あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

メモ『忍(おに)—絵師金蔵—』

数年前。テアトロ賞の最終審査に残り、雑誌に掲載してもらった自作についての覚書です。

 

 

掲載されたあたりでどなたかに、「花組芝居がやったらおもしろそう」的なことを言われ、大好きな劇団なのでうれしかった一方、本人にはもうひとつピンときませんでした。

そりゃ時代劇だけど、わたしの血に流れている傾向としては、様式美というよりは、流れるようなセリフ回しのつもりでしたしね。

 

 

先日、花組芝居をかぶり付きで拝見していて、

素舞台だったし、

演出家の分析表現の底力と、役者さんたちの技術と魅力がいつもより際立って迫ってきて。

 

そしてひとりの役者さんを見ながらフト、そういえば絵金さん本人は大柄入道だったっけ。つまりあんな感じ? ん? でもわたしの内面を投影してるから、あちらの役者さんのほうが近いのかなあ? とかよぎってしまったのですね。

 

 

 

というわけで、花組芝居前提で、久しぶりに自作を読み直してみたのです。

 

 

 

実を言えば、あれは第一稿のまま投稿した作品で。本人としては生煮え感が強く。あーこんなんでは他人様の共感は得られまい、みたいな。

そして、

なによりも、締め切り前とページ数の縛りに焦って、最後に入れるはずの台詞/大テーマを書き落とすという失態も犯していて。(晩年の絵金さんに、明治になって建前の身分制度はなくなったけど、格差は消えず、むしろ他人を見下げて自分を守りたい人間たち、とか語らせるはずだった)

 

なので。いつかちゃんと構成から整理して、書き直そう。

自分の中ではそういう位置づけだったのですね。

(今は別に書きたいネタがあるので、そっち優先)

 

 

それが、花組芝居の様式を前提に読むと、エンディングはともかく、全体に、なかなかおもしろく成立しそうだと気づきました。うっわ。わたし、いいホン書けてた? というより、

おそろしや花組芝居

 

あそこの役者さんたちだと、ごちゃごちゃした内省も愛嬌として表現してくれそうだし、演出家は何気ないこの一行をちゃんと汲み上げて笑いに昇華してくれそうかな?

ええ、マジか??

 

歌舞伎の台詞を今を生きる人間の想いとして結晶させる技術の恐ろしさ。

あの劇団の、底知れぬ凄みを知りました。

 

 

で。

いつかまた、ユニット立ち上げて演りたい気でいたけれど、これは、どのカラーで演るのがいいんだ???

悩む。

 

原稿を持ち込むという選択もあるのか???

 

 

3時間半の、もしくは10年分?の、災難

 

その日。

 

一週間前から大雪警報は出てましたが、最近の天気予報の傾向から、まぁ、ナメてたかもしれません。あ~も~大変だったよぅという愚痴です。ね、そこに座って、黙って話を聞いて~ 

 

父が要介護3になって2年たちました。ふだんは山梨の別荘で同居し、月に1度か2度、父のショートステイをお願いして、わたしは一晩だけ東京に遊びに行き雑用をこなすという日々を送っています。

遊ぶというのはほぼ観劇。つまりチケットを数か月前から入手済みなので、何か起きても日程を変更するのは難しいのです。特にこの月は、入手困難のチケットをネットで他人さまから譲っていただいたものばかりで、

加えて言うと、父はお泊りが苦手で、日程延長なんて選択はなく、もっと言えば、いつもお世話になっているホームがコロナ陽性者が出してクローズしてしまい、ほかのホームに無理やりにお願いした(これがまた大変でした)日程だし、

 

つまり金曜日が大雪警報でも、槍が降っても、予定は決行!なのです。

 

 

木曜日は分刻みのスケジュールで、父をホームに預け、そのまま高速バスで東京に向かい、昼公演・夜公演、無事に観劇。幸せでした。

 

その後、三軒茶屋の自宅マンションに帰宅。

ちなみにマンションでは共有部分が水漏れを起こしてるため、翌日午前中に業者さんが来る予定で、

洗面台付近のいろいろの撤去作業をしてからの、就寝。

 

