数年前。テアトロ賞の最終審査に残り、雑誌に掲載してもらった自作についての覚書です。
掲載されたあたりでどなたかに、「花組芝居がやったらおもしろそう」的なことを言われ、大好きな劇団なのでうれしかった一方、本人にはもうひとつピンときませんでした。
そりゃ時代劇だけど、わたしの血に流れている傾向としては、様式美というよりは、流れるようなセリフ回しのつもりでしたしね。
先日、花組芝居をかぶり付きで拝見していて、
素舞台だったし、
演出家の分析表現の底力と、役者さんたちの技術と魅力がいつもより際立って迫ってきて。
そしてひとりの役者さんを見ながらフト、そういえば絵金さん本人は大柄入道だったっけ。つまりあんな感じ? ん? でもわたしの内面を投影してるから、あちらの役者さんのほうが近いのかなあ? とかよぎってしまったのですね。
というわけで、花組芝居前提で、久しぶりに自作を読み直してみたのです。
実を言えば、あれは第一稿のまま投稿した作品で。本人としては生煮え感が強く。あーこんなんでは他人様の共感は得られまい、みたいな。
そして、
なによりも、締め切り前とページ数の縛りに焦って、最後に入れるはずの台詞/大テーマを書き落とすという失態も犯していて。(晩年の絵金さんに、明治になって建前の身分制度はなくなったけど、格差は消えず、むしろ他人を見下げて自分を守りたい人間たち、とか語らせるはずだった)
なので。いつかちゃんと構成から整理して、書き直そう。
自分の中ではそういう位置づけだったのですね。
(今は別に書きたいネタがあるので、そっち優先)
それが、花組芝居の様式を前提に読むと、エンディングはともかく、全体に、なかなかおもしろく成立しそうだと気づきました。うっわ。わたし、いいホン書けてた? というより、
おそろしや花組芝居!
あそこの役者さんたちだと、ごちゃごちゃした内省も愛嬌として表現してくれそうだし、演出家は何気ないこの一行をちゃんと汲み上げて笑いに昇華してくれそうかな?
ええ、マジか??
歌舞伎の台詞を今を生きる人間の想いとして結晶させる技術の恐ろしさ。
あの劇団の、底知れぬ凄みを知りました。
で。
いつかまた、ユニット立ち上げて演りたい気でいたけれど、これは、どのカラーで演るのがいいんだ???
悩む。
原稿を持ち込むという選択もあるのか???