あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

『ビジット』プレビュー

先日。こんな解釈もできるなあとかブログに書いたけど、
「ね、無理」 あーはいはい。
で終わってしまった。ちゃんちゃん♪ 

マチルデさんが美人さんである設定では、計画的誤読はむずかしい。 

日本人の情をベースに解釈を思いついても、テキストに戻ると、キリスト教に裏打ちされた契約思想と個人主義に基づく台詞に、

あと、ミステリーの流れを優先させるために、

なかなか「日本の感性に引き寄せるための隙をつけない」のでした。

 

 

ちなみにあさこさまのマチルデは、肌感覚につっと共感してしまった。丸みと絶望とがすてき。

あのね。マチルデさんがもっと生活感のある方だったら、イルくんの打算がもっと前に出てくるのにね。そうしないキャスティングに男子のずるさを考えてしまう。

 

 

 

昨日のクレア。かなめさまは、もしかしたら演出家先生や祐一郎さんや男子全員が気づいていない部分をていねいに構築してる?という気がしました。(山田さんはさすがに気づいてるかw)

それはクレアの内面の揺れとなってちらちらと見えるんだけど、

女だったらみんな、どんなに愛してる相手でも「あーあ」とか「やれやれ」とか「そういうことじゃないんだけどなぁ」って感触持ったことあると思うの。

なのでわたしは、昨日のクレアに深く共感してしまった。まぁ、日本の女子だと「しょうもないなぁ」と流すところを、肉食クレアは流せないわけで。

でもかなめさまは、そのあたりをうまーく表現してらして。

カーテンコールでうふふふっ♡という表情をしてらしたのは、女子全員の秘密の共感の表れだった気がしたりして、楽しくなっちゃったのでした。えへ。

 

もしかしたらこの作品、裏女子会とかで案外盛り上がるかもなぁ。

 

 

 

そんなとき、ざけんなアルフレッド・イル!となりそうでならない方向に役をつくっちゃったのが祐一郎さんで。

一幕で、群集に追い詰められてるはずなのに深刻になりすぎないでユーモラスなショーにしちゃうとか(これは山田さんテイスト?)、

そもそもあの見てくれで、しがない田舎男とか、人のどうしようもない弱さとかを引き寄せるのはたいへんなのに、

壊しては積み上げ!を繰り返したんだなあと、感じましたよ。ぱちぱちぱち。

 

悪い癖がところどころ復活してたり、

一幕~二幕前半の歌い方は、後半の歌い方との差別化なんだろうけど、うーん、むずかしいとこだわ、とか。

 

でもまあ。うんうん。頑張ったね。で、いっのかな~

 

 

このミュージカルのすごみのひとつが、

かなめさまと祐一郎さんが離れて座ってるだけなのに、深い想いに周囲が包まれてしまう風景で。おとなの恋だわ。大人のミュージカルだわ。

ミュージカルは、演劇は、こんな「夢」をもっと立ち上げていかなきゃいけないのね、って思ったことでした。

 

 

 

そしてこのミュージカルのもうひとつのテーマは「狂気」かもしれないと感じました。

たとえば戦争に向かっている社会って、こういう狂気に支配されるんだろうなあ。戦争だけじゃない。原発や行き詰った資本主義や、純血主義やその他いろいろ。

自分を守るために、自分を表現するために、狂うしかない。

 

クラウスがレーナから受け取った白い花を、追い詰められて手放し、アルフレッドに渡す流れは、意味が深いですね。クラウスの行動は「集団の狂気にあらがう」ともとれるし、「いい人であろうとする狂気」とも取れるし。

その中で、正気であるアルフレッドが狂気に見えるっていうシーンは、20世紀のテイストだわ。

現代が意味する狂気は、もう少しフクザツな気がして。

でも集団の狂気・狂乱が、観客のカタルシスを呼んだら、とんでもない舞台になるなあ。とね。そのためにもう一匙必要なのは、、、、

 

演じる側の狂気なのかしら???

 

 

 

全体に。去年のとっちらかり感が整理されて、シーンがクリアでユーモラスになりましたね。

 

 

そうそう今さらですが、照明がステキ!なのでした!! 男子の四重唱の、内面を裏打ちする美しさにくらくら!