 

 

さぁ怒涛だった金曜日のはじまりです。

 

 

高速バスに乗るためわたしが11時までしかいられないので、約束の時間より前倒しで業者さんがきてくれました。結果をいうと。洗面台を取り外して壁をぶち破り、状況の目視確認。漏れてくる空気が寒い。

次に工事する日は自宅にいてほしいと言われ(鍵わたすから勝手に入って作業してくれてもいいですよと言ったけど、却下されました)、どう考えても来週には工事してもらわねば水漏れは続いてるわけだし。周囲に告知するためには一週間前が礼儀でしょうし。(こういう段取りの気配りを一秒で出来てしまうのが、わたしですなw)

見切り発車でその場で日程を決めました。

 

工事のたちあいの代打候補として、弟(大学の先生)に打診メールしたら自分の学部の入試だからその日だけは無理!と言われ。

一日がかりなのでさすがに親しい友人らにも頼みづらく、結局、こうしてわたしが来てるのだけど、それらはまた別の話だわね。

 

水漏れの災難はまだまだ続くけど、この日の話を先に進めよう。

 

 

部屋のとっちらかりは、どうせいないし、来週までそのままでいいですよとし、

11時には家を出て、渋谷でマグロ丼(夕飯)をふたつ買い、バスタ新宿で無事に高速バスに乗る。

唯一の失敗は、SAの休憩で買えばいいやとペットボトルの水をさっさと飲みほしてしまったこと。だって、そこまでたどり着けなかったのだから。

 

 

雪は降り積もっている。それでもバスは安定して走っていて。私は何も心配していませんでした。

 

 

 

 

まず、携帯にバス会社からメールが入りました。ご利用のバスが運休になったので払い戻しの案内をします。ん? 乗ってるけど? バス動いてるけど?

 

 

と、SAの前の停留所で、ドライバーからアナウンス。この先、中央高速が雪のため閉鎖になりました。バスはこれから高速を降りて甲府駅に向かい、そのあと新宿に戻ります。どちらの駅で降りるかはお選びください。

 

ほぅ。

 

父にもう一泊させるのはかわいそうなので、迷わず甲府駅で降りました。ま、どうにかなるだろうさ。(基本、呑気です)

 

中央本線長坂駅までいける電車は、30分後。ベンチには座れたけれど、寒い、寒い、寒い~ もっとも、ドラえもんポケットの異名を持つわたしは、簡易カイロをちゃんと持っていました。偉いな、自分。

 

 

時間通りに電車が来ました。

 

 

雪はどんどん降っています。

 

 

ふた駅ほど過ぎたあたりで、あれ? 駅に停車したまま、なかなか発車しないけど? どした?

 

垂れ下がった竹のせいで上り電車が止まり、点検に時間がかかってるって。お待ちくださいって。ええ~っ?

いよいよ時間が見えなくなって来たので、父を預かってもらっているホームに電話し、状況を説明しました。おやそれは大変だ。夕飯はどうしますか? あ、お土産はマグロ丼なんで、父に選ばせてください。

 

 

 

ようやく電車が動き、長坂駅で下車。

雪に加えて、風景が暮れなずんできました……

 

 

市民バス、うーむ、動いてるかアヤシイので、担当窓口に電話してみると。明日の昼まで運休させていただいてます、と言われました。

 

次に、地元タクシーの2社に電話してみました。20分以上お待ちいただくことになりますが、ですって。この電話口の対応がどちらも要領を得ず、そりゃそちらもパニクってるかもしれないけど、こんな大雪の日は早くおうちに帰りたいだろうけどさ、

じゃあいいです!と電話を切ってしまいました(短気ですw)。

 

 

車はない。

なかったらどうするかって、

歩くしかない。雪の中。車道を。(歩道はとっくに雪に埋もれていて歩きようがありません)

自分の車が止めてある、高速道路わきの駐車場のはずれまで。道はわかっているし。

 

 

なんかね、さっきのふたつのタクシー会社の電話対応の悪さに腹がたってきましてね、ずんずん、ずんずんと歩けました。

 

 

あっ、タクシーの空車か来た!と手を挙げたが、無視される。一瞬スピード落としたんだから見えてたよねっ。え? 

