ込まれそうだなあ、って。
しかし、その見知らぬ方にメールを送信したとたん、♪じゃっじゃーん♪と頭の中にイントロが鳴り響きwww 響き続けwwwwwww
ぅぁぁぁぁぁぁああああ゛っ――

大切よっ、生きるのに大切なのは、こういう気持ちよっ!!! ってね。
はい。 お笑いください。

はいはいはい。 お笑いくださいませ。 
帰ってきて、知恵熱みたいに倒れましたよ、どーせ。

      [E:happy02]

2011.4.8. 18:15- 帝国劇場

いい舞台でした。
この時節だから演る方も観る方も、という言い方もできる。
ただ、わたしがとても打たれたのは、他の理由に置き換えることなく、舞台そのものが『レ・ミゼラブル』という作品に、舞台芸術そのものに、奉仕されていたことでした。
なんて、ステキ。 これがプロの舞台だ。 帝劇の神さまが、ふんわりと降りてきていらしてたような。

押し出してくるものがあると、いろいろな欠点が後ろに追いやられ、どうでもよくなるんだなというのも発見。 (笑笑っ いつもの毒舌に戻りつつありますな)
あららら? 落ち着けっ!な箇所もいくつかありましたけれど、プレビューのご愛嬌だ。 (レミのプレビューなんて、初演以来かも? って、24年ぶりかぃ。 あのときの、みっ観ない振りだ!っに比べれば格段だわ)

特筆は。
いくつもあるのだけれど、やっぱり1番は学生たちかなあ。 
「民衆の歌」で赤いクロスと一緒に、湧き上がる想いがぐるぐると投げ交わされ、駆け上っていくシーン。
二幕冒頭のスローモーションも、とてもキレイに仕上がっていた。
そして、バリケードの装置とよく馴染んでいて。 稽古、がんばったね!というのが伝わってくる。 (新人登竜門でもあるこの役のがんばったね!は、NGではないのです)

そして、群集(アンサンブル)たちがこの物語の主人公であるとキッチリ魅せていられるのは、プリンシパルたちが「受け」の芝居をていねいにていねいに、返しているからだと気づく。
(というわけで、キャストが変わると、ココは公演ごとに評価が変わるかも)

久しぶりに、
すばらしいファンテーヌに感動しました。 
工場では、挿絵のような可憐。 少しずつ、揺れて、揺れて、運命に翻弄されて。 大詰めのバルジャンとのシーンではレンブラントの絵のような静謐。
知念さんには、おとなと少女と両方の色気があるのだろうな。

岡さんのジャベは、
劇場の空間を支配する歌声で、不思議なのは、発音している日本語の単語と、歌っている情感に微妙なズレがある?ような印象で、それが世界に神秘的な奥深さを感じさせるような。

はじめさんと森クミさんのご夫妻は、
抱腹絶倒。 レミでこんなに笑ったのは、初めてかも?
死体を漁るテナルディエを見て、ごく最近の日本にも多くの遺体が転がってた(合掌)わけだけれど、テナルディエは完全にいなかったことを、思う。
テナルディエやマダムには罪は無い(と見せてしまうのが、おふたりの腕)。 でもそれはとても恥ずかしいことだと、今の日本人たちは、礼節を当然とする。
人は変われる、未来は変わると、ふと思う。
森クミさんのすべてを乗り越えた邪気のなさ。 たぶん、その辺が入り口?

育くんは、
女の子たちを抱きしめる形が、うっとりとキレイでした。 マリウスの解釈も過去のマリウスたちと微妙に違う気がして。 そのままアンテナを伸ばしていって、今までなかった男の子の気持ちを気づかせてくれるとステキだな。

 

伸びやかに歌えさえすれば七難隠す(笑笑っ)このミュージカルで、
祐一郎さんが違う手探りでバルジャンに向き合っていた。 言葉の意味をこえて、相手役を見据え、受け止め、居合わせているすべての人たち、客席、スタッフ、キャストを、自分のからだの感覚に巻き込んで、感情を――。 まだまだ手探りだけど、ブラボ
その不器用が大好きだ。

「かれを帰して」に、
自分を礎にして、世界や次の世代を護る祈りみたいな感情が見えたよ。 でもその重さに耐えながら、自分の人生も選び、貫かなければいけない、人間としての重層。

今回はじめて、バルジャンのキーが全体に高いのは、何か意味があるのかなと思った。
もっさりと力持ちなバルジャンが不器用に語りたい、何か。
他のメロディもだけど、キーの高さと感情の意味にはリンクがある?
低いキーと高いキーが絡むときは、そこに何かのしかけがある?

 

それから今まで歌いづらそうだな、意識をつなげるのが、意味を説明するのがむずかしいなと思っていた箇所が、
全部、全部、全部、
つまり歌詞の問題じゃんとバッサリ言い切る自分に気づく。 サラリと流していいんだよ、たぶん、きっと、そこは、とか。 ダメ?