東京芸術劇場で大道芸の第一人者である橋本Pの2時間のレクチャーがあり、受講しました。
ここ3年ほど、東京芸術劇場ではプロの大道芸人を対象にしたアカデミーを開講していて、わたしはずっといいなーいいなー受けたいなーと言い続けていました。(当然ですが、プロの大道芸人じゃないからダメ!と言われました)
劇場の担当の方がアカデミーの内容に触れ、これは座学だけでも一般の方にも広めたい!と考えられて、このレクチャーになったそうです。もー感謝です!
大道芸の歴史に沿って、ハグレ者のスピリットについて考える2時間。
めちゃくちゃおもしろかったよ~
歴史というのは、社会構造と個人とのかかわりあいの変遷と解析なんだね。
自分自身の立ち位置をも確認できる。
そして講座終了後に、他何人かの方たちと、橋本さんに飲みに連れて行っていただきました。
そこではもう少し、「実例」に沿っての遠慮のないディープな話を。
橋本さんってば何を目指してんの? これでいいの??と思っていた企画の裏側には、実は壮大なイメージが潜んでいたこと(参加したパフォーマーたちのほうがまるで意図を汲んでなかったみたいだな)や、
わたしが、何故このパフォーマーたちを評価しきれないのだろう?と漠然と感じていたことの理由がクリアにされたとか、
まあ、いろいろと、
パフォーマー/表現者にとっての大切なコアが、技法が、ちょっと明るく見えてきたのでした。
言葉にすると、今さらかよ!と笑われそうなコトなのですが、
や、改めて本質に触れたというか。
「見物の感情を強く揺さぶる」という大切。技法。
わたしたちはその「強さ」の研究をしなきゃいけないのだと感じました。それはもう、趣向とか奇妙とか驚きとか上手とか肩書とか時代への迎合とかいうカタチじゃないんだよ。
強さ強さ強さ。心の。
カタチはあくまでも、異世界へ入るための糸口。
素人っぽい領域だけど、努力とか一生懸命とかは、近いかもしれない。
(先に書いたわたしが好きなのにどうしても評価しきれないパフォーマンスとは、カタチや道具にばかりこだわりすぎていた傾向があるということです)
四季の御大がよく、「祈り」という言葉を使っていたのも思い出したよ。
そして。
レクチャーの中で、ハグレ者たちは組織権力/宗教から離脱した存在という説明があり、
ハグレ者たちのための「神」の存在について語られた(定義はなかった)のですが、
次の日の明け方。おふとんの中でわたしは気づいたんだよ。
何故、自分は表現をするのか? ズット、なかなか明確に答えられないこの問い。
その答えにたどりついた気がした。
自分、もしくは自分の中にいる(芸能という)神さまを鎮めるために、わたしたちは言葉を紡いだり歌ったり、絵を描いたり何かを作ったりと、表現せずにはいられないんだ!
なんかね。迷いが乱麻がひとつ、断ち切られたよ。