そりゃ、こんな大雪の日は早くおうちに帰りたいだろうけどさ。どっちの会社だったかチェックし忘れたなあっ。

 

 

ずんずんと歩く。次はタクシーが無視できないように、歩く側を反対に変えました。

 

 

寒さは感じません。怒ってるせいかな? 

そうして、20分くらい歩いたかな。

 

 

タクシー来ました。今度は逃がさず、ターンしてもらいました。ありがとうございます。

 

駅からここまで、よく歩いてきましたねえ。えっ、というわけで、怒ってたせいかずんずんと歩けましたよ。あはは、怒らないでくださいよう。

 

ここでいいです。あ、おつりはいいです。お世話様でした。(すでに怒りはほどけている。単純です)

 

 

愛車は。

30センチの大雪にすっぽりと埋もれてました。

 

さ、気まぐれに買って積んであったミニスコップの出番だ。(まさか出番がくるとは)ブラシで雪を払い、タイヤの周囲を軽く雪かきしたら、車は動きました。優秀優秀。

 

お父さん、待ってて。もうすぐ夕飯食べれるからね。(実際はここからが長くなるんだが!)

 

 

焦らずに、ゆっくりと走ろう。

ってか、3台先に除雪車がいるので、ゆっくりとついていくしかない。除雪車のタイヤあと?がぼこぼこで、ハンドルがとられがちでした。

 

 

ようやくホームの前に到着。

公道から玄関前にとハンドルを切ったら、

車の屋根の雪の塊が滑り落ちて、フロントガラスをがっつりと埋めました。ワイパーも動かないくらい埋もれた。 

はああ?

しかも、タイヤが前に進まない。

も~~~じたばた。

 

 

ここにきて、車から降り、うろうろと雪払いを再び。

おとうさん待ってるだろうに。

なにも目の前で。

あ、一応ついたことだけでも伝えとくか。

 

 

そして。

後ろのトランクのドアをチカラいっぱい閉めようとして、寒いし、パニクってるしで、感覚がおかしくなってたみたいです。落ちてくるドアの角の下に自分の頭があることに気づきませんでした。

 

がんっ☆

 

 

頭に手を当て、うーん濡れてる気がする? ポケットのハンカチをあててみると、出血してるよ~

あ~もうひとりでじたばたしてる次元じゃない~

ホームのドアを開け、奥に向かって「こんばんは~」

 

玄関先に置かれた父の荷物の上にタイシルクのマフラーがあり、これ幸いと、それで頭を押さえなおしました。が、動くたびにぽたぽたと床に血がおちる。

ウエットティッシュで床を拭こうとすると、余計に血が飛び散る……

 

えーと、ラッキー、か? 

看護師さんが常駐するホームの、看護師さんが出てきてくださった~ あらあらあら。まず座りましょうね。てきぱきとてきぱはと止血してくださいました。

 

他のスタッフさんが外に出て、車を駐車しなおしてくださり、

また別のスタッフさんが、わたしの顔を濡れタオルでぬぐってくださる。さあこれで、鏡をみても自分の顔にびっくりしなくて済むわね。

コートにこぼれた血とかも拭いてくださった。

 

ううう、人は一人では生きてはゆけぬ。

 

 

どうしよう。総合病院の救急に行った方がいいですかね。そうねえ。縫ってもらった方が治りは早いと思うけど。

父を見る。これ以上、苦手な場所に置いとくのもかわいそうだな。

 

一回家に帰って、おとうさんにマグロ丼たべさせてから、考えます。

 

 

車の中の父はおしゃべりでした。わたしはうわの空だったけど。

 

 

 

そして最大の難関がやってきました。

 

 

別荘の前の道には除雪車が入ってなかったのです。

ただ、わだちがわりとクッキリと残ってました。ふむ、誰かは通ったんだな(今思えば、四駆?)。

 

というわけで、雪の道に突っ込みました。小道はしばらく下り坂なので、車は進み、

そしてそして、家の50メートル手前で雪にはまり、動かなくなりました。

 

 

 

どうする? 

