あとりえあげん

劇作家・ミュージカル関連のコミックエッセイスト・多摩美校友会理事 活動ベースは三軒茶屋ですが八ヶ岳の別荘で在宅介護はじめました☆

[ブログ版] 世田谷区三軒茶屋で隠居してます。ときどき劇作家。HPはコチラ http://agen.web.fc2.com/

「M.A」 ペアペア

                 2006/12/2 12・00〜/17・30〜   帝国劇場

観ましたよ。 ヘビーな革命劇をマチ・ソワで。
1日が、それだけのためにあった。 ほかの事、何もできなかった。……ま、たまには、いっか。 
え? 感想? うふふふふっ。 幸せでしたぁ。

まず第一に。
芝居を観ていて、ドライアイを重くするとは思わなかった。
あんまり辛いので、しばし目を閉じて耳を傾ける。 王妃さまとフェルセンの波うねるデュエット。 これもこれでステキな経験だったが。
まばたきもせずに見つめているわたしが悪いのか。 乾燥しきっている劇場が悪いのか。 喉に負担じゃないのか? (そうでなくても公演が1ヶ月を過ぎて、喉は負担だろうに) ご自愛なさいませ、キャスト・スタッフのみなさま。 思ってらっしゃる以上に乾燥してます。

※ ドライアイ ↓ウィキペディアの項目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%A4
おばさんもいろいろと、病気持ちです。

この1ヶ月ぽつぽつと観ていて、芝居が少しずつべたついてきた(観客の情感に訴えてる)なと思っていたら、今日はもとに戻ってきていた。
「台詞も変わりましたよね」と教えてくれたのは、マチネをご一緒したひろちゃん。
それから、国王陛下の「あ、そう」が、前陛下の「あ、そう」じゃなくなってきたよね? 残念だわ。好きだったのに。
「クレームがついたんですかね?」 うーん。
……まあねえ。 帝劇は皇居に向かって奉納している位置関係にあるしねえ。 
単に石川さんの中で、その役の台詞になっただけかもしれないし。

そういえば、ソワレ。 演出家か、何かの評議委員かがいらしてたのかな?
全員の気の入り方が少しずつ強くて、観ていたほうはチョットラッキー
UCカード経由で買ったのに何故かセゾンカード招待になっていて、まあいいのよ、おかげでおまけのご挨拶が観れるから、これもラッキー。

本日のペア1 王妃さまとフェルセン
演出家の意図もわかるのですが、オンナとしてはもうちょっとだけ、甘く夢をみてみたいなぁと思う。 涼風さんて、つくづく男役出身……。 いえ、このアントワネットの表現はだからこそ出来る!ことが多いのでいいんですけど。 ラブもいろんな意味での戦いなんだってのは承知してますし(笑笑っ)。
でもね、それでもねえ。
辛いからこその、甘え、微笑み、弛緩、酔い。 だからこそ恋は甘美。 って、いつも思うのは、わたしだけなのか?

本日のペア2 マルグリット×2
マチ・ソワで観るってことは、ダブルキャストを並べて観られるってこと、でした。
後半になると、役の持つ意味に飲み込まれるのか、そんなにお二人の差は感じないのだけれど。 前半にほのかに見えるおふたりの持ち味の差みたいなところが、微笑ましい。 いいなあ。 女の子ってかわいい。

本日のペア3 ボーマルシェカリオストロ
これ言ったら、怒られそうだなあ……。 でも書いちゃうもん。
演出家さんはカリオの存在をもてあましている。 最初、わたしにはそう感じられたのですね。 似た役割のボーマルシェは使いこなしているのに。 作家がカリオを重要視しているから切れないってだけみたいだ。
いや、カリオを切られたら、劇場に通わなくなるの、わたしだけじゃないだろうしね。 困る。 そりゃ。 お仕事を切られちゃ。 ほんとに。
ああそうか、幻想趣味のオペラタッチの作家と、リアルを見据えたいタッチの演出家が、お互いをリスペクトしながら作った(おとなの)作品なのね。 多少のちぐはぐは大目に、見るべきか? (それに、ちくはぐを感じるのはたぶん、カリオ視線でながめてるわたしぐらいだけだろうし)
1ヶ月の公演が過ぎて。
毎日の積み重ねが、文字通り、カリオのるつぼの中で混ざり合って、煮詰められて。
ボーちゃんとカリオくんのでこぼこコンビ(?)による「うさんくさい」ショーとして、この人類の重いテーマを抱えた「M.A」という舞台があるのか?と見えるようになってきた。 
そりゃあ、それを言ったら最初から、
ふたりはよく一緒に回り盆にのって舞台に出てるし、
カリオは錬金術が世界を変えると歌ってるし、
ボーちゃんはミニ・パロディを劇中劇として公演してるし、
カーテンコールではふたりが両脇に立って、以上マリオネットたちによるショーでした的にお辞儀してるし。
……だって今まで、そんな風に見えてこなかったんだもの。 すんません。
カリオのフードの上げ下ろしには、何か意味があるの?って考え出して、始めて見えてきた。
フードをおろしているカリオは、人々の中で見えない存在、でも操っている存在として歩き回っているのか?って。 (わたしの眼にはどんなときでも主役で、裏表のない誠実でおおらかな気性の人間を、役柄としてそう理解するには時間がかかったってこと? 苦笑というより大笑い?)
だとしたら、この作品。 もっともっとすごい核融合をおこすかもしれない。
エラク楽しみになってきました。 コンビ仲良く、これからもいいショーを見せてくださいませ♪

もうひとつ。
終幕を観ていると、JC=Sのエンディングがいつも思い出されていた。
アントワネットも、ジーザスが人類の罪を背負って死んだように、人類の自由への認識のための生贄として死ななければいけなかったのかと。
今日、裁判のアントワネットが虚空に向かって誰かと会話をしていることに始めて気付いた。 辛い周囲の現実から離れ、もしかしたら神を通した自分と? フェルセンと?
ひとりの人間として生きるということは、もしかしたら、もっともっと……。 (今のわたしでは、まだ結論はない)