あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

在宅介護はじめました-9

月が変わって、GWも終わりました。

 

父のからだはずいぶん元の状態に戻ってきました。

昨日は歩行器ではなく杖で、買い物についてきました。(スーパーの中ではカートを押してくれてる)これで1300歩。

先日は植物園へ行って散歩してからの買い物で、計3000歩でした。散歩の際はわたしが車椅子を転がしてついていきます。疲れたらその場で座るために。

ご近所を散歩していて疲れて一度、車椅子に移ったのだけれど、八ヶ岳の裾野は坂ばかりですから、帰り道は下り坂。車椅子のセオリーで進行が逆向き(後ろ歩き)になるわけで、それが怖かったみたい。そのあと、家から10メートルのところでいったん座って休憩したのですが(あと少しなんだから歩いてよ~と内心思ったが、せめて車椅子で運ばせてよ~と思ったが、スゴク思ったが、はい、言葉にはしてません)、そこからすら自分で歩くと言ってききませんでした。はいはい。

 

昨日から、家の中でも杖に切り替えてみました。歩行器だと尿をとるためのカテーテルとよく絡まっていたのですが(なんで絡まる?)、とりあえずそのストレスからは解放されたようです。

 

入院前に普通にできてたことが退院時になんでできなくなってんだか!と、こぼした時に。在宅医療の主治医の先生から、94歳まで生きてる男はほぼいないんだから、できないことがたくさんあったアタリマエよ!と言っていただき。

ですよね。そりゃそうだわ。

できることを数えて、感謝しようと、切り替えました。

 

 

着替えて、外に出ることを増やしたのは、軽い運動と一緒に、頭の中も少し動き出す感覚があるからです。

わからなくなって途方に暮れることが多いのは相変わらずなのですが、会話が会話らしくなってきたし、いろんな心配事(支払いとか契約とか、今の自分のこの状態は正しいのか?とか)も、それなりに抱えるようになってきて。

 

 

これ。この部分。

 

 

あのね。わたしの中にはずっと葛藤がありましたよ。

一時(入院時)は無反応で呆けたままな状態にまでなり、それからいろんな手段で脳の活性を目指して(入院中でも、これは家族の役割のようですね。あ、これは皮肉ですよ)、

すると。

わけのわかんないことを主張しだしたりし始めるわけですよ。本人の中では理路整然としてるらしいけど、いやいやいや違うからね的なことを。

それを論破するのが(一応、わたしは静かに粘って論破します)、そりゃ大変で面倒で。納得しないで父が癇癪起こすときもあるし。けんかにもなるし。

 

これがね、すっごく大変なのです。

 

そうなると、脳の活性化って、「本人にとって幸せなのか?(←これがわたしにとっての大命題)」とも考えるんですね。ぼーっと生きてるほうが、実は幸せなんじゃない? せっかく神さまがくれたニルヴァーナ(涅槃)な境地を、わたしがおせっかいにも邪魔しているのは、大いなる思い上がりなんじゃないの?

 

現在では、悩むこともその人の権利だから、可能なかぎり脳の活性を目指そうという考え方をしています。これだって、この先、考えを変えるかもしれないわ。