 

 

どうするよ、わたし。

 

 

ミニスコップでタイヤ周辺を雪かきしても、車は、前にも後ろにも動かない。

 

 

父は、わけがわからないままに車から降りたがり、降りても雪にはまって一歩も歩けず、わたしに怒られて車に戻され、でも目を離すと降りたがり、を繰り返します。

 

わたしはジタバタといろいろ試すのですが、結局あきらめて、一番最後にと考えてたことを、受け入れることにしました。

 

 

家まで50メートル。30センチの降雪の中、父が歩ける道をつくる。

 

 

バッグをつかんで雪を跳ね上げ、家の鍵をあけ、玄関灯をつけ、暖房を入れました。

よし。ここが目的地。

 

 

もうね。寒さも痛みもない。休んでる暇もない。頭の包帯はとっくに外れて、止血ガーゼだけになっていました。

玄関下から雪かきスコップを引っ張り出し、ロングコートの裾を蹴り上げ、地道に、一歩ずつ、雪かきしました。

続けていれば、いつか、たどりつく。たどりつく、続ければ。

 

 

泣きたい。でも泣いても解決しないから。

お隣の家は寝静まっている。

もくもくと。もくもくと。

この世界でわたしは孤独だ。ああ、ひとりぼっちだ。もくもく。

 

 

さて、こんなもんかな。おけー。

 

 

平らな雪の中に、道が一本できました。

 

 

次は、立ち止まり気味の父を励まし、歩かせます。あのオレンジ色の光まで頑張って! 頑張って! お願いします! なかなか捗らない。

ごめん。でもここは頑張ってもらうしかないの。

 

車椅子、後輪だけ使うイメージだったらなんとか通用するかなと考えました。即、試してみるのがわたしです。空の車椅子は、雪かきした道を転がせられました。ただ父が嫌がって座らなかったので、使えるのかどうかはわからずじまいですw

 

のろのろ歩く父と前後して、わたしは車に乗せていた荷物を家に運び入れました。こうして車が軽くなれば、動くんじゃない?とよぎりました。

 

 

父は、

ひとりになったらせっせと歩き出しました。ね、こんなもんだよな~ 世話を焼き過ぎればいいってわけではないのです。

 

なんとか家に到着。父をヒーターの前に座らせ、荷物を家に運び、

 

 

軽くなった車は、ぎしぎし言いながらも動きました! お隣のお店パーキングに、無断でいれさせてもらいました。

明日には除雪車が入るだろうから、道に車を置きっぱなしにはできなかったのですね。

 

 

ただいまっ。

お疲れ様でした。ほんと、お疲れさまだよっ!

夕飯、遅くなってごめんね。お茶とインスタントのお汁を入れて、

マグロ丼、食べよう!!

 

あ~~あ~~~のりきったぁ~~

 

いつものペースだったら5時過ぎの夕食が、8時半過ぎになってしまった。これが3時間半の災難という意味です。

 

 

 

あ? 病院? えー無理。もう一歩も動けん!! 寝る!!

たいへんなたいへんな一日でした。

 

 

 

 

 

 

次の日。

起きると、ぴかぴかのまぶしいお天気。雪は解け始めてました。

 

 

神棚の水を替え、きのうはたいへんでしたよぅと泣き言まじりに手を合わせるも、でも乗り越えられたでしょと、誰かに言われた気がしました。

 

 

 

で、家の前の道には除雪車が通っていました。あー。夕べ通してくれてたら、めっちゃ助かったんだけどなあ。

 

 

さて。 

 

車を回収するにも、停める分だけの広さは家の前を雪かきせねば。

ぐだぐだに疲れていても、気持ちが落ち着かず、寝てもいられぬ。雪かきをせねば。

笑うスノーマンでも作りたい雪の量だが、体力も気持ちも余裕なし。

ざくざくと雪かきする。

 

余計な作業を避けるため、少し足りない範囲をかいて、50メートル先の車を取りに行きました。

 

 

 

んん? 車の周囲の雪がかいてあるけど???

 

 

 

え、お隣さん?

