あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

信じてはイケナイ 2

昼にTVをつけたら、NHKの「時空タイムズ編集部」という番組のしっぽだけを観る結果となった。 マヤ文明の文字についての内容だった。 再放送らしい。 (最近のBSはコマメな再放送が多い)

ついでに書くと、番組内の「古代マヤの人々は温厚で戦争は好まずと思われていましたが、実は」というナレーションに驚く。
神への供物として、捕虜の首を落として血を捧げていたよね。 セレモニーとしてバスケのようなゲームをして、その敗者の首を刎ねたんだよね。 そのゲームを楽しんで観戦してたんじゃなかったっけ?
と、わたしが昔々から知っていたことが、いつから「最近になっての見解」になったんだ?というのは、まぁね、どうでもいいのだけれど。

(追求はしない〜。 これ以上、興味の対象を増やすととんでもないことになる〜。 ミュージカル・ネタ/方法論につながるものが優先〜!!)

サブ・タイトルの内容に興味を持って、ググる。 おなじみのウィキペディア。 はい、盲信してはイケナイ最たるページですが、やはり便利でわたしはよく使う。
だが今回は、そこの記述がどうにもサブ・タイトルの内容に一致しなかった。
で、
サブタイトルでググってみる。 「古代マヤ文明 天才少年が解き明かした謎の文字」 ドキュメンタリー番組好きの方がブログで番組のあらすじ(初回放送分?)を書いてらした。
文字の解読の流れについては同じなのだが、ウィキペディアとは、決定的な発見者の名まえも国籍も違う。 おいおい。 
まぁね、どうでもいいのだけれどね。

肝心なのは、違っていたという事実。 ある情報の事実を裏打ちするところまでアンテナはのばさないといけないよネという自分の確認。

 

で、なんでこんなことを大騒ぎに書いているかと言うと。
最近は、刺激や資料として舞台を観なくなった代わりに、映画(レンタルDVD)を観るようになったのだが、それはひどいドキュメンタリー映画を観たからで。
たぶん怒ってます。 しかもすごい賞をいろいろと取ってるらしいんだ、この映画。
ダーウィンの悪夢
悪夢とは、よく言ったもんです(皮肉です)。 撮り方の工夫で、事実の片面だけを微妙に調理して、ここまで説得力を持たせられるとは、ある意味すごい。 観ながらずっと吐き気がしていた。 歪曲ってのは、悪意なのか、エゴなのか、演出なのか、信条なのかと考えていた。

タンザニアの貧困についてレポートしている(形をとっている)のだけれど。
わたしはケニアを旅行したことがあるので、20年前とはいっても、実際のアノあたりの空の色やブッシュ(草むら)の色、鮮やかな太陽の加減、人々の素朴でやさしい本質を知っている。
だから、映像の光量や彩度、撮影時刻などを調節することで、テーマにあわせてもっともらしく演出していることが、よくわかる。

昼間に撮ると、太陽のもとに明るく曝け出されてしまうから、ほとんどの撮影は夜か早朝。 絶妙なコントラストをつけて、すべてを「明るいのに暗い」印象の世界に書き換える。 
インタビューは必ず逆光にして、暗い中に表情と個人情報を消す。
他にも、画質を荒らす。 映像を流すタイミングによる故意な誘導。

そして、うーん、たとえばね。
新宿の歌舞伎町の片隅で特に哀しげな人を10人くらいチョイスしてね、インタビューして近くの風景を撮ってね。 日本の恥部と搾取の告発とする映像とされたら、どうなんだろう。
感傷的な感情と驚きに支配されちゃうと見えにくいけれど、公平性や実際の社会認識には欠くわけで、それだけで善人ぶった怒りを振り回されてもねぇ、と思う。 

タンザニアにひどい貧困がないとは言わない。 それは事実。
観終わった後、ちょっと白身魚のフィレは食べにくくなったなというのも、事実のうち。
だが、ジャーナリストとして恥ではないのだろうか。