あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

和裁

お気に入りだったおパンティの数枚がいよいよ「するめ仕様」になって(わかる?w)処分するにあたり、自分が穿きたい下着についての理想をあらためて考えてみて、

わからず、

そして数年前から興味があるようなないようなであったおふんどしというものを思い出したのだった。

 

(興味のある方は検索してくだされ。もっこふんどしというヤツですね)

  

さて。

えーと、これは「買うもの」か「縫うもの」か?

結局、安めの日本手ぬぐいをセットで買い、さらしのストック(台所の布巾用です)があるのでひも部分はこれでつくればよさげで、

 

素材を縫いやすいようにアイロンをかけて整えたあたりで気づいたのだった。

あ。ミシンを友人に貸し出したままだ。。。

しかーし。未知なる世界に突入したいわたしの欲望は、そのとき留まらず、そのままとりあえず一枚、ちくちくと縫い始めたのだった。

木綿だし。直線だし。リズミカルに、細かいメにならないように。ちくちくちく。

 

高校の授業で浴衣を縫って提出したとき、先生に言われたのは「糸のメが細かすぎるわね」だった。ミシンをイメージしてた自分はびっくりした。えー?

メが細かいとツレてしわになるから、もっと大きく縫ってよかったのヨ。そもそも和裁っていうのは、何回か着たらほどいて、洗い張りしたり、ほかのものに縫いなおしたりするのが前提だし。

 

だんだん調子か出てきて、チョットふぞろいな糸目も愛しくて、結局テレビで見慣れた映画を観ながら、五枚とも縫い上げてしまった。

 

しまった。。。ちょっと大き目だったな。おへその高さで結ぶので、色気もなにもない。まぁいっか?

穿いてみると、ゴムの切れたおパンティといったゆるさ。楽なのか、心もとないのか。

そして、なんとなく、楽しい☆

 

え。あ。お写真、撮ったけどね。下着を人目にさらすのもいかがかと気づきましたよ。和手ぬぐいとどこが違うかといえば、そうなんだけどね。あはは。

 

 

ただ、トイレのたびに紐を解いたり押さえたり結んだりがめんどっちぃのだった。

というわけで、今のところ外出時はNG。(どこかで聞きかじったんだが、ゴムを使っちゃうと「ふんどし」にカテゴライズされないんだ、たしか)

 

 

 

さて。トイレに座り、しわのよった使用感のある手ぬぐい生地のようすにフト、遠い遠い過去の見覚え感があって。
いろいろ思いめぐらしたあげく、昭和のおしめだと結論した。自分のを覚えてるはずがないので、四つ年下の弟の、だろうな。昔はパンパースなどなく、ほどいた浴衣や古手ぬぐいなどやわらかくなった布を重ねておしめに使ってたのだよね。

それから、

遥かな遥かな尊い気持ちになった。

だって昔の母親たちは、あかちゃんがおしっこする都度、泣かれて、おしめを取り換えて、洗って、干してたってことでしょう? 

その手間。繰り返し。もう信じられなくない?

あかちゃんのおしっこした布を洗って、干して、たたんで。毎日毎日毎日。すごいな。

 

文明の進展。豊かさ。なんてすばらしいんだ! もう引き返せない!

そしてその、支払い。

気づかないレベルのうしろめたさ。おしめだけでなく。 

 

 

じわじわきたの

 

 

こーいうの、惚れ直したっていうのかなあ。

 

 

新しく惚れたっていうのかなあ。

 

 

 

 

ん、その台詞をニュートラルに処理しちゃうの? え、あ。そうやって待ってみるってわけ? へー。これが今日の芝居。次の芝居は、たぶんまた、ちょっとずつ変わるのね。感情が生まれるのを、揺れるのを、待つのね。ほー。

 

そうして。

 

わたしはこざかしく言葉で分析しようとするけれど、そんなん超えて、あざやかに言葉以外の説得力を差し出す人。かなわん。

 

