あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

mixi 退会しました

今さらですが、ずっとまったく使っていないので退会手続きをしました。

 

聞いていたけど、ほんとだ。わかりづらかったです。
あと。トラブルを避けるためmixiやグループ管理をやめることをつながっている人に前振りしましょうみたいな脅迫?も出てきましたが、今さらなので。

 

ここにお断りを書きます。

 

今までありがとうございました。今後は別の形でつながりましょう。(ってか、つながってる人はつながってるし~?)

ケニアコーヒー

【メモ】

カルディで買った「ケニア」のコーヒーが、わたしの愛する「ケニア」の味わいではなかった件。

 

酸味が前に出すぎて、好みじゃなかった。
なんでこれが「ケニア」なんだ??? 勉強したことないけど、甘さとコクが特徴じゃないのか?

 

大昔、ケニアを旅行したときのコーヒーがうまくてうまくて、淹れる水や飲むときの空気湿度が違うのはもう仕方ないとして、

 

安い豆ではないので、普段から日常的に飲むわけではないのだけれど、


最近は、毎日(消費のため)うーむ???と思いながら飲んでいる。コーヒーがわたしを幸せにしてくれない。

 

 

スタバの「ケニア」はスタバくささはあるものの、おいしく飲めた。

八ヶ岳の家の近くのコーヒー屋さんの豆も、とてもおいしい。

 

 

初めは、お店のおねーさんが豆を間違えたんじゃないか?と考え、

いやいや一応プロ系の店だし、

ではカルディのバリスタ?の趣味とわたしが合わないのかな、と思い、

 

さっき検索してみた。

ローストが浅いと酸味が強くなるんですって。

そういえば、八ヶ岳のお店ではローストをかなり深くしてくれている(豆がとても濃い色)と父が言っていたのを思い出す。

 

 

ちなみに、カルディで「なんとかルアンダ」を買った時も、チョコレート風味の甘さが前に出てきてないなあと思ったっけ。

 

というわけで、わたし的にはカルディでコーヒーは買わないほうがいいらしいという、メモメモ。

 

『ビジット』

前の文章で、スーパーノヴァな舞台という書き方をしたのだけれど、

スーパーノヴァ超新星)って言葉、どんだけ一般的かしらと検索してみたら、

うあ。ぞろぞろと派生名称がてんこ盛り。

 

古い星が自らの重さに耐えられなくなって起こす大爆発のことです。昔のSFでは、新しい星(中性子星)に生まれ変わる的な使われ方をしたのだけれど、ブラックホールになる場合もあるらしい。

今回の場合は、古いものからから新しいものに産まれかわる爆発的な瞬間という意味ね。(あ。大きなものも失われて変化した、のかしら)

 

 

で。主に山田先生あてに。

 

昨夜の舞台みながら、その前から予感していたのですが、

『ザ・ビジット』は新しいカテゴリーなミュージカルの誕生ではないかなあと、いよいよ感じていまして。

エンターティンメントの枠におさまらない。

 

過去にまるでなかったタイプ?と思いかけたけれど、『JC=S』は近いのかな。でも『JC=S』(四季版だけかな?)はカーテンコールを復活と位置付けて、カタルシスなショーアップがあるし。

 

エンタメなダンスパーティではあるのだけれど。もっと抽象概念や未消化な体感や人生の無念さが残るというか。

肌触りがほかのミュージカルとは違う気がするのです。近代演劇に近いといえば、原作どおりというわけで、それまでなのだけれど。

 

  

 

かなめさまがおっしゃっていた、うがいと手洗いと睡眠を大切に。

みなさま、地方公演で存分に踊っていらしてくださいね。

 

 

 

 

自分の本性

昨夜スーパーノヴァな舞台を観て、からだをズッパリ引き裂かれ。

こぼれそうなざくろのような内臓を抱きかかえて(イメージです)、

ふとんの中でからだを折って痛みに耐える、そんな朝。

泣く真似をしてみたり、大丈夫であるフリをしてみても続かず、

胎児のようにまるまって、震えながら、

 

そんな自分を。

言葉を探し、言葉に置き換え続ける自分が、一方にはいるのだった。

これが自己の本性なのか。と情けない。

 

そして時計の二本の針が上を向き始めると、さすがに起きなきゃと考える自分がいる。

苦しんでいるつもりが、どうやら気が済んだらしい。これも本性。

 

禊の気分で湯船につかり、

泡立つ思いに翻弄され続けるのかと思いきや、

気がつくと、昨夜届けたメモの一文の説明足らずを悔いていたりするのだった。

 

「(あそこが)気になっている」ではなく「降ってくる台詞をトリガーに、あらためて世界や過去を見回して、最後の気持ちの折れがあるはず」としなければ、わからないよなあ、とか。

 

驚いて、苦笑する。これもわたしの本性。サガ。カルマ。

 

 

そして日常に戻るのだろうな。

 

 

この痛みを、からだに覚えさせて、

次からモノを書くときは、「だからわたしを甘やかしてほしいの!」という気分を爆発させられるようにする。

これが今日の学び。たぶん観客が求める、共感したいモノ。

 

 

ちなみに。

昨夜から、山盛りのバニラアイスとバナナの輪切りに、ハーシーのチョコソースをまわしかけたものしか食べていない。こういう状態になったわたしの胃は、そういう食べ物しか受け付けなくなるのだ。

甘やかしてほしいとからだが求めている。

のと、

頭を使うと脳が糖分を消費するというけれど、感情がかきまわされても脳(の別半分)が糖分をほしがるんじゃないかしらね。