たった今、思いついたんだけどネ。
原発について語るのが、
立場的に難しかったり規制されたり、正しい判断をつけかねたりするのだったら、
時代を遡って「原爆」についての価値判断に回顧してみたら?と思う。
「原爆」が正しいことだったのか。(←正しかったという人たちは大勢います)
年月を経て、かなり客観的な感情で、
これは、いくらでも語れるし、
誰もがずっと判断もつきやすいのでは? みんなで結論を導きやすいのでは?
(笑
すぐに「原発」に結び付けなくてよろしい。
でもそれが、あのエネルギーに対する評価であるはず。
「原爆」はネ、
アメリカさんは黄色いお猿さん相手だから落とせたのだヨ、という意見がある。
落とした直後、
親切そうな医療班の振りをして化学的なデータだけ集めて、
とっとと引き上げたという見方もある。
自分たち(日本人/アジアン)はアメリカにとって、
もう黄色いお猿さんたちではない、って。格上げされた存在だって。
思っている?
そうそう。
先日、TVを観ながら父が、
「いつの間にか日本人はパン好きになってたなぁ」と呑気なことをいうから、
学校給食という形で馴染まされて、小麦粉の消費国にされた戦略でしょう、と返したら。
うーん
給食の発想の入り口は、
戦後の飢えた子どもたちに栄養を与えるという親切から始まってたはずなんだがなあ、と。
悪意だけの人間はいない。
でも、「自分の家族を飢えや'敵'から守るため」という言葉を掲げたら、
どんなことでも出来てしまうのも、人間。
性善説とかは、思考の手抜きだからね。
っと、閑話休題。
まさか。
数十年を経て、わたしたちは2回の原爆の悲劇から立ち直ったのだから、
何十基という原発をも容認できるのだ、という
論調にはなるまいと思うのだけれど。――なるかな?
――なったりして???
わたしたちは選ばれた国民だから、
イザとなったら神風が吹いて護ってくれますからっって???
来月に備えて、みんなで「原爆」を語ろう!!
(語るだけの想いを自分の中で組み立ててみよう!)
正々堂々と、思いっきり、語ろう。
学習するとは、そういうことではないのぉ?