 

というより可能性としては、

朝来た除雪車の誰かが、夕べの苦闘のあとを読んでくれて、雪かきしてなくてごめんねと手当てしてくれた気がしました。

 

車を家の前に戻し、斜めにつっこみ、かっきりと足りない分だけ雪をかき、停めました。

 

 

 

作業後はどろっと疲れ果てて、こたつで寝ましたよ。

病院? 血は止まってるし。もう大丈夫そうよ。だから行かないわw

 

 

 

 

 

髪の毛を固めてる血が気持ち悪くて、頭の傷はその次の日、止血用ガーゼを外して、おそるおそる水で洗いました。かさぶたになってるけど、下手にかさぶたがはがれて禿げるのもなんなので、ガーゼをあててヘアピンでとめました。

 

その数日後、父のために来た訪問看護師さんにチェックしていただき、大丈夫と言っていただきました。

 

 

 

 

 

 

さて。あれから一週間たった今でも、疲れがとれたとはいいがたいです。

 

昨日から明日までは三茶に帰って、漏水の工事につきあいました。洗面所はいよいよ壁だけでなく天井も失い、修理は終わったというけれど、水がすぐに引くわけでもなく、ぽたぽたぽたぽたは続いています。

今回の父は、禁断の二泊お泊り。ことあるごとに電話をかけてきては、帰りたいと言ってきます。

 

 

波乱の日々は、しばらく続くのでしょう。でもきっとどうにかなる。する。

 

 

 

あけました☆

いつも大変お世話になり、ありがとうございます。

いかがお過ごしでしょうか。

 

旧年末、胃炎かなと受診した検査で「いつ死んでもおかしくなかった」 総胆管結石性胆管炎が発覚。翌日にはワンオペ入院手術。術後、予定外 の吐血下血からの大貧血。退院まで18日。

要介護の父は馴染みのホーム で苦手のお泊りを頑張りました。

人生、何が起こるかわかりませんネ。

 

おかげさまで生き延び、父とふたり、山梨の別荘で正月を迎えました。

感謝とともに。

今年もどうぞ楽しく悔いなくよろしくお願いいたします。

 

 

死にかけた話 5

(つづき)

 

入院2-4日目

 

さわやかな目覚め。

 

今どきの内視鏡手術はすごいですな。まるでなんのストレスもありません。

そして事前の説明通り、

尿カテーテルを抜いてもらい、そのあと最初のオシッコは看護師さんをトイレに呼んで確認してもらい(少し照れる)、エコーで残尿ないこともチェックしてもらいました。OK。

看護師さんに付き添われ、点滴スタンドをごろごろ押して、自販機に水を買いに行く。このフロアにはいろはす(軟水)しかなくて残念。(しかもすぐ売り切れる)

 

やがて排便。ん? 黒い水、のりの佃煮みたい? 

 

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ワンオペ入院なので、友人たちのパワーがほしくて、入院と同時にSNSに状況を投稿しました。コメントにはひとつひとつ返事しました。暇だし。

誰かにしゃべりたくて仕方ない自分もいるし。

わたしのSNSは、インスタに投稿すると、FBとTwitterに反映される設定にしてあります。ていねいな友人は、それぞれに違う反応を書いてくれました。

簡単なやりとりがこんなに力になるとは、思った以上でした。ありがたや。おつきあいくださったみなさま、ありがとうございます。変わりばんこに誰かが相手してくれている感じで、ずっと寂しくなかったです。

 

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ワンオペ入院の決断も、即でした。

友人に、たったひとりで子宮筋腫の入院・手術を決行したツワモノがいて、わたしもきっと頑張れる。どうにかなる。と思えたのです。

 

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夕方の検温で、発熱が発覚。まあ、夕方だしね。

 

 

なんか胃が、懐かしい感じにむかむかしてきました。

ベッドに横になり、うずくまりましたが、あーここ、病院だっけ。我慢する場所じゃないんだったと、ナースコールを押しました。

 

「どうしました?」

なんか吐きたくて。(たぶん吐けば楽になるヤツ~)

 

