かえちゃんが演出ということで、老舗劇団のラボ公演を観てきました。
演出家 菅田華絵は、オーストラリアに在住してたこともあり、
日本ではめずらしくオージーの作家の作品を積極的に取り上げています。
奇をてらうことなく、端正に正攻法で深くテキストと向き合うかの女のスタンスは、
この劇団の役者さんたちと、いい感じに同じ方向を向いていると感じます。
とはいえ、
幹部さんとかからは「チョットうちの劇団っぽくないネ」と言われたりする苦労はあるみたいですが。
今回のこの作品は、わたしにはなんとなくの懐かしさを感じる作風の、
私小説風というテキストでした。
や。今時の劇作家はこんなわがままは言わないと思うが、と内心冷や汗をかいたり。
んん。劇作をするときって、日常でもこのくらいわがままを言ってもいいのかしらん?と思ったり。
『ベニスに死す』ネタの台詞に客席で噴き出したのは、わたしだけで。
劇作家と少年の心とからだの交流も、時代の流れの中で変化してるのね。と実感。
(テキストが描かれたのは1991)
わたしはここしばらく、キリスト教圏と日本人との文化の差について考えているわけですが。
オーストラリアの人々の主張のひだに、
日本人と違うよなあ。と感じることが、多々あるのでした。
(かえちゃんは、数をかぞえるオージーの指の折り方にもなにげなくちゃんとこだわっていて、わたしはにやにやしてしまう)
そして。
「ホーム」という言葉の深淵について、向き合わされたのでした。
キリスト教に支配されている文化の中での、ホームの持つ意味。
アイデンティティの依存。
失ったときの恐怖。
家族のハグ、が持つ意味。
日本人には計り知れない闇があるのかもしれない?と感じたのでした。
というグローバルな印象。
翻訳もののおもしろさを堪能しました。
訳された方が、早稲田で授業をされているということで。
終演後の客席では履修生を中心に出張授業がありました。
先生の解釈。
演出家や役者さんに、学生が質問したり。
なんか、新鮮。そうか。若い人にはそんなことが疑問なのか。みたいな。
かえちゃん、青白い顔でとても緊張してました。
友人としては、えええ?と思ったけれど、
劇団幹部さんたちが見学してる中、老舗劇団を代表して発言しなければいけなかったわけだから、
そりゃ当然か!!
お疲れさまっ。
これからもがんばれ〜♡