人間社会に、大自然に、宇宙に向かって、ひとりの人間としての立ち方を示していたよ。理屈を超えて。

 

で。負けることが幸せ。さっきからわたし、どきどきしてる。かなわないなという想いに、細胞がざわざわしてる。ふ。ふ。ふ。

 

 

(おや。最新のPV貼ろうとしたら、FBにしか載ってないのね)

 

 

あつぎ国際大道芸2016 ②

(つづき)

そんでね。あつぎの大道芸、今年は日曜日だけ観に行きました。

最近はいろんな大道芸フェスにだんだん行かなくなってきたのだけど、あつぎはシーズン最後ってイメージで、やっぱり行きたいんだよね。

 

なんかおなじみになった会場で三連チャン観る。(去年もそんな感じでした)

とてもいいお天気で、帽子がほしくなる日向席。

↓↓ 森田さん

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↓↓ いっぺーさんともじゃくん

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↓↓ 大地くん

次々と道行く人たちとのファーストコンタクトだけで、のびのびとゆかいで気持ちのいいショーになってしまう。かれの大道芸のセンスは本当に唯一無二。

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↓↓ 場所を変えて。まことさん。

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このあたりで、予定は未定というか、時間押し押しで、見たいショーが見られないスケジュールに気づく。やっぱ一日だと、取りこぼしが出てくるなあ。

ま、そういうアヤフヤも大道芸のうちだからなあ。

 

いつもの場所にかなこちゃんを見に行く。ちなみにいまだわたしは、厚木の街を迷う。ぼーっと歩いていて、あれ、ここにでちゃうの?みたいな感じで。えーと。とりあえず、じゃあどっちにいけばいいか?ぐらいは見当つくようにはなった。

↓↓ 右はリアルじゃないからね。かなこちゃんが描いたチョークアートだよ。

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このあと、ユキンコさんを少し見たけど、タイムアウト。大地くんの最後のショーに向かう。

大地くんね、ご自分のブログに来年からは大道芸フェスにはもう出ないと書いてて。
なので見届けるというか、もしかしたら本人か奥さまに疑問をぶつけたほうがいいときにはちゃんと訊いてみようと、わたしは前日から考えてて。

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ああ、そうか。と思った。いろんな意味で。ここには書ききれないたくさんのなるほど、そうだね、を感じた。

 

人は。 

できることとできないことをせめぎ合わせて、泣きながら崖にしがみついて、爪を立ててすべり落ちながら、家族を説得しながら、無駄なことをたくさんたくさん重ねて、

ある日突然自分の中に答えを見つけるよね。

無駄と無意味をたくさん重ねなければ、自分の中の答えとは出会えない。だけどある日、スルリと出会えるのだよね。宇宙の真実に。

大概の人は自分の中の答えをさぐろうともしないだろうし、

でも、他とはちがう自分と出会いたかったら、無理やり信じて踏み出すしかない。みたいなことって、あるよね。

 

そんな自分と出会えれば、きっと大道芸フェスにも戻ってくるよね。待ってるから、踏み出して、もがいておいでよ。こんなこと、わたしが言わなくてもわかってるよね。 

そんな全部を、30分だかの間に全部、魅せてもらった。こっちが知恵熱が出そうだったよ。

投げ銭して人波から外れたら、少し離れてもじゃくんも去るところで、お互いにお風呂上りみたいにほかほかしてる感じに、笑っちゃった。

なんなんだろうな。気持ちの奥の奥のほうでみんなでつながっている感じ。だけどそれは、一緒に居るってことじゃなくて。

 

 

 

で、大夜会です。

見そびれたゴールデンズさんたちを、ここで少し見れた。

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大夜会が終わって、ふだんだったら広場を見回せば大道芸オタクな友人たちと出会えて、みんなでカレーを食べにいくところなんだが、

誰とも会えなかった。

ひとりでカレー屋にいけば誰かと会えるかなとも思ったけれど、いか焼き(半身)食べたあとだったので、ま、いっかと、そのまま帰宅。

 

 

身も心も気持ちよく遊びきって。すてきな一日だったよ。

 

あつぎ国際大道芸2016 ①

今年の「あつぎ」はナンカ今までと違っていた。どこがって、うまく言い難いのだけれど。

 

というわけでまず、今回感じた「(わたしの考える)大道芸とは?」みたいなことについて、ちょっと皮膚感覚なことも含めて。

考察させてくれて、ありがとう「あつぎ」!

