この休み、kieちゃんがお友だちと、飲み屋でおかまの酔っ払いサンに「みやもとむさしの《おづっちゃん》みたいだ」とさんざん呼ばれて、あれはナンだったんだろうとブログに書いていた。
で、なんだったの?と今日、会社で聞いたら、
「そうだ。 そのこと、あげんさんに聞こうと思ってたんです。 あたし、宮本武蔵知らないから。 なんなんですか?」
……え?
うーん
《おつうさん》 かなぁ。 武蔵のかの女。
「幼馴染のって言ってましたけど」
じゃあ、たぶんそう。
武蔵の幼馴染って言ったら、又八とおつうだから。
「おつうさん?」
うーんと、ね。
おつうは孤児で、育ててくれた家の息子の又八の許婚だったのね。
だけどタケゾーの方が好きで、ムサシが旅に出ると自分も全部を捨てて、追っかけてっちゃうの。
又八ってのは、これが何をしても失敗する男で、ムサシと同じように旅に出て生きようとするのに、どんどんダメになっていっちゃうんだな。
そうすると、おつうを育てたお杉婆にしてみれば、嫁には逃げられるワ、息子は堕落させられるワで、ムサシは憎い憎い仇ってことになって。
ムサシにしてみれば、立ち会うわけにもいかないから、このマトワリついてくる婆がそりゃあヤッカイで…………。
若いkieちゃんに大筋を説明してるうちに、吉川英治はけっこう今風でベタな話を書いたんだなあと思った。
もっとも、
『宮本武蔵』は朝日新聞の朝刊に連載されたゆえに、品格のある作品にならざる得なかったという見かたがある。 でなければ、武蔵はおつうともっと早くにデキでしまい、あの押し倒しかけるが出来ずに悶々とする名場面は、生まれなかっただろうと言われている。
わたしも読んだのは、20年以上前だから、ちょっと記憶はあやふや。 バガボンドは読んでるけれど、別物だものね。
それでも印象的なシーンはいくつかあって。
一番すきなのは、茶の席に武蔵が呼ばれたときのエピソード。
自分は所作を知らないからと武蔵が尻込みすると、その席の主人が、あなたはあなたらしくただ茶を飲めばいいのですと応える。 そうですかと武蔵はあぐらをかいて、がしっと茶碗をつかんでぐっと飲み干すのね、確か。 主人はそれでいいのですと微笑む。
わたしの中の価値観を、決定させてる話のひとつです。
「でもなんで、あたしたちがおつうさんなんでしょうね」とKieちゃん。
一番新しいおつうさんは、米倉涼子が演じてるから、それに似てるって言いたかったんじゃないの?
「それ(米倉さんのおつう)、評判はどうだったんですか?」
ちらっとTVを見たとき、わたしは好きだったよ。 色黒で、目がぎょろぎょろしてて、崖をがーっと這いのぼっていくようなおつうさんで。 過去の女優さんたちとは全然ちがってて。 あー、これがおつうなんだなあって思った。
でも友人たちはみんな、あれはおつうじゃない!って怒ってたな。
「ふーん」
いいじゃん。 酔っ払いのたわごとでしょ。
「ま、そーですねー」
結局。
わかったような、わかんないようなあたりで話はおしまい。
で。 なんだったんだろう。
誰か、他の可能性、思いつく?