サブタイトルは『サロメと宿命の女たち』
@パナソニック汐留美術館
展覧会に行って有名作家の世界観にどっぷりつかり、その人の人生や作風についての勝手なストーリーを組み立てたい!(趣味です)と感じるも、
クリムト展もエゴン・シーレ展もそれぞれ友人と行く約束をしてしまってるので、しばしお預けなのだった。
なので、TVの日曜美術館の特集で知ったモロー展に行く。
東京は贅沢だな。おいしい展覧会がいくつも同時開催してるのか。
モローの絵をこれだけの量、一気に観るのは初めてで。
画風がこんなに多彩な人だとは、知らなかった。
そして。よく言われる神秘主義とか精神性とかいうよりも、技術とモチーフに執念を持った画家だったのだなあと、わたしは感じました。
あとね、これに限らず。
アートの評論家や学芸員さんたちは、なんで絵画のモチーフやイメージの出展として、演劇やバレエを並べて語らない(語れない?)のか、不思議。
サロメなどのシリーズを並べて観ていると、大劇場の持つ大きな空間(奥行き)と静謐に通じるのは明らかと感じるのよ。
そして今回は、ファム・ファタルを好んで描いたモローの内面について論じたい企画のようなのですが、
描かれているからだはモデルのもの(基本、母親や恋人ではないと思う)だし、
ドラマのワンシーンとしてポーズや情景をいかに演出して、感情や関係性をたっぷりと閉じ込めてみたいんじゃないのかなぁと、感じました。
この画家は理論派で、番組で語られてたほど内気でロマンティックではないと思うなあ。日常とは別のところで、イメージを編みあげてると思うなあ。
むしろ、
はだかのモデルと対峙している男を、恋人は別室でどんな気持ちで待つのだろうか。画家は恋人に、どんな言い訳をするのだろうか。そっちが気になる。
当時流行りの印象派に乗り遅れた画風を、意地になって?独自のスタイルまで煮詰めた、執念は感じる。
わたしが大好きな『一角獣 』は未完の作なのだそうです。
うん。描きたいとこを描いてるうちに、描きこみどころや止めどころがわかんなくなっちゃった系かもな。
で、やっぱりステキ。
それに、近くで見ると処理が甘い箇所も、離れてみると気にならないのが、モローのマジックだしねえ。
初めてみたんだけど『セイレーン』が2枚あって、画風が全然違ってて、
目録見ても制作年が入ってないので、それぞれ、いくつのときの作かわかんないのだけれど(わたしは何歳でその絵を描いたか、気にするほうです)、
1枚は画学生(イタリア時代?)っぽくて、がっつり細かく描写されてて、
もう1枚のほうが、わたしのお気に入りでした。ぐちゃぐちゃと昏い色でのたくってる筆のタッチが、黄昏で目を凝らさないとよく見えない人影の感じを、よくとらえてた。あー、でも全体には印象派っぽくはないの(人魚だしね)。
なんでこんなに『サロメ』を描くことに固執したのかは、妄想が楽しいわ。女優ラブだったのかもしれないし、自分が『絶対になれない』ものに対するあこがれ(もしくは秘めた自分の内面)かもしれないわね。
おみやげは、クリアファイルと(東洋趣味の画風の)絵はがきを1枚。そしてクリムトデザインのカッティングボード(まな板)を買っちゃった。