あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

4月のフール

エイプリルフール。

せっかく嘘をついても罪にならないという日なのに、
つきたい嘘もないようでは 少し哀しいかと思って、さっきから考えているのですが、
ないものですね。
「実はわたしね、今まで黙っていたけれど……」
その先が続かない。
ショーマン・シップが足りないのか。
そもそも普段からが、女の嘘で塗り固められているからなのか。
というか、うっかりするとこのまま1日、ひとりで部屋にこもって終わりそうだし。

外は花曇。

時々、選挙の宣伝カーががなりながら、行き過ぎていく。
「都知事には○○、都議の補欠には××、わたくしは△△(区議に立候補)」と節操がないというのか、
必死なのか。
それとも、これも、マジ冗談? (ンなわけ、ない)

……逆に。

今日、一生懸命に言ったこと、成したことが、全部、嘘になったらもっと哀しいなあ、と。
いや、
さっきから戯曲という大嘘を書く作業をしているわけですが。
これが「嘘」になるなんて、とんでもない!
ひとしずくひとしずく、おっかなびっくり、搾り出しているような作業なのに。

プロットに縛られてはいかんなぁというのが、今日の意見。
というと、
単に自分が苦手だからでしょうと、突っ込まれて終わり、なんですが。

プロット(構成・骨格)を書いてから、戯曲を書く、という形式がわたしの憧れ。
すごく頭がよさそうでしょ。 計画的で無駄がなくて。
なのに。
この数週間、悶々としながら、ついに1行も書けず。
 
ノートにいろいろなパーツを、メモしているのですが、
たとえば、
このふたりが出会ったときは、こんなふうに会話が流れていくかなとか。
こっちのふたりには、過去、こんな会話があって、とか。
でもそれが、プロットにはならない。

4月に入ったことだし、
あきらめてワードの1ページ目に、「(タイトル) 第一稿」と打ち込む。
「登場人物」「舞台設定」……「幕前」…………「シーン1」…………

書けるなあ。 とりあえず。

…………そうか。

ひとつの台詞、一流れの会話に含まれる、裏の情報量を思う。
それは、書いてみて初めて、はっきりとした質量をもってくるようだ。
その質量に対して、次の台詞はようやく産まれ、次の質量を立ち上げてくる
わたしはそこまでプロットでは、組みきれない。

わたしの書く台詞はまた特に、「裏の意味」が、
伏線だの思わせぶりだの無自覚な暴露だのが、複雑怪奇に多いんだろうな。

プロットを書く大切さは、承知している。
自分でも、会話の流れに引きずられて、何を書きたかったのかがわからなくなるのは、よくある。
こういうときは、
昔、浅利大先生が、千々に乱れる想いというのは要約できなくて、そのまま千々に乱れて解釈するしかない。とおっしゃったことを思い出して、納得する。
もちろん問題は、それを他人(観客)が、演劇空間というショーとして、楽しめるかということなんだけれど。 

 

今、書く作業が止まって、こうしてブログに逃げているのは、
次の台詞を1行書くと、逃げようのない、重いやりとりが始まってしまうからだ。

スポーツジムにでも行き、汗を流してこようかな。 (こうして逃避は加速する)