吐くために、器にビニール袋をかぶせたヤツを渡され、両手に持って、ベッドに看護師さんと並んで腰かけ、背中をさすられ、

げろげろげろげろ。黒い、のりの佃煮みたいなヤツを400ccくらい吐き出しました。お、楽になった。

「これ、ダメなヤツじゃん」 と、若い看護師さん。

周囲がちょっと騒がしくなりました。看護師さんたちのやりとりの中に吐血という単語が耳に残り、

あ、これ血? でも400ccって献血量だな。大丈夫じゃん、とか。自分が案外冷静だったのは、たぶん思考が停止してたのでしょうね。

 

そのままベッドごと、処置室に運ばれました。

 

ベテラン看護師さんたちによる昨日の手術時の手順が繰り返され、ただ今度は意識を失う前に、胃カメラを突っ込まれました。げええっ。

「飲み込んで」と言われ、喉を開こうと意識するのですが、全身が異物を拒否します。

咳き込むと吐血の残りが出てきて、「吐きたいものは全部吐いていいですよ」と看護師さんの声がするのですが、わたしのからだは胃カメラそのものを吐き出したくて、びくりびくりと痙攣しながら。

 

後日、先生に、胃カメラがトラウマになっちゃいましたよと言ってしまいましたが、考えるに、先生のほうがよっぽどトラウマになりかねない状況だったかも。

 

「出血箇所がみつかったから、このまま焼くよ」と言われて、うなずいたあたりで、意識がなくなりました。

 

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大部屋でなく、ナースステーション横のICU的な部屋に運ばれ、え~ここって個室扱い? 5500/1日? とか考えたな。

 

点滴、心電図、血圧計、血中酸素、尿カテーテルと、コードの蜘蛛の巣にとらえられたポーズです。寝返りをうつたびに、もぞもぞとコードの長さを調節。

そのことと寝ること以外、頭はまわらない。

 

 

やばいことに、お尻の穴から、ガスが漏れるたびに、他の何かもこぼれている気配(下血してた)。

看護師さんを呼んで状況を告げ、穿いてたショーツは捨ててもらい、紙パンツを頼みました。まあ、扱いやすいほうということで、おっきなおむつとパッドを当ててもらいました。

同時に浴衣?からパジャマに着替えさせてもらったのですが、おむつがパジャマに収まるか心配しちゃいました。

 

 

のどが渇いているけど、水を飲ませてもらえず。点滴で水分は体内に充分注がれているはずだけど、末端である口の中は別のようです。

コップにさしたスポンジスティックを咥えさせてもらい、吸うのみ。これがツライ。ってか、頭はそのことしか回らない。

 

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翌日もそのまま、安静。

電話とかSNSどころじゃない。

 

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その翌日、ようやく一口、水を飲むことが許され、口の中のねばつきが消えました。ってか、リステリンしたいよぅ。(無理w)

 

 

 

父からの通話履歴に気づきました。ので電話を折り返すも、出ない。

ホームに電話したらつないでくれました。

 

ごめんね。入院、少し長くなりそうなの。

 

 

(つづく)

 

 

死にかけた話 4

(つづき)

 

入院・手術1日目

 

目覚ましをかけた7時の少し前に目覚めました。病院まで分刻みの予定なので、少し緊張していたと思います。お湯を沸かし、父の朝食を用意。自身は夕べのすき焼きとアイスクリームが最後の食事なのですが、まるで食欲がありませんでした。人間、水だけでも生きていけんじゃないの?

生ごみは庭のコンポストへ。燃えるゴミの袋を縛る。荷物と車に積む。

父が勝手にお着換えをはじめ、待って~ こっちを着て~ (2・3歳児の世話に似てるのかもしれません)と、次第にバタバタ。時計を何度も確認。

 

別荘の水抜き。留守の間、寒さで水道管が破裂しないための手当です。20年前に父が書いた手引書を見ながら、水道栓を見誤って、パンツを泥だらけにしてしまいました。あ~時間ないんだってば!とか、ぶつぶつ言いながらジーパンに履き替えました。あのパンツはいまだ泥だらけのまま、洗濯機に入ってるんだワ。

 

8時過ぎに自宅出発。地域のゴミステーションに燃えるゴミを置こうとして、名まえを書き忘れていることに気づきました(山梨のごみ処理、地域者管理なのです)。ふ、そんなときのために、ダッシュボードにマジックが、あれ、あれ、入ってないよ~ なんでだよ~ 

というわけで、いったん家に戻りました。15分のロス。落ち着け自分。

 

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9時。ホームで、預ける前に父の抗原検査。病院には10時前に入ってほしいと言われているので、15分の待ち時間も落ち着きません。

ようやくOKが出て、

 

行ってきます。ごめんね、おとうさんもお泊り頑張って!

