作業場にいたみんなが、突然次々とわたしに話しかけはじめて、わたしは光に包まれるような幸せを感じた。そんなことがあったよ。
屋外ワークショップで疲れきって、使い物にならなくなったわたしは、
夕方からあったマンションの総会はパスさせていただき(理事をしているので会場までは行ったのだが、みなさんとむきあう側に席が用意されてたので、もぉ、気力が持ちそうもなく、かんべんしてもらいました)、
でも神経はタッているので家に帰りたくはなくて、飾り付け制作ボランティアの作業場で他の人たちの手仕事をながめてました。
ひとみん(癒し系美少女)の横で、ぐったりとおしゃべりしながら、ね。
わたしにはよくわからないけれどアスペルガーなのかな、コミュニケーション障害のおにいさんがいてね。仲間に入りたいんだと、人の中で役に立つ自分でいたいんだと思ってるみたいなので、その気持ちは大切にしたいんだけれど。
独特な自己顕示に面食らうことが多いって言えばいいのかな。
とにかく、しゃべりたがるけど会話が成立しないし、難解(ありがた迷惑)な指示を出したがるしで、半分は、はいはいと聞き流す感じの対応になってしまうのはしかたがないと思うのよ。こちらは自分の作業をしにきているんだしね。
話をしているところに口をはさんできたときには、「ごめんね。今、大切なお話をしているのであとでね」と言えば引き下がってくれるし。ちょっと辛抱が必要な相手(もしくは5歳児?)、なんだと考えればいいのだとわたしは思いついたの。
(うん。先日、いわゆるウザい系おじさんな方(思いっきり作業の邪魔をされたっ!)と辛抱しながら会話してて、似たり寄ったりかも?という気がしたんだよ)
で。そのときのわたしは作業してるわけではなかったので、話しかけられたとき。いつもよりも、かれの話相手になってみた。たまには本人の気がすむまでしゃべらせてみようとも思ったのだけれど、
それはもう、甘かったのでした。
エンドレスなうえに、だんだん言ってることが難解になってきた。たぶん当の本人も混乱してきてて、余計に言葉を重ねようとしてぐるぐるになっちゃったみたい?
そしてわたしも、ぐったりしてて頭がまわんないものだから、一緒にぐるぐると当惑から抜け出せなくなって、会話の方向をつくれなくなっちゃったの。
たぶん、
そのときのわたしの返事は妙なトーンになってたのかな。
ひとみんが、自分の作業についての話題を少し強引にわたしに振ってきた。そちらにはクリアな感想を返せる。珍しいことにひとみんは、わたしを引きよせるように会話を続けた。作業内容のアレコレ。はいはい。(あれ? これは?)
一度途切れたけれど再び、おにいさんがわたしとの会話を続けようとしたとき、
今度は、
部屋のあちこちからわたしに向かって、作業内容の質問とか、感想とかが投げかけられてきた。切れ目なく。
それに応えているうちにわたしは、自分が居合わせた全員の思いやりという金色の光に包まれているのを、少し無自覚なままだけれど、感じたんだ。
おにいさんは話の腰を完全に折られて、数秒ぼんやりとしてたが、気を取り直して元気な挨拶と新たな指示を振りまきながら、さくさくと帰って行った。
そのときはね。これはかれに失礼なことではなかったよね、みたいなことを考えてて。実感に欠けてたけれど。
あとになって、わたしはなんて素敵な大勢のやさしさに包んでもらったんだろうと。
みんなに一斉にやさしくされるって、守ってもらえるって、こんなにウレシイことなんだなあ、と。
おかげさまで幸せ者です。ありがとう。