 

 

で、どこが違ってた?かというと、

 

あちこちのパフォーマンス中、見物がどしどしと紛れてきたり、

(↓↓ パフォーマンスの最中に迷子ちゃんの親をさがすまことサン/この風景すら突き抜けたショーの一部にできる芸人は多くないわね)

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見物が、邪魔をするんじゃなくて、ショーに入り込んでしまいたいみたいな? そんな子どもたちや酔っぱらいさんたち?が続出してたみたいで。

 

それから。こういうフェスでは、会場のあちこちで大道芸オタクともだちと多数出会うもんなんだけれど、案外会えなかったり(わたしだけの感想じゃないよ)、

つまり他所から来たわたしたちが、固まることなくバラバラのまま、見物たちに吸収されちゃった?感があり、

 

そして最後の大夜会では終了後アンコールが起こったり、
ってか、大夜会に出ていた芸人たちの間に、いつにない一体感みたいな空気があったな。自分が前に出るというより、みんなでここに空間を作ろうみたいな?

 

 

街や観客や、フェスそのものが、育ってきたのかな、とも思うし。

 

 

それだけじゃなく、

 

んー。ちょっとデリケートな言い回しなのですが、

 

これは大地くんの最後の踊りで感じた感覚なんだけれど、

かれのからだがシャーマンぽくなって、この土地に根付くナニモノかと会話してるように見えた瞬間があり、

土地(に棲むモノ)が、祭りを、大道芸フェスという神楽を、受け入れてくれたのかなみたいな。

 

 

思い出すと、一年前のこのフェスの帰り道からわたしの神社(神楽殿)めぐりは始まってて、

あのときひとみんにくっついて見に行った神社では、神楽殿が(火事で?)消失してて、みんなでここが跡地なのかなとか推理したんだが、

消失した神楽殿の代わりに、

街中の十数か所で展開する大道芸フェスが、二日間にわたり、ヤオヨロズのナニモノか(神)を楽しませているのかな、みたいな。

 

そんなことを思わせてくれたのでした。

 

 

そしてなるほど。わたしが好きな大道芸人の多くは、シャーマン気質なのだな、というあたりで腑に落ちた。

(シャーマン気質でなくても好きな芸人はいますよ)

 

 

 

そんでそんで。この感覚、地元三茶の大道芸フェスにはないんだよなあ。(地元神社のおまつりでは感じます)

渋谷のフェスでは、マルキュー前の三叉路エリアで感じたことがあったな。

 

 

 

さて今、わたしの中には「共生する個」という結論がぐるぐるしてるのですが、

困ったな、

大道芸や神楽の肌触りが、
共にあるバラバラ感とか、情報のぶっちゃけとか、一体感とかにどうつながっていくのかを説明できない。

 

あはははは。

 

(つづきます)

 

 

落ち葉の風景

今年はなんか大泉の家に行くタイミングを外しっぱなしで。

 

避暑地だというのに、夏の一番暑い時期の東京から脱出しそびれるし、

紅葉の名所だというのに、――これも外した。

 

という、晩秋の大泉。

なんかラピュタみたいな雲だよ。

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森の葉が落ちて、ひさしぶりに二階から富士山が見えた(わかりづらいw)

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そしてお散歩しながら。

昼過ぎだというのに、霜柱が残ってる~

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まあでも、いつもと少し違う写真が撮れた気もする。

 

帰りの中央道の高速バス停から見た、八ヶ岳のふもと。

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