 

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さあ、この先はひとりっきりの戦いだ。

 

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病院着。今度はわたしの抗原検査です。待ちは1時間。

ショッピングカート(笑)に乗せた荷物を預かってもらい、水とポカリなら飲んでいいですよ。自販機に、よかったエビアンがあった(硬い水が好き)。あちこちをうろうろ。

昨日の支払いをし、夕べできなかったお歳暮のお礼状を書き、ポストの場所を聞き、投函しました。

 

入院OKがでました。

 

病室は、ベッドごとにカーテンがきっちりめぐらされていました。コロナだもんね。同室者さんたちにご挨拶なしで入りました。気楽、といえば、気楽か。

窓際のベッドでした。

まず手術用のぺらんぺらんな浴衣?に着替え、足にはエコノミー症候群防止のストッキングをはきます。

 

次が点滴。思いっきり失敗されましたw

わたしは、献血に行くと3つくらい湯たんぽをもたされるくらい血管が細くてみつからないのです。

頑張り続けようとする看護師さんに、えーとほかの人とふたりで相談しながらってダメなの?と訊いてみました。素直にチェンジしてくれました。

 

点滴は、検査用の血液採取も、このあとズット看護師さんたちの一大テーマで、さいごに鎖骨に針を刺されるまでに、両腕はあざだらけになりましたとさ。

 

問題はその次。

手術に向けて尿カテーテルを入れに、「男子」看護師さんがきました。あちらがまず、代わった方がいいですか?と訊いてきて、10秒くらい迷いましたが、ごめんなさい。女性でお願いしますと。

周辺にべにょっとジェルを塗りたくられて、これはやっぱ若い男子では抵抗あるよなあ。

男女の職業の平等とはいえ、うーん、いい年齢なんだからそのくらい楽しめよと考えるべきか、うーんうーん。

でもここはわたしが我慢するトコロか?というのが10秒後の結論でした。

 

そのうちわかってくるのですが、このフロア、男子看護師がかなり多いのです。

抜きに来たときは、もう観念してまかせました。だんだん慣れてきてたし、最近の男子たちだからユニセックスっぽいしね。

 

 

それから検査へ。え、このぺらんぺらん着ただけで、外来者がうろつく1階へ行くの?

ここで、なんとなく魔がさして買ってあった大判ストールの出番でした。全身をつつんでくれた。

なんとなく魔がさして買ってあった父用のもこもこ室内履き(他に踵のあるスリッパが家になかった)も、みんなに褒めてもらって、気分良し。

 

 

いく先々で、おくすり手帳(常備薬)なしに驚かれたのも、気分良しw

(三茶のお医者とは、これ以上、数字が悪化したらコレステロールの薬飲む約束してたのですが、山梨の生活がはじまっちゃってそのままになってただけなんですが!)

 

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前日には午後イチと聞いていたけれど、まあ、いろいろ起こるよね。4時頃の手術でした。

今どきはストレッチャーじゃないんだよ。ストッパーを外した自分のベッドで病院内を運ばれるんだよ。ぐるぐるしないよう目を閉じてました。

 

口から内視鏡をいれて、十二指腸で閉じている胆管を広げ、詰まっている胆石を出す手術です。

この時点では、からだに負担がかからないから一週間くらいで退院できるつもりでいたんですよねえ。素人予定。マジなめてました。

 

 

自力で手術台に移り、ベテランの看護師さんたちに、同時多発にアレコレしていただき、

 

目覚めたら、

 

病室でした。痛みも不愉快さもなし。そのまま、ふうっと眠りました。

 

(つづく/さて、このあとが大騒ぎ!)