 

 

 

 

『ビジット』の

しあさって(中日ね)、観に行く再演ミュージカルの、

 

わたしの中に湧いてきた解釈について、いつ書こうか迷ってる。

観たら書けなくなるかなあと、えへへ、書いちゃいますか。

 

 

ひとつのキーワードは「こども」。

こどもを守る(養う)ために、人は正義を曲げるのかもしれない。ちがうな、これが正しいと信じるのかな。市長さんも、マチルデも。

 

もうひとつは「愛のバリエーション」。

憎み切るという執着も、深い愛の形だし、

その愛を受けとめるために命を差し出すことも、愛。クレアの気持ちをまるっと受け止めるって、そっか、そういう形になるかなあと。(オンナの発想?)

わーわーメロドラマだわ。でも結晶したらステキよ。ロマンティックよ。きゃっ。

とか、なんとか。 

 

演出家先生は、構成はそのままで少し演出を変えたと、ご自身のブログに書いてらっしゃる。さて。

 

 

 

 

(ところで羊毛フェルトで、うははは、めちゃかぁいいのができてしまったよ~ 手放すの惜しい~☆) 

大地くんの

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日曜日は知念大地くんのオペラシティでの大道芸を見に。

その日のかれは昼間、下北沢の小屋(劇場)にも出てたのだけれど、わたしは室内という閉じた空間の中でのかれにはあまり興味はなくてさ(ごめんっ)。

 

大道芸のお題は「踊り」でした。久しぶりだった。誰でも簡単に楽しめる質のものではなく。観るほうもちょっとコツがいるというか。

 

終わってから大地くん、わたしに向かって「なつかしいね」と言った。うん。かれがこの「踊り」を始めたあたりからわたしは観ていて、そのころは井の頭公園で通行人?におまわりさん呼ばれちゃったこととかもあって。倒れてもがいている人がいますとかってwww (ちゃんとヘブンのポイント枠なのでしたが)

 

 

どんなのかというと。

たぶん、

大地くんがその場の風景や音や空気を感じるだけの存在になる。わたしも自分の感覚をぶわっと開いて、大地くんの感覚をとおして無心で耳を澄ます。もしくは、その場の空気を輝きとして自分に取り込み、押し広げ、その中に「いる」大地くんの動きを感じ取る。ほんの一瞬だけ、宇宙が降りてきたっと、空気が変わるときが、ある。

みたいな。そんなやりとり。

ほかの人たちがどう見ているかは知らない。わたしの場合は、そんな見方。感じ方。

 

今回、大地くんってバクテリアっぽいなあと、ふと思った。存在そのものがね。何も想いもメッセージもなく、ただそこに居るだけ。わずかにわずかに、何かを侵食しながらね。

んん。

それでいいのか? わたしにはわからない。

そのまま突き進むことで出会う何かがあるのかもしれない。なにかがわたしに届くのかもしれない。

 

んん?

 

 

 

わたしね。

この間のヘブン上野で、バーバラ村田さんパフォーマンスを観たとき、愛とは支配と被支配のやりとりのことなのかしらん?と感じたのだけれど、

人と人とのあいだには、共振だけでなく、支配される喜びと畏れがあって、それがぴりぴりと(Mっぽい)喜び、ロマンティックになるのかしらん、とか。

 

なので、

ショーを観るということは、相手に支配されたい要求なのかな?とか考えているところなので、

 

  

大地くんの圧倒的な内面みたいな何かに触れてみたいなあ、支配されてみたいかもなあと、思ったりするのですよね。

 

 

正解がどれかはわからない。

ただ、この先。知念大地はどこにいくのだろうと、見守るだけ。 

 

 

 

 

 

週末のご飯会

なんとなく幸せな風景だなあと思った。

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ふたり帰って、もひとり来る前。

仲良しで礼儀もある雰囲気が、よく出てる。

 

 

 

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持ち寄りのお料理。最初の写真を撮って、あとは撮り損ねたのはいつもの通り。食べきれない、吞み切れないはクリスマスまでお預かり。
つるくびかぼちゃのスープがハロウィンぽい?

手前は一個つくってあきらめた、ちくわ星人のなれの果て。(きゃら弁つくりってすごいわね。手間が半端ないじゃん!)

日本酒と手作りビールとワインとレモンチェッロと、超ちゃんぽんで、みんなぺろぺろでしたよ。

 

14人の来客が「今日は少なめ」感覚でした。だっていつもの半分じゃん。三茶de大道芸ボランティアに初参加のまよちゃんは、わたしと面識がないのに楽しそう~と紛れ込んできました。勇気に拍手。

 

ひとみんとみっこちゃんが、例によってうさぎにヨガさせたよ。

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(写真は次の日